いのちを守る WEB.12
正体は何だ!?アルツハイマー病研究最前線。
東京大学大学院医学系研究科 教授 井原康夫さん
患者の人格崩壊をもたらし、本人だけでなく家族にも大きな苦痛を与えるアルツハイマー病。その原因はどこにあるのか。治療薬はあるのか。予防のために今からできることは何か。「原因がすべて解明されたわけではないが、その手がかりは見えてきた」と、東大の井原康夫先生は、明るい口調で研究の最前線を語る。
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高齢化とともに発症するやっかいな病
 アルツハイマー病は、私たちの平均寿命が急に延びたために、直面せざるをえなくなった病気の代表です。現在も発展途上国など平均寿命の短い国々では問題になっていません。日本でも、人生80年時代を迎えて、ようやく関心が持たれるようになった病気です。
  戦後すぐの日本精神神経学会で「アルツハイマー病は果たして日本でも存在するか」というテーマでシンポジウムを開いたことがあるそうです。当時はまだ症例が少なかったからそういうテーマになったんですね。その頃の平均寿命は50歳代でした。その後、平均寿命が延びるようになって深刻な問題になった。いずれにしても、アルツハイマー病は長生きすればするほど、発症しやすくなる病気ということはいえます。
  東京都の調べによると、認知症の患者さんは65歳以上の老人人口の約4%を占めています。これが80-84歳では9%、85歳以上では21%、90歳になると実に40%が認知症で、100歳になると90%にも達します。脳血管障害など別の要因によっても認知症は起こりますが、現在の理解では、80歳以降に増大する認知症のほとんどがアルツハイマー病によるものと考えられています。
氷山の一角
アルツハイマーの病理は誰もが持ち、加齢とともに増大する
 アルツハイマー病の診断には、臨床的には認知症があることがまず必要です。認知症は、後天的な脳の障害により、いったん獲得した知的能力が失われることをいいます。それが認められたうえで、病理学的に脳をみて、特徴的な病変が見られたときにお医者さんはアルツハイマー病と診断するはずです。
  逆に、病理学的にアルツハイマー病に当てはまる変化があっても、認知症の症状がなければ、アルツハイマー病とはいえません。実際、そういう人も少なくないのです。
  ちなみに健康な人でも歳をとれば物忘れが激しくなります。しかし、ただの物忘れと認知症が違うのは、認知症の場合はたんに人の名前を思い出せないというだけでなく、その人と会って話をしたという日常生活の中で自分に関係したエピソードを忘れてしまうのです。忘れたこと自体を自覚できず、日常生活に支障を来すのが認知症です。
脳の中の「シミ」と「糸くず」が問題だ
 アルツハイマー病がなぜ起こるのかについてはまだわからないことが多いのです。しかし、アルツハイマー病の仕組みやその病理像など、解明の手がかりは見えつつあります。病理学的には大脳皮質全体にみられる「老人斑」と「神経原線維変化」が注目されています。老人斑というのは、文字通り脳の中にできる「シミ」のようなもので、主成分は「アミロイドβたんぱく(Aβ)」です。Aβは、普通なら血漿や脳脊髄液に溶けているものなのですが、それがなぜか沈着してしまい、アルツハイマー病の一つの引き金になります。
  もう一つの神経原繊維(医学用語では「神経原線維」)変化は脳の中で糸くずのような形状で溜まるものですが、その主成分は「τ(タウ)たんぱく質」です。
 これらの病理がどのように進行するかというと、まずは加齢と共に脳内にAβが沈着し、老人斑が形成されるようになります。普通の人で50歳くらいから起こりますが、それだけではまだ認知症はみられません。その後、10年ほど経つと次第にτたんぱく質の沈着が始まります。τの蓄積によって、神経原繊維変化が生じ、神経細胞が死ぬと、アルツハイマーが発症するのです。この過程は「アミロイド仮説」と呼ばれるもので、現在ではアルツハイマー病のメカニズムを説明するものとして最も有力な説になっています。
  しかし、なぜ髄液に溶けているAβが沈着するのか、なぜτの蓄積が神経原繊維変化をつくるのか、そのあたりの原因はまだわかっていません。私もこの仮説を支持し、現在τたんぱく質と細胞死の関係などについて研究を進めています。
加齢とともに蓄積するAβ(アミロイドβたんぱく)。アルツハイマー病発生プロセスの第一期にAβが蓄積し、「老人斑」が現れる
アルツハイマー病患者の側頭葉皮質に見られる「老人斑」とアルツハイマー病発生プロセスの第二期に現れる「神経原繊維変化」。第二期に認知症が現れる
あと5年以内に安全なワクチン療法が可能に
 1970年代後半には、アルツハイマー病患者の脳では、アセチルコリンという化学物質が減少していることがわかりました。アセチルコリンは脳内の記憶学習に関連する物質です。この分解を抑制する薬が開発され、いま世界中を席巻しています。ただ、この薬は初期症状の進行を遅らせることはできても、完全な治癒はできません。最終的な神経細胞の死を食い止めることができないからです。
  そこで、神経細胞の死を防ぐという立場からいくつかの治療法が模索されています。要はアルツハイマー病を引き起こすAβの蓄積を防ぐという方法です。最もセンセーショナルだったのは、99年に発表されたワクチン療法です。Aβには、「Aβ40」と「Aβ42」という2つのタイプがあるのですが、老人斑のなかで多くみられるAβ42を体内に注射し、アミロイドに対する抗体をつくります。抗体の一部が脳内に入ってAβを破壊する働きを強めることができれば、老人斑が消えるのではというのがその発想です。
