堀田健一さん いのちを守る Web.08いのちインデックスへ閉じる
障害者やお年寄りの力を引き出す。手作り自転車に、心をこめて。 堀田健一さん
堀田さんが作る自転車は部品からコツコツ削り出す手作り一品もの。足腰の不自由な障害者や高齢者でも乗れるよう、独自の工夫が凝らされている。そして何より、この自転車には心がある。誰もがこの自転車に乗って、らくらく外出できるよう──堀田健一さんの願いがそこには込められている。
手作り自転車から、量産タイプまで。一つひとつを手渡しで
手作り自転車から、量産タイプまで。一つひとつを手渡しで ここが私の仕事場ですが、30年前のベルト式の金属加工機とか、もう他の工場にはどこにもないような骨董品のような機械ばかりです。でも、まだまだ現役なんですよ。これでペダルからクラッチまで、自転車の部品の一つひとつを手作りしています。部品を作るのは時間がかかりますし、これだけではお金にならない。けれども、これがないと自転車が作れないんです。
  部品は作り貯めておきますが、いざ自転車の組立となると、溶接してメッキをかけて塗装をする、速くても1週間、長ければ1カ月以上かかりますね。完全なオーダーメイドで、私一人でやっていますから、月に3〜4台を作るのが精一杯。お値段もどうしても高くなります。今日来ていただいてすぐにお持ち帰りというわけにはいかないんです。そこでこの11月(2007年)からは、自転車用ブレーキや車椅子用部品を作っている唐沢製作所というメーカーさんと提携して、部品を規格化しまして、アルミ軽合金製のフレームの三輪車の量産タイプ──(といっても数は限られますけれど)を完成させました。
  重さは11kg。前輪駆動の踏み込み式ペダルが前輪の両方についていて、片方の足しか動かないという人でも、楽に自転車をこぐことができます。もちろん、両足でペダルを踏み込むこともできます。少しでも多くの人に使っていただきたいというこれまでの思いがようやく叶いました。
  この「ラクラックーン・ミニ・アルミタイプ」。特許は私のものですが、製作はメーカーに任せ、販売は私のところで全部やります。マーケットが限られますから、ふつうの自転車屋さんには置けないということもあるけれど、できるだけ乗り手の方一人ひとりに合わせて使っていただきたいし、後々のメンテナンスのこともありますから、全部私が直接手渡しするという形で販売したいんですね。
販売台数1,600台。足腰が不自由な人もこの自転車でらくらく外出
乗る人に合わせた工夫の跡が忍ばれる手書きの「設計図」 私が作る自転車というのは、ふつうの自転車ではありません。足元が不自由な高齢者の方、障害者の方のための特殊な自転車です。足腰に自信がなく、これまで外出をためらっていたような方でも、私の自転車を使えば外に出られるようになります。
  もちろんそういう方のためには電動車椅子がありますけれど、片足だけでも動かすことができる人は、むしろ自転車で運動したほうがいいんです。残存能力を活かして、鍛えることにもなります。また、自分の足で自転車に乗ることができるということが、心理的にも大きくプラスになる場合があります。 坂がつらいという方には、手でレバーを引いたり押したりして補助する仕組みや、モーターを取りつけたりと、その人の身体の状態に合わせて、いろいろとカスタムメイドできます。サイズも乗る方の体格に合わせますから、みんなこの世の中に1台しかない自転車です。
  私は、工業高校を出て大手自動車会社のオートバイ工場に勤めました。そこを辞めてからは建築資材の梱包業を営んでいたんですが、あれは昭和54年(1979年)のことですか、小学生の子どもがおりまして、当時は学校で二輪自転車に乗ることが禁止されていたものですから、子ども用に踏み込み式ペダルの三輪自転車を作ってやったんです。まあ、昔から手作りで金属加工するのはお手のものでしたからね。
  それを通りがかりの足の不自由なご婦人が見かけて、「私にも乗れるかしら」っておっしゃって、私に作るよう依頼されてきたんです。それがきっかけでした。その後、新聞に紹介されたりして評判が広がって、多くの方から注文が舞い込むようになりました。当時も今もそういう自転車を作るメーカーはありませんでしたから。
私自身、人の役に立つことが好きでしたし、もう片手間仕事じゃできないというところにきて、身体の不自由な人のための自転車を専門に作り始めたんです。それ以来28年、販売台数は1,600台を超えました。お客様は日本全国、小さなお子さんから高齢者まで1,200人を数えます。生まれつき足の不自由なお子さんが3つのときから高校生になるまで、何台も乗り換えながらずっとお使いいただいている例もあります。
 サリドマイドの方が足だけで操作できるもの、脳性マヒの方が乗る三輪自転車、健常者にも便利な持ち運び用のミニサイクル、それから小錦さん専用の300kgに耐えられるビックサイズのトレーニングマシンなども作りましたね。
ときには出張パンク修理。全然儲からない仕事だから続けられた
機械、工具類はどれもが長い間使い込まれ、苦労の汗がしみこんだように光っている 自転車を作るときは、実際に乗られる方にまずは当方に来ていただくのが一番です。身体のどこがどんなふうに動かないのか、自転車に乗れるようになったら、どんなことをされたいのか。一人ひとりのお客様のお話を聞かせていただくのが最初です。それから設計図を描きまして、完成したら車に積んでいって試乗していただくなり、おいでいただくなりして、それでちゃんと乗れるようでしたら、お渡しします。
