いのちを守るWeb.12いのちインデックスへ閉じる伊勢﨑賢治さん
内戦のただ中に飛び込んで、兵士たちを武装解除“紛争屋”としての経験を、平和構築に活かす 伊勢﨑賢治さん
東京外国語大学大学院教授 伊勢﨑賢治さん

自らを“紛争屋”と称する伊勢﨑賢治さん。シエラレオネ、東チモール、アフガニスタンなど内戦の現場に飛び込んで、武装兵士・ゲリラの武装解除、動員解除、そしてその社会再統合を指揮してきた希有な経験の持ち主だ。紛争の火種を察知し、その分析から生まれる知見をもとに、国際社会に実践的に働きかけること、そしてそうした紛争処理専門家の育成こそが、日本の国際貢献につながるという。

内戦を終結させる専門家──“紛争屋”としての活動
2003年11月、北軍兵士の武装解除を指揮する伊勢崎さん

 いま世界各地で紛争が絶えません。ただ、それに対処しようという国際世論もあり、国連安全保障理事会などが解決に乗り出す場合もあります。それがPKOなどのいわゆる国連ミッションと呼ばれる活動です。PKOの成果を挙げるためには、迅速かつ大量の人員がそこに投入されなければなりません。国連の事務方の腕の見せ所です。同時に、紛争処理は外交という政治力の発揮の場でもあるので、特に紛争当事国に権益をもつ国は、一定のポストに自国の人間を送り込むことに必死になります。
  同時に紛争解決というフェーズでは、そのことに関心をもつ国際的なNGOも一斉に活動を開始します。ここでも人が必要です。僕流のいいかたで言えば、紛争処理の専門家“紛争屋”が活躍する場です。
  僕は1988年から1997年にかけて、国際NGOの職員としてシエラレオネ、ケニア、エチオピアなどアフリカの国で農村総合開発などインフラを整える仕事に従事していました。それらの中でもシエラレオネは、当時、内戦中だったので、開発事業を行うにも自分たちの身の安全のために治安対策を考えないといけない。
  こうした経験が評価されて、2000年3月から翌年の5月までは、内戦直後の東チモールで、国連東チモール暫定統治機構という国連PKOの上級民政官として派遣され、一番治安の悪い地域の県知事に任命されました。治安維持をしながら、内戦によって完全に破壊された国をゼロから復興していくという仕事です。その後、再びシエラレオネに、今度は内戦を終結するため国連PKOの武装解除の責任者として舞い戻ることになりました。その任務を完了した後、アフガニスタンでも、同様の武装解除を指揮しました。私自身が紛争解決を生業とする“紛争屋”ということになります。

アフガン和平はなぜ揺らいでいるのか
東チモール・コバリマ県PKFニュージーランド歩兵大隊のヘリで移動する伊勢崎さん

 私がアフガニスタンに行ったのは2003年2月〜2004年3月。ボン合意に基づいた和平プロセスの一環として、現地の武装勢力各派の武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)を行うためです。アフガンDDRは、日本主導で行われたのです。私たちはそこで軍閥の解体、国軍の再構築を進めたわけですが、しかしその当時も今もそれはけっして完璧なものではありませんでした。
  なぜなら和平合意に参加しなかったタリバンの残党は武器を保持したまま、依然戦争を続けている。そのタリバンと戦った軍閥たちを対象に武装解除したわけですから、その軍閥たちが解体されれば「力の空白」を生みタリバンが勢力を盛り返すのは当たり前です。
  また武装解除というのは“お手打ち”です。武器を放棄することと引き替えに、戦争犯罪を恩赦したり、新政権下でのポストを与えるような、あくまでも政治的な妥協でしかない。たしかに戦いは止まるが、社会のモラルを代償にする側面がある。
  では、武装解除しなければよかったかというと、正直わかりません。もしあのときに僕が、軍閥の部隊の中でも、比較的統制がとれていた重火器の扱いに慣れた兵士たちを武装解除せず、そのまま新しい国軍に組み入れる形でやっていれば、いまの状況は少し変わっていたかもしれません。 武器を使えなくすることなのだから武装解除は良いものだと思われるでしょうが、現実はそう単純なものではない。武装解除することで、社会にモラル・ハザードを生み、「力の空白」が生まれて、社会がいっそう不安定になるということもありうるのです。理想は大切だけれど、それだけでは見えてこない、解決できない現実があるんです。大切なのは、そういう深刻さを理解しながら、息を長く紛争に対処するということです。国際世論は移り気ですから、すぐ忘れてしまう。事件が発生すれば注目するけれど、1年、2年経つと忘れてしまう。それが一番困るんです。

