web.08 いのちを守る いのちインデックスへ 閉じる
国境を越え、いま危機に瀕している人々のもとへ
特定非営利活動法人 国境なき医師団日本 会長 臼井律郎さん
国境なき医師団(Medecins Sans Frontieres;MSF)は、1971年にフランスで設立された、非営利で国際的な民間の医療・人道援助団体。緊急医療援助を主な目的とし、世界約70ヵ国を超える地域に年間約3,500人の医師、看護師、助産師らを派遣して、危機に瀕した人びとの救援活動を行っている。
その支部の一つMSF日本は1992年の設立。会長の臼井律郎医師に、MSFの理念と活動を聞いた。
臼井律郎氏
2006年7月〜8月、チャドにおいてミッション中の臼井さん。(C)MSF
2006年7月〜8月、チャドにおいてミッション中の臼井さん。
緊急医療のニーズがあれば、そこへ赴く人道援助者
臼井律郎氏 たとえば国会議員というのは、日本人、日本国の国益のために活動しますね。市町村の議員さんも地域の住民のためというのが第一義でしょう。でも、僕らには、世界中のすべての人たちが同じ人間、同じ権利をもっているという考え方がベースにあります。
  国境なき医師団は、世界の各地で貧困や病気、天災や戦災にさらされて、明日の命もおぼつかないような、いますぐに食糧や医療援助が必要な人たち、そういう人たちのニーズに応えて、真っ先に駆けつけていく。必要があれば井戸水を引いたり、トイレを作ったりするけれど、基本的には医療を中心に活動をしています。
  僕らが他の団体と違うのは、行くべきニーズの評価、行うべき援助の内容をすべて僕ら自身が決定できるという自由を確保しているところです。政府から援助されているNPOの場合は、政府のアジェンダ(政治日程)に従うことが求められます。言ってみれば政府の手足として働いてくれということになる。けれども、僕らはそんなことはしない。たとえば、アメリカ軍からお金をもらってイラクに行ってくれといわれても行くことはできません。
  僕らは世界中で困っている人がいて、そこにニーズがあるのだったら、自分たちの意思で見返りなしに、医療援助を行うべきだと考えています。英語だと humanitarian、日本語だとふつう「人道主義者」と訳されるんだけれど、それよりも「人道援助者」と呼んでもらったほうがいい。
紛争地でこそ貫かれる「独立、中立、公平」という原則
(c)Sven Torfinn  私たちの立場をはっきりさせるために、まずいま何が求められているのかというニーズを評価し、そのニーズに対応することが大切です。ほんとうは世界中の困っている人たち自身が会議を開いて優先順位を決めてもらえばいいのだけれど、そうもいかないので、僕らが決める。その決定の自由を確保するためには、資金的にも独立していないといけません。
  だから活動のほとんどは個人寄付を中心とした民間からの寄付金収入で賄われています。企業など法人からの寄付も受け付けるけれど、たとえば兵器を製造しているようなところからは、僕たちの理念上、お断りせざるをえない。寄付する代わりに何か自社の製品を宣伝してくれというような条件をつけられるのも困ります。
  この「独立」と同様に、僕たちにとって重要なのは、「中立」ということ。特に、政治的、軍事的な衝突が起こっている地域に行くときには、それが欠かせません。政府軍とゲリラがいて、互いに人を殺し合っているようなときに、僕たちは何をするか。ゲリラ兵であっても、外国からの傭兵であっても、もちろん市民であっても、ケガをした人がいたら治すわけです。
  どちらかに肩入れしているとか、スパイとか言われないためにも、「私たちはどっちでもない」ということを、くどいほど強く言わなければいけないのです。
  もう一つ重要なのは「公平」ということ。援助を求めている人のところに行くのだから、彼らが貧乏だとかお金持ちだとか、宗教や政治的な立場がどうだとか、もちろん肌の色なんか関係ない。
