WEB.09
筋のあるほんとの笑いの面白さ義理人情の真髄をどこまでも陽気に伝えたい 大銀杏を結って50年。相撲取りと一緒に歩んだ「床山」人生
本名 日向端隆寿さん
床山・床寿さん

床山は大相撲の力士の髷(まげ)を結い上げる仕事。日本相撲協会の職員で、力士、行事、呼出などと同様に各相撲部屋に属している。理容師や美容師の免許は必要ないが、大銀杏(おおいちょう)のような伝統的な髪型をつくるには、相当な熟練が必要だ。床寿さんは、床山の6段階の階級のなかで最上位の特等床山。朝青龍などがいる高砂部屋に所属している。大相撲の歴史で初めて番付に名前が載るなど、床山の技術と役割を世間に広めた功労者だ。2008年11月の九州場所で惜しまれて引退した。

 
15歳で高砂部屋の床山に。好きな道だから、厳しいとは思わなかった

 青森県の南部町というところで生まれました。小さいときからお相撲が好きでね、なんとかお相撲の世界に入りたかった。ただ自分の体格じゃ力士にはなれない。声がよかったから、せめて呼出(よびだし)になりたかった。ただ、呼出の仕事も空きがないとなかなか入門できない。いったんは諦めて高校に入ったんだけれど、床山なら一人空いたからという連絡をもらってね。すぐに高校を中退して、上京したんです。昭和34年(1959)の春でした。
 床山の修業っていったって、見よう見まねですよ。手取り足取り教えてはくれない。朝の4時に起きて、犬の散歩、風呂焚き。その頃は薪で焚いていましたね。大急ぎで朝食を摂り、11時半にはお相撲さんたちを部屋で待っているわけ。そのころ、高砂部屋には90人もの力士がいた。床山3人でやっても夕方6時までかかった。あのころのほうが活気があってよかったね。相撲取りがいっぱいうろうろしていたからね。
 最初はもちろん、ふつうの丁髷(ちょんまげ)から。1~3ヵ月もすれば形だけは結えるようにはなるけれど、一人前になるのは、丁髷だけでも3年はかかる。大銀杏(おおいちょう、ふつうは十両以上の関取が結うことのできる髪型)はさらに10年。それも、ふだんやり慣れている人の頭の場合。よその部屋の相撲取りの頭をぱっと見て、大銀杏を結えるようになるには、15年はかかるね。