平和構築・紛争予防のために、日本から発信する実践プログラム
2001年シエラレオネでの武装解除。自らの武器にハンマーを打ち下ろす少年兵

 僕がやってきたのは、紛争の“火消し”という仕事です。給料はよかったですよ。危険なところに行けば行くほど手当が高くなりました。しかし、そのままだと、精神的にあまりよくないですね(笑)。
  それで大学に移ることにしました。今は「平和構築・紛争予防」というプログラムを大学院で教えています。過去の教訓をこれからの紛争の予防にどのように活かすかというのがテーマです。
  日本人学生も入学できますが、いまのところはほとんどすべての学生が外国から来ています。それも、スーダン、アフガン、イラクなど紛争当事国からの学生を意識的に取っていますが、アメリカの元海兵隊もいました。テーマを与えて徹底した議論を重ねる授業。紛争で身内が殺されたという深刻な経験をもつ学生もいて、議論の途中で泣き出す人もいます。皆なにがしか紛争の予防を考えざるを得ない原点を持っている。厳しい選抜を通ってきた人たちで、間違いなく将来は母国でリーダーシップを発揮することでしょう。教育者、政治家、官僚、ジャーナリスト、あるいは平和活動家になるかもしれません。だから、これは僕にとっては、たんなる教育ではなく、着実に紛争を予防するためのプロジェクトなんです。
  なぜ彼らが日本で平和構築学を学ぶかといったら、まずヒロシマ、ナガサキを原点にもつ平和教育のイメージがあるからです。しかも日本は世界に冠たるODA大国です。つまり、いま紛争の火種を抱えている発展途上国に対して我々は信頼を勝ち得ている。途上国の発展を紛争の予防という観点から、考える力がある国なのです。ただ、これって、これまで日本の政府はもちろん、日本の大学教育でもあまり意識してやってこなかった。

広告の手法を紛争防止に役立てる
体に不随意運動が伴う難病のアテトーゼ型脳性マヒのルナちゃん。左足が緊張して突っ張っており、アクティブ歩行器1日目は、その緊張のためにうまく歩くことができなかったが、2日目には、緊張がとれ、きちんとした歩行がアクティブ歩行器でできるようになった。「これは本当に不思議なことで、リハビリに携わる理学療法士も、こんな効果があるとは思ってもみなかったと、みな驚きます」と小林先生

 このプログラムでは、途上国への開発援助と地域紛争の関係について実践的に考えていきます。たとえば日本のスリランカへの援助が、同国の内戦を助長したかもしれない、ということも論点の一つです。日本は内戦の火種があることを無視して、スリランカ現政権に援助を続けてきました。国際援助を受ければ、現政権にはそれだけ余裕ができて、その分、軍事費を増大させることもできます。いまスリランカの陸軍は8万人以上もいます。あの小さな島国スリランカに8万人の陸軍はどうみても多すぎます。内紛がなかったら、陸軍なんて要らないのですから。これは、日本が最大援助国であり続け、「東チモールやアチェという悲劇」を生んだインドネシアへの援助についても同じです。
  やはり、援助の仕方を考えなくてはいけない。援助しないということじゃないんです。援助しながら、相手国の政策を軌道修正させることが必要です。軍事費が異常に大きくないかとか、治安維持のために国軍がどのように配備されるか、それらによって重大な人権侵害が起こっていないかとかをちゃんと観察しながら、援助をしていかないといけない。もし援助の届かない差別された地域があれば、そこに援助が行くように助言、時には「内政干渉」のそしりとバランスを取りながら政治的圧力をかけることが必要です。それを僕らは「予防開発」と呼んでいますが、その理論と政策を鍛えることは、これからの日本の強みになるものです。
  もう一つが、「ピース・アド(平和広告)」。戦争のプロパガンダ(国家や政府などが権力のもとに特定の思想や世論へ誘導する国策宣伝)というのは広告手法によって行われます。ボスニアでもイラクでもアフガンでも、戦争には広告代理店が深く関わっています。だったら、なぜ同じ広告コミュニケーションの技術を平和に活かせないのか。
  そこで、日本のクリエイターたちの協力を得ながら、キャッチコピーの作り方とか、メディアの使い方を紛争当事国の未来のリーダーたちに教えて、これからの平和のために活用してもらう。もちろん、これが悪用されると、独裁者になる可能性があるんだけれど(笑)。そうならないと祈りながらあえて教える。これは学生たちも、非常に面白がっていますよ。