  ただ、こんなことを言われることがあります。「MSFはパレスチナばかりで活動している。なぜ、イスラエルでは活動しないのか」と。僕らはこう答えます。「イスラエルは先進国で医療体制もしっかりしている。しかし、パレスチナはそうではない。そういう明らかな格差があるときに、イスラエルに5、パレスチナに5を持っていくのは公平とはいえない。パレスチナに10を持っていって初めて公平になるのだ」と。もちろんこれは極端な例かもしれません。 
    しかし、中立はいつも守られるわけではありません。たとえば、アフリカのある地域で、無防備の市民が標的にされたり、子供たちが無理矢理少年兵にされているという、明らかな人権侵害が行われているのを、僕たちが目撃したとします。
  そのことを国際社会に証言して、人権侵害の当事者を告発すれば、もはや僕らはその地域において中立とはいえない。それをやってしまえば、僕たち自身が一方の側から標的にされ、その地域から出て行かなければならないこともあります。
  けれども、現状のひどい事態を黙認して活動するよりも、そこで起こっていることを正しく世界に伝えたほうが、人道援助の目的に合致する場合もある。僕たちが十分な証拠を元にそのように判断したときには、あえて中立を破らざるえないこともあります。
  しかし、基本的には中立を守る。僕たちは内戦が行われているスリランカで、政府軍もLTTE(スリランカの分離独立運動組織)も、どっちの側にいる人も治療する。僕らが政府軍の支配する地域を通り、LTTEの地域に入って一日クリニックをして、また戻ってこられるというのは、僕たちが中立を掲げているからです。
  それに僕らの医者がその内戦地域にいる唯一の外科医だったりするわけで、その医者を殺したら兵士や住民の治療ができなくなる。だからどちらも僕らを攻撃しない。つまり、僕らの独立・中立・公平の医療行為そのものが、僕たち自身のセキュリティにもなっているということです。
日本にいるのと違う、何十倍もの凝縮された時間
(c)Jean-Pierre Amigo/MSF 1994年、仙台の赤十字病院で働いているときに、「おまえ国際赤十字の派遣でパキスタンに行かないか」といわれて、「はい行きます」と即答しました。それが海外で医療援助にかかわるようになったきっかけです。二つ返事でOKしたものだから、院長から「おまえほんとに行くのか」と念を押されたぐらい。
  そのとき特に深い思いがあったわけじゃないんです。後から考えたのは、僕が日本で学んで実践している医療というのは西洋医学で、これは世界中で通用するだろうということ。サッカー選手が世界に試合をしに行くのと同じ。世界に通用する同じルールでやるわけだから、何も恐れる必要はない。しかも、そこで一番になる必要はない。医師としてそこそこ働けば、そこそこ人の役に立つだろうと。
  僕は裕福でも貧乏でもない、ふつうの家に育った、ふつうの人間です。もちろん、自分が守るべきこと、寄って立つべきなにかは必要だけれど、それさえあれば僕のようなふつうの医師でもちゃんと人の役に立つ。しかも日本にいるよりは、100倍ぐらい役に立つ。海外に出て初めてそれがわかりました。
  海外医療援助を通してさまざまな経験をしました。日本にいたら友達になれないような人と話をしたり、軍人さんと派手に言い合いをしたり。手術もたくさんしました。スリランカにいたときは月に300〜400は手術しましたね。もちろん感謝の言葉が欲しくてやっているわけではないけれど、人間なにかやって手応えがないのより、成果が目に見えるほうがいい。手術をしなければ死ぬはずだった人が翌日起きてきて食事をしているのを見れば、そりゃ嬉しいですよ。そういうことが現地では、日本にいるのと比べたら何十倍も凝縮して起こるわけです。
  軍事衝突が起こっている地域での活動は、怖くないといえばウソになります。夜中に砲撃の音が聞こえるようなキャンプ地で活動しているわけですから。2002年にブルンジで活動していたときには、僕らの患者さんが何かの容疑をかけられて、兵隊に病棟から連れ出されてしまったことがある。すぐにも手術しなければ死んでしまう人だった。だから、僕は司令官に直談判に行った。「患者を返してくれ」って。兵営に入ると、銃を持った兵隊が整列している中を恐る恐る司令官に会いに行くわけですよ。怖くないわけがない。
