ESSAY エッセイ
「かるた」と「すごろく」~明治保険事始①
1867(慶応3)年、日本では約260年続いた江戸幕府が終焉を迎え、新しい時代への扉が開かれたその年の初冬、アメリカから帰国した福澤諭吉が『西洋旅案内』というガイドブックを出版して話題となりました。当時、多くの偽本が出るほどベストセラーとなったこの本には、鎖国を終えたばかりの日本人にとって西洋文化を知る上での実践的なアドバイスが詳しく記されていました。切符の買い方や洋式トイレの使用方法といった日常生活に役立つ知識から、外国の政治事情や経済体制といった近代西洋社会の仕組みについてまで、その内容は多岐に渡っています。
このガイドブックの附録に「災難請合の事」という項目があります。「災難請合」はさらに「生涯請合」「火災請合」「海上請合」の3つに分類されています。災難請合とは、英語のinsuranceの訳語として福澤諭吉が作り出した言葉であり、本の中で「商人の組合ありて平生無事の時に人より割合の金を取り萬一(万一)其人の災難あれば組合より大金を出して其損亡を救ふ仕法なり」と説明しています。読者の中にはすでにお気づきの方もおられると思いますが、災難請合とは現在の保険のことです。福澤諭吉は、それまで日本にはなかった保険というシステムを『西洋旅案内』の中で初めて紹介したのです。その後、1879(明治12)年には東京海上保険が、1881(明治14)年には明治生命保険が誕生し、日本の近代的保険業はその幕を開けました。
けれども、福澤諭吉が西洋の習慣や文化に戸惑ったように、新しく入ってきた保険という制度が日本人に受け入れられるまでには時間がかかりました。そこで、各保険会社は保険への理解を深めてもらうために、さまざまな工夫を凝らして啓蒙活動を行いました。
「新作保險かるた」は1895(明治28)年1月6日付の『大阪朝日新聞』附録に掲載された生命保険会社の広告の一部です。そこでは、お正月に親戚の婦人や子どもたちが集まり、源平に分かれてかるた取りに興じている絵とともに、8首の「保険かるた」が詠みあげられています。
我いのち保険してこそたしかなれ 世を思ふゆへに物思ふ身は
けふこそは保険を受けて喜ばし 人しれずこそ思ひそめしが
君はまだ保険せぬかと勧むるも いかに久しきものとかはしる
若くとも生命保険を怠るな けふをかぎりの命ともかな
末のため拂(払)ひつづける保険料 長くもかなと思ひけるかな
養老の保険をあての隠居料 人の命のをしくもある哉
わづらひて保険のなきをくやみけり かこち顔なる我なみだかな
山師等の立てた會(会)社に入る人は くだけて物を思ふ頃かな
<図1 新作保險かるた>

出典:「大阪朝日新聞」1895年1月6日、第4778号、附録P.3(承諾番号「26-0798」)
・朝日新聞社に無断で転載することを禁じる。
・広告主の生命保険会社にも掲載許可取得済。
これらの歌はいずれも百人一首に収められている有名な和歌をもとに、その上の句のみを巧みに置き換え、生命保険の効用を詠み込んでいます。当時のわが国は日清戦争(1894~1895)の真っ只中でした。そうした不安なご時世だからこそ、常日頃から備えることの大切さを和歌にこめて、「保険かるた」を思いついたのではないかと考えられます。
次に、1901(明治34)年12月、販売促進用に配布された彩色豊かな「保険すごろく」を紹介します。振り出しから上がりまで全15マス。どのマスも火災保険や運送保険に関係するイベントが満載です。すごろくは一種の人生ゲームです。プレーヤーは人生における幸運なマスや不運なマスを乗り越えて、上がりを目指します。例えば、「不眠」と書かれたマスでは、強風が吹き荒れる夜に保険に加入していない男が心配そうに窓の外を見ている一方、「安眠」のマスでは、風が強い晩でも火災保険に入っているから安心だとイビキをかいて寝ています。このように、遊びながら保険の役割を学ぶことができる「保険すごろく」は、人生の不運な出来事に対処する手段として、保険の意義をわかりやすく伝えているのです。
<図2 保險すごろく>

出典:江戸東京博物館デジタルアーカイブス
「かるた」と「すごろく」―――日本のお正月の定番の遊びの中に、保険という、ともすれば小難しく思われがちな制度が、こんなにも上手く結びつき得たのかと驚くばかりです。
余談ですが、私が2019(令和元)年に作った「令和版保険かるた」にも福澤諭吉が登場していますので、最後にご紹介を…
「ススメたよ 諭吉が紹介 近代保険」
<図3 取り札「す」>

出典:筆者作成