「紛争への関心」と「国際貢献への意識」を高めるために
2003年12月、アフガニスタンでの武装解除。回収された武器を視察する伊勢崎さん

 いま日本の国際NGOのいくつかは世界に誇りうる活動を展開しています。たとえば、中村哲医師のアフガニスタンでの医療活動を支援する「ペシャワール会」など、あんなNGO、世界のどこを探してもないですよ。あれだけ地道に目立たずに、しっかりやっているのは。だいたいNGOというのはパフォーマンスを誇示する悪弊に陥りがちですからね。あれは日本が誇れる、まさに日本人の活動だと思います。
  とはいえ、やはり日本が欧米に比べて遅れていると思うのは、日本にはNGOという概念を育む文化、寄付文化が育っていないことです。欧米のNGOが強いのは、やはり公的資金に頼らずに、自己資金を集める力があることです。市民の側にも、税金を納める以外に、公益のために役立つことならお金を出そうという気持ちがある。ある意味で市民社会の成熟度は、そういうお金の拠出額だと僕は思っています。そのレベルが、発展途上国並みなんです、日本は。たぶん国際貢献というのは、お上がやるものであって、自分たちが口を出すものではないという“お上志向”がまだ残っているんでしょうね。
そういうところを変えていくためにも、紛争への関心を持続させなければいけない。これから平和構築と紛争予防にかかわる現場の人間は、世界の関心をいかにつなぎ止めるか、花火を上げ続けるかをたえず考えなくちゃいけないと思います。そのためにも「ピース・アド」みたいな発想は大切なんです。
  日本人は平和ボケしている、これからは紛争後の和平プロセスに参加する国際貢献が必要だとよく言われます。ただ、僕から言わせれば、最近の若い人は、けっして国際関係や国際紛争に無関心でも、平和ボケしているわけでもないんです。むしろ、僕らの若いときよりも、いまの若い人は世界に関心を開いています。昔に比べたら考えられないほど多くの人間が国際紛争の解決や国際協力に従事しています。日本はこれから変わっていくと思いますよ。その変化を加速するためにこそ、紛争屋としての僕の経験を活かしていきたいと思うんです。

 
プロフィール 伊勢﨑賢治さん
伊勢﨑賢治さん1957年7月東京生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科都市計画専攻修了。在学中にインド国立ボンベイ大学大学院に留学。大学院で学んだコミュニティ組織論、交渉術等を駆使し、スラム街に住みながらプロのソーシャルワーカーとして40万人の住民運動を指揮。インド政府から国外退去命令を受け帰国。
  1988年1月〜1997年2月世界最大規模の国際NGO「PLAN INTERNATIONAL」に就職。シエラレオネ共和国の現地事務所所長として、農村総合開発を計画、実施。2000年3月〜2001年5月国連東チモール暫定統治機構の上級民政官としてコバリマ県の県政を指揮。DDR、治安維持、開発インフラの復興を手がける。2001年6月〜2002年3月国連シエラレオネ派遣団、国連事務総長副特別代表上級顧問兼DDR部長として、内戦後のシエラレオネでDDRを総合的に指揮。2003年2月〜2004年3月日本主導で行われたアフガニスタンDDRを指揮。軍閥の解体、国軍の再構築を実現。
  現在は東京外国語大学教授として、同大学院地域文化研究科「平和構築・紛争予防」修士英語プログラムの講座長を務める。
  著書に『武装解除 ー 紛争屋が見た世界』(講談社)『東チモール県知事日記』(藤原書店)『NGOとは何か ー 現場からの声』(藤原書店)『インド・スラム・レポート』(明石書店)『紛争から平和構築へ』(論創社)などがある。
発行/(財)生命保険文化センター Interview & Writing/広重隆樹
Photo/吉村隆 Editor/宮澤省三(M-CRUISE) Web Design/Ideal Design Inc.