  この前、東京で時間ができたので、映画を観に行ったんです。1980年代のエルサルバドル内戦で政府軍の少年兵にされた人の実話に基づく映画でした。開始早々、銃撃シーンが始まるんですが、もうそこでダメでした。銃撃の音で映画館の椅子に座っていることができないんです。現地派遣から日本に戻ってきてからしばらくは、花火や車のバックファイヤの音にも一瞬身構えるということがあります。現地では淡々と仕事をしているようであっても、内心ものすごく緊張しているんだなというのが、あらためてわかります。
  MSFの活動ではすべて最終的にはボランティア、個人の責任というのが原則です。「ここへ行ってくれ」と言われて、現地に行ったとして、状況があまりにも危険だと感じたら、個人の判断で帰ってくることもあるでしょう。もちろん、たえず現地の治安状況はヘッド・クオーター(オペレーション支部)に報告されているけれど、状況はたえず流動的だし、突発的に何が起こるかわからないことも場合によってはあります。
  逆に、ゲリラの大攻勢の噂を聞いて、他のボランティア組織が一斉に退去するような状況下でも、僕らは独自の情報収集活動で、大攻勢はないと判断したので、平気で居残ったということもありました。単に結果がよかっただけかもしれないけれど、独自の情報収集と現場判断というのは、僕らの活動を支える根底にあるものです。
 
丸腰だからこそ、僕らは世界のどこへでも入っていける
臼井律郎氏  世界に紛争は絶えません。最近は、軍隊が復興援助とか人道援助という名目で海外に出て行くということが起きています。下水道などインフラを整備したりする場合も、下手なNPOよりも軍隊のほうが効率的だという考え方もあります。
  しかし、武器を携えていく軍隊の活動はあくまでも軍事活動で、人道援助の本来の定義とはなじまないと僕は考えています。国連や自衛隊が入っていけないところへも僕らは人を送っている。丸腰だからこそ入れるんです。
  進駐した地域の人心を掌握するために、軍隊が人道援助と紛らわしい活動をすることもあります。僕たちと同じ白い救急車のような車に乗り、住民に薬や食べ物を配るのです。もちろん背後には銃を隠し持ち、薬を配ると同時に、敵に関する情報集めをやっている。
  こういうことが横行すると、その次の日に、僕らが同じ白い車で通りかかったら、こいつら銃をもっていると見なされてしまいます。実際、アフガニスタンではMSFの車が狙われて、人命が失われました。
  軍隊のほうが人道支援をするうえで効率的だという論理も、実態からかけ離れています。医療援助に限ってみても、MSFほど効率的な組織はない。500〜600億円の年間予算で、世界70カ国以上で、400以上のプロジェクトを組織し、年間3,500人以上の医療ボランティアを派遣し、年間で約200万人の人に外来診療をしている医療団体が、もし他にあったらぜひ教えて欲しいと思います。
  医療の質という点でも、熱帯医学、戦傷外科、途上国でのエイズなど感染症の治療などの面で、MSFは高度な専門知識と技量をもつ団体だと自負しています。途上国における医療について重要な世界会議があると、MSFは必ず呼ばれます。それだけのノウハウを積み重ねているんです。
  言葉の定義から言っても国際法から言っても軍隊のやっている活動を人道援助というのには無理があります。それが、ほんとうの人道援助活動を妨げたり、ボランティアを危険にさらすことにもなりかねません。別に「人道援助」という言葉に特許をとっているわけじゃないから、誰が使ったっていいけれども、そういうことが起こりうるということだけは理解していただきたいと思います。
ダルフールが一番危なければ、それを語らなければならない
(c)Per-Anders Pettersson/Getty Images 日本でも僕らは積極的な広報や活動資金調達の活動をしていますが、まだまだ微力です。2005年度には約50人のボランティアを派遣しましたが、全体で3,500人のうち50人ですから、もっと頑張らないといけません。