  実際、マウス実験やヒトに対する大規模な治験でもアルツハイマー病の進行を決定的に遅らせるという結果が得られました。ただ問題なのは、投与を受けた患者さんのうち約5%が脳炎様症状を起こすという副作用が認められたことです。そのため一時、ワクチン療法は中断されましたが、現在は副作用のない方法の研究も進んでおり、そう遠くない時期に療法として認可されるのではと見られています。これが確立すれば、アルツハイマー病はもはや不治の病とはいえなくなると思います。
脳は萎縮する
 他にも、非ステロイド性消炎鎮痛剤がアルツハイマー病に効くという研究もあります。すでに70年代から関節リウマチの患者さんにアルツハイマー病が少ないというデータが発表されていたのですが、それは患者さんに投与される消炎鎮痛剤が関係しているらしいということがわかったのです。現在は、鎮痛剤成分の一つ、イブプロフェンが老人斑の減少をもたらすことや、非ステロイド性消炎剤の一部が、Aβ42を抑制するらしいということがわかっています。すでに、これらの薬の臨床治験が米国で始まっています。
 このように、アルツハイマー病の治療には明るい展望がみえてきました。以前とは大違いです。私がアルツハイマー病の研究を始めた25年前には、治療の展望などは全くみえなかったのですが、今は根本治療薬への期待も高まっています。5年以内にはきわめて効果の高い根本治療薬やワクチン療法が登場すると思います。
 
生活習慣病予防は、アルツハイマー病にも効果あり
 もう少し待てばよい薬もできると思いますが、いまから予防しようと思えば、生活習慣病にかからないように注意することです。抗酸化物質を多量に含む果物や野菜、DHAなど不飽和脂肪酸に富む魚類をたくさん摂ること、高脂肪食や高塩食を避けること、禁煙し、肥満を避け、若い頃から身体や頭をよく働かせることなど、生活習慣病の予防として一般的に言われていることは、アルツハイマー病の予防にもそのまま繋がると考えてよいでしょう。
  実験室レベルで認められつつあるデータの話をすると、カレー粉に含まれるターメリックの成分であるクルクミンが、アルツハイマーに効くという研究があります。インド人にはアルツハイマー病が少ないという統計から、実験を行った人がいるんですね。
  他にも面白い話としてはいろいろありますよ。奥さんがガミガミいう人はアルツハイマーになりやすいとか(笑)。ストレスがたまると、脳の中の遺伝子発現に影響があるのではないかというわけです。食事だけではなくて、人間関係を含む精神的な環境も大切なんだと思います。
  デヴィッド・スノウドンという研究者が修道女たちの協力を得て、アルツハイマー病の疫学的研究をした『100歳の美しい脳』という本があります。これを読むと分かるのは、修道女たちの自叙伝にみられる青年期における語彙(ごい)の多さと60年後のアルツハイマー病の発生には密接な関係があるということです。生前の知的な能力の高い人は、たとえ病理学的に老人斑が生じていても、認知症が発生しないというケースも報告されています。医学的には「認知予備能」と呼ばれているものの働きなんじゃないかと言われていますね。
加齢や高コレステロールなどの危険因子に対し、適度な運動、コミュニケーション、食事によってアルツハイマーの発症を抑制できることが実証されている
 つまり、若いときはもちろん、老人になってもたくさん頭を使って、脳を活性化させておくこと、これが大切だということです。
  かつては脳神経医学の研究には死後の剖検(解剖検査)が欠かせませんでしたが、現在は、MRI(核磁気共鳴画像法)装置などで画像診断を行うことができるようになりました。老人斑がどれくらい形成されているかも、アミロイド・イメージングという方法でたちどころにわかります。アルツハイマー病が発症する前の段階での診断に、大きく寄与していくことは間違いありません。
  いずれ会社の健康診断にアルツハイマー病検査がオプションで追加されて、自分の脳の老化状態を把握しながら、適切な予防措置を講じることができる時代も、夢ではないと思いますよ。アルツハイマー病の予防・治療には明るい未来が開けているのです。
プロフィール
Profile 井原康夫さん
いはら・やすお 東京大学大学院医学系研究科神経病理学教授。1971年東京大学医学部医学科を卒業。同年6月同医学部附属病院第一内科研修医、78年5月東京大学医学部附属脳研究施設神経内科助手。81年米国ハーバート大学(Mailman Research Center, McLean Hospital)リサーチアソシエイト、82年10月東京大学医学部附属脳研究施設神経内科講師、84年(財)東京都老人総合研究所生理学部臨床第2生理研究室室長、91年東京大学医学部脳研究施設脳病理学部門教授、94年同施設長などを経て、97年より現職。2001年から脳神経医学専攻主任も兼任。神経原線維変化の主成分がτたんぱく質であることを世界で初めて同定し、アルツハイマー病で業績を挙げた研究者に贈られるPotamkin Prize(米国神経学アカデミー)を1995年、日本人で初めて受賞。他に、1994年ベルツ賞1等賞受賞。
 
  発行/(財)生命保険文化センター   Interview & Writing/広重隆樹   Photo/吉村隆
Editor/宮澤省三(M-CRUISE)   Web Design/Ideal Design Inc.