床寿さん (本名:日向端隆寿さん) 私は入門1年ぐらいして大銀杏をやらせてもらった。これは運がよかったね。関取だけでも12〜13人いたから。新弟子のペェペェだったけれど、おまえもやれってね。
 もちろんね、ホームシックってのはありましたよ。今と違って、帰省なんかおいそれとできないからね。相撲界に入ることについてはオフクロは大変理解があって、厳しい修業とは思うが、すぐに辞めて帰るようなことをするなよ、3年はガンバレって。自分も3年間は故郷には帰るまいと決めていたんだけれど、3年終えた18歳のとき、どうしてもお盆に田舎に帰りたくてね、洋服をつくって、床屋さん行って、汽車の切符を買ってばっちり支度してたの。父親は小学校1年のとき亡くなっていたけど「チチキトク、スグカエレ」っていう電報を打たせたんだよ、田舎から(笑)。
 でもね、師匠はちゃんと見抜いていてね。「嘘だろ、この電報は」って。俺だけじゃない、諸先輩が使った手なんだから、すぐバレルわな。その晩、オフクロに泣きながら手紙を書いた。インクが涙で滲みましたよ。
 大銀杏で難しいのは、揃えることころ。右でも左でも上でも下でも傾いてはだめ。ちょうど真ん中に揃える。「根揃え」というんだけれど、これが一番難しい。でも、美容師さんみたいに鏡を見ながらやるんじゃないの。最初から鏡なんかない。そりゃ、もう50年もやっているんだもの、目をつぶってもできますよ。
 時間かけてやるのは誰でもできる。でも、床山は早く、上手にできなくちゃいけない。お相撲さんはだいたい腰が痛い人が多いから、大銀杏に30分も40分もかけたんじゃ、辛いわけですよ。20分で仕上げなくちゃいけない。手を早くするために、若いころは、若いお相撲さんにモデルになってもらってね、後でラーメンを奢ったりして、練習しましたよ。
 床山ごとに型があるわけじゃないんだけれど、上手・下手はあるね。見ればわかる。丁髷一つでも、お相撲さんが昼寝したりすると、それだけで崩れちゃうのがある。これはだめだね。上手い人がやると崩れない。頭がちゃっと決まっていると、気分がいいんだよ、お相撲さんも。
 髪はお湯で揉むのが基本。こっちが汗かくぐらい丁寧に揉むのがいい。揉んで柔らかくする。硬い髪の人はとりわけそうだね。この手揉みはね、ちょっと手を抜くと、お相撲さんにはわかるもの。「今日は、二日酔いかい?」なんて言われたりしてね。
 道具は昔からのもの。髷棒(まげぼう)はオートバイのスポークからつくるの。自分でヤスリを掛けて、自分で長さを切ってね。頭が濃い人と薄い人がいるから。それに合わせて、髷棒も太いのと細いのがある。必ず2本は持っている。
大銀杏は「根揃え」が命。昼寝しただけで、曲がるような髷ではだめ
朝青龍の大銀杏を結う床寿さん。その間およそ20分  びんづけ油は、江戸川に専門の店があってそこのものを使う。昔は椿油もあったけれど、匂いがよくないんで、何十年も前から使ってないね。タクシーに乗ると、あれ、お客さん、お相撲さんの匂いがするね、ってよく言われるんだけれど、もう匂いが体に染みついているんだね。
 それとね、「床山は歯が命」ってよく言うね。髷を縛るのは、和紙を蝋で固めた「こより」状の紐をつかうんだけれど、これを歯でしっかり押さえて縛るわけ。だから、歯が丈夫じゃないとだめ。入れ歯じゃ弱くて、しまいには解けてしまうからね。
 最近は外国からの力士も増えてきたけれど、私も高見山(現・東関親方)が高砂部屋にやってきたときは、興味津々。金髪でも来るんじゃないかと思って期待してたけれど、黒髪だった(笑)。小錦や曙みたいな縮れ毛もあったしね。一度は、真っ白い髪もやりたいと思う。把瑠都なんかも地は金髪なんだけれど、髪油で焼けて、栗色になっちゃうんだね。
 なんといっても、私が大銀杏を結った力士で一番似合ったのは、千代の富士(現・年寄九重)だね。面長でいい顔をしてましたよ。相撲も強かったけれど。やはり面長の顔が似合うんだ。
相撲取りと一緒の生活。悩みも聞いたし、諭しもした  床山は所帯を持つまで、お相撲さんと一緒で部屋住まい。お相撲さんとどこでも一緒。お相撲さんと一番接しているのは私らだよね。地方場所も宿舎は一緒だから、食事したり、酒を飲んだり、プライベートのつき合いもある。
 朝青龍関は入門のときから知っています。一杯飲んだときなんか、いろいろと悩み事も聞きましたよ。横綱の行状があれこれ言われているときに、私もそっと意見をすることはありました。「横綱、それは違うぞ」ってね。まあ、朝青龍はああいう性格だから、それを素直に「わかりました」なんて言わないけれど、しばらくするとね、私が言ったとおりにしている。それを見てね、やっぱり諄々と話せばわかってもらえるんだ。
 外国出身の力士には、頭ごなしに言っちゃだめなんだ。日本人の習慣とか、相撲界の風習とかを、ちゃんと言葉を尽くして説明しなければいけない。そうすれば、彼らはちゃんと理解できるんですよ。
 朝青龍は、やんちゃなところもあるけれど、勝負師だもの、サラリーマンじゃないんだもの、多少のことは大目に見てやらなくちゃ。そういう勢い、勝負師の魂というか、根性があるときは強いんだよ。それでいて、彼は、いまの日本人が忘れている、親や兄弟への思いやりが篤い人でね。昔の日本人の良さを思い出すね。日本人の心をもったモンゴル人だよ。モンゴルの江戸っ子だよ。気っ風もいいしね。
 私らの代のときに、床山の研修会というのを始めました。国技館の支度部屋に、床山が全員集まって、ベテランが実演しながら指導するの。若い人ものぞき込んでね、「ここはどうしてこうするんですか」って熱心に質問してくる。昔はそういう機会はなかった。
 きっかけはね、床山の名前を番付に載せたいと思って、2007年に北の湖理事長(当時)のところにお願いに行ったときのこと。大相撲には親方、相撲取り、行事、呼出、若者頭、世話人といくつかの部門があって、床山だけが番付に載ったことがない。これじゃ、後輩の励みにならないと思って、お願いに行ったわけ。
 そのとき理事長が、「番付のことは考えるが、床山の技術向上もやったらどうか」と逆に提案してくださった。それで、すぐに研修会を始めた。こればかりは、もっと早くにやればよかったと思うね。それで、番付にも今年(平成20年)の1月場所から名前が載るようになった。私の名前が載ったから嬉しいのではなく、大相撲の長い歴史で初めて番付に床山の名前が載ったことが嬉しい。これは大変よかったね。
 床山の仕事は、なかなか一般社会ではできる仕事ではない。特殊な仕事だからね。日本の国技、相撲道に関われてこれたこと、しかも、人間の一番大事な頭のところに携われたのは、ほんとうによかったと思いますよ。大好きなお相撲さんたちの側にいることができて、50年あっという間だったね。
大相撲の長い歴史で初めて「床山」の名前が番付に載る
長年使い慣れた「床山」必携の道具たち 定年で相撲界から去るのは、いまはそんなに寂しくはない。65歳定年というのがちょうどいいんじゃないかな。ちょっと余カを残して、まだ元気いっぱいのうちに辞めるのがちょうどいい。「待ってました定年!」って感じよ。いまは自宅の近くに区民農園を借りて、これからはのんびり畑仕事ができるなあ、なんて思っている。
 でも、きっとそのうち、寂しくなるんだろうね。部屋のみんなが地方場所で行っているのに、私だけ東京にいたりすると、きっとね。「だんなさん、今日はどうしたの?」なんて、定年になったのを知らない近所の人に言われたりすると、もっと寂しくなるかもね(笑)。
 まあ、これからは一相撲ファンとして高砂部屋、相撲協会を応援していこうと思ってますよ。幸い、床山のなり手もまだ多くいてね、若い子が入門したいと言ってくる。むしろ、協会が今はもう一杯だからと断っているぐらい。だから、当分は安泰だね。
床寿/とこじゅ(本名:日向端隆寿/ひなはた たかじゅ)

昭和18年(1943)青森県生まれ。昭和34年(1959)、日本相撲協会に床山として採用され、高砂部屋所属。現在約50人いる床山の最高位である特等床山まで昇進し、平成20年11月の九州場所で定年。同年1月初場所で番付に名前が載るが、これは大相撲の歴史で初めて。相撲甚句の名手としても知られ、レコード・CDもある。著書に『大銀杏を結いながら 特等床山・床寿の流儀』(PHP研究所)がある。

床寿/とこじゅ(本名:日向端隆寿/ひなはた たかじゅ)
発行/(財)生命保険文化センター Writer/広重隆樹 Photo/福里幸夫 Editor/宮澤省三(M-CRUISE) Web Design/Ideal Design Inc.
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