  ただ、僕たち自身を知っていただくことも大切だけれど、世界の現状を知っていただくことのほうが先だと思います。アフリカの貧しい国、戦争をしている国、エイズが蔓延している国の現状をまず知って欲しい。そのなかで活動している団体の一つとしてMSFがあることを知っていただき、趣旨に賛同していただければよいと思っています。

 日本人は、経済力も高いし、教育レベルも高いし、そういう人がこんなにたくさんいる国は世界中には少ない。だから、日本の社会全体として人道援助を支えてくれる潜在力は、他の国や国民に決してヒケを取らないと思います。
  たしかに、「インド洋の地震被害には関心があるけれど、アフリカは遠すぎてよくわからない」ということはあるかもしれません。けれども、僕たちの根底にあるメッセージというのは、あなたから近いから遠いからということで、人権に重みの違いがあるわけではないということ。状況が最も逼迫している人たちが、スーダンのダルフール地方にいれば、僕らは一生懸命ダルフールの話をするしかない。日本の新聞がダルフールの話を書かなければ、僕らが「ここがいちばん危ないんですよ」と話をするしかないのです。
  MSFの寄って立つ「ヒューマニティ」という理念は、ほんとうはなかなか複雑な話ではあります。人道支援ということを巡って真剣に議論が交わされてきた長い歴史があり、その成立を簡単には許さないさまざまな事情があります。もちろん、そういうことに触れずに、見た目でわかりやすいメッセージだけを送り、写真や映像で人のセンチメンタルな部分に訴えて、手っ取り早く寄付を募ることは可能かもしれません。
  しかし、僕らはそれを極力我慢して抑えようとしています。日本の人は、難しくてもちゃんとお伝えすればわかっていただける、僕たちの理念をちゃんと理解していただけるはずだと信じています。

臼井律郎氏プロフィール
臼井律郎氏 1959年東京生まれ。外科医。84年東北大学医学部卒業。仙台赤十字病院第二外科副部長、公立志津川総合病院外科部長、寿泉堂総合病院外科部長、全生園病院外科部長などを歴任。94年、国際赤十字よりパキスタン・クエッタ、96年、国境なき医師団よりスリランカ・バブニヤへ派遣。以後、MSFよりスリランカ・バティカロア、ブルンジ・マカンバ、インド洋津波による被害調査のためスリランカへ派遣される。最近では2006年7〜8月にチャドへ派遣された。2005年4月「国境なき医師団日本」会長に就任。
国境なき医師団とは
 国境なき医師団(MSF)は1971年に創立された世界19ヵ国に支部を持つ国際的な組織。このうち、フランス、ベルギー、オランダ、スイス、スペインの5支部は「オペレーション支部」として医師団を編成し医療援助プログラムの実施を担当している。オペレーション支部以外の支部(パートナー支部)は、自国で医師団参加者を募集するほか、広報活動、現地医療援助プログラムへの資金援助などを行う。本部は存在せず、それぞれの支部が国際憲章に基づき独立して活動を行いながら緩やかなネットワークで結ばれている。また、各支部の連絡調整機関として「MSFインターナショナル」がスイスに設置されている。1999年にノーベル平和賞を受賞。
  国境なき医師団(MSF)日本は1992年に設立。19ヵ国にある支部の一つとして1997年には独立組織となり、2002年7月からは認定特定非営利活動法人(認定NPO法人)として国税庁の認定を受けている。
  MSF日本は、日本国内での医師団参加者の募集、広報活動、現地医療プログラムへの資金援助を行うかたわら、武力紛争地域、難民キャンプ、開発途上地域などに多くのボランティアを派遣。また、世界各地で起こっている悲惨な状況や危機に瀕した人々の現状、そしてMSFの活動状況を広く伝える広報活動も展開する。
国境なき医師団
発行/(財)生命保険文化センター
Interview & Writing/広重隆樹 Photo/吉村隆 
Editor/宮澤省三(M-CRUISE) Web Design/Ideal Design Inc.