  自転車ですからパンクもします。モーター付きの場合、ヒューズが飛んで動かなくなることもあります。ふつうの方だったらすぐ解ることでも、私のお客様にはそれが難しいという方が多い。だから「壊れたんだけれど」と言われたら、夜中でも飛んでいきました。なにせお客様の足替わりなんですから、一刻も猶予はならんのです。今はよく教えるようにしています。
  作るのは私一人ですから、修理から帰ってきて、また徹夜で仕事をするなんてこともしょっちゅうあります。でも、こんなことやっていて儲かるはずはありませんね。もう生活はカツカツで、お恥ずかしい話、子どもの給食費を払えなかった時期もありました。女房(和子さん)の支えがなかったら、とうに潰れていますわ。
汗の結晶「ラクラックーン・ミニ・アルミタイプ」と堀田さん それでも50歳のときには身体をこわしました。前々から肩こりが激しかったんですが、仕事は休めないし、医者代もないしで、薬でごまかしてきたのがタタって、身体が動かなくなりました。その後、薬は止めて、毎朝、温湿布をしたり、ぶらさがり健康法に変えましたら、だんだん回復して、いまはもう体質が変わったのか、丈夫になりました。
  この仕事を途中では放り出せないのは、お客様の声があるからですね。あるとき、北海道から電話があって、「足に障害のある自分の子どもに自転車を買い与えたい。ついては、夏休みに一人でそちらに伺わせるから、一番合うものを作ってほしい」と言われました。それで私、羽田空港まで迎えにいったんですが、乗客が全部降りたのにそれらしい子の姿が見えないんですね。おかしいなと思って待っていたら、最後に、不自由な足を引きずりながら一生懸命歩いてくる小学生の姿が見えたんです。
 そのとき涙がどっと溢れてね。そうまでして自転車に乗りたい人がいるんだって……。もうこの仕事は辞めてはいけない、自転車に乗りたいと思う人がいる限り、続けなくちゃいけないと。その子を私の自宅に泊めてね、その夏はその子の自転車にかかりきりで、満足のいくものを作り上げたのを思い出します。
茨の道を切り開いてきた道。心を失う商売はしたくない
部品入れは中身が一目でわかるように手書きのアイコンが描かれている 2005年にはシチズングループが社会貢献活動の一環として行っている「シチズン・オブ・ザ・イヤー」という賞を、2007年には「吉川英治文化賞」をいただきました。最初のシチズンさんの賞のときは、電話があったとき、私は何も知らないものだから、「後からお金を要求されたりして、騙されるんじゃないか」と疑ったりしましたものね(笑)。でも、私のような活動をきちんと評価してくださる、そういう世の中の流れがあるんだということで、今はもう本当にありがたいことだと思っています。
  今はそういう意味で世の中に知られてきまして、注文も滞ることなく、部品の効率的な作り置きもできるようになりました。ようやく私たち夫婦が食べていくことはできるようになりました。
  でも、私たちは、これを大々的な商売にするつもりはないんです。一人ひとりの乗り手の気持ちをわかってあげられる、心が大切な商売ですからね。その心を失って、たんにモノが売れればいいやという商売ではないんです。
  始めたときはこの先に何があるのか、皆目わからない手探り状態でした。誰も他にはやっていませんでしたから。茨の道を踏みしめて、やぶを切り開いて、道を作ってきたという感じです。
  最初私たちの自転車は「ラックーン」と名づけたんですが、これにある大手自動車メーカーが、商標登録の問題でクレームをつけてきたこともあります。その会社と商品で競合するわけじゃないし、せっかく親しまれている名前なんで、私は変えたくなかったんですけれど、仕方なく変えました。私の所にだけはモーターを売ってくれなかったメーカーもあります。28年の間に、そういうムダな闘いを強いられたこともありました。
  今は利用者たちの支援の会「ラックーンの会」というのができて、その働きかけで足立区を含め、いくつかの自治体で障害者用自転車購入助成制度もできています。まだまだ助成額は少ないんですけれどね。
  最近は大学に呼ばれてお話をすることもあります。新開発の「ラクラックーン・ミニ」のパンフレットは私の話を聞いた名古屋大学の院生がデザインしてくれました。少しずつですけれど、取り巻く環境は変わりつつあるように思います。
  辛いことばかりじゃなかったな、いい人との出会いもあり、嬉しいこともあった28年でした。ふうふう言いながら山道を登ってきたら、中腹の見晴らしのよいところに辿り着いて、そこでほおばるおにぎりの美味しさ、っていうんですかね。それが美味しいと感じられるのも、自分たちでコツコツ道を開いてきたからこそだと今は思うんです。
 
プロフィール
堀田健一さんほった・けんいち 堀田製作所 代表。 1943年茨城県生まれ。地元の工業高校を卒業後、本田技研に就職。オートバイ生産に取り組む。その後、夫婦で建築資材の梱包業を自営するかたわら、障害者や高齢者のために手作りの三輪自転車などを作り始める。1979年から東京都足立区扇で自転車専業に転換。以来、世に送り出した自転車は1,600台を数える。障害者福祉分野への貢献を認められ、2005年「シチズン・オブ・ザ・イヤー」、2007年「吉川英治文化賞」受賞。子どもたちはすでに独立したが、この稼業を継ぐ予定はない。「従業員を雇って給料が払える程度には成長したい」というのが夢。
発行/(財)生命保険文化センター Interview & Writing/広重隆樹
Photo/田中誠 Editor/宮澤省三(M-CRUISE) Web Design/Ideal Design Inc.