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いのちを守るweb.04 より人間的な生き方を求めて──ニートに託す希望
NPO法人 ニュースタート事務局代表 二神能基さん
仕事をもたず、職業訓練にも参加していない「ニート」や、自宅から外に出ず、学校や会社にいかない「引きこもり」状態の若者たち。その数は約百万人に達するといわれ、大きな社会問題になっている。彼らをたんなる怠け者や脱落者と見なす風潮もあるが、二神能基さんは、そうは考えない。ニートや引きこもりは、現代社会の歪みの表れであり、彼らの存在こそ、もう一つ別の生き方や社会のあり方を示す可能性を秘めているというのだ。こうした若者たちの再スタートを支援する活動はすでに13年に及ぶ。その現場からみた日本人の新しいライフスタイルの可能性とは──。
いろんな人と「雑居」するということ
 ニュースタート事務局には、いま6つの「若衆宿」があります。家族からの依頼を受けて、引きこもりの若者をなんとか外に連れ出し、共同生活をしてもらいながら社会との接点を作れるようにしようという寮です。そこでは毎週、「鍋の会」という食事会をやっています。今日は水曜日で、この日だけは寮生だけでなく、地域の人やマスコミの取材の人など外の人も招いて、一緒に鍋を囲んでいる。飲んで話して騒いで、人と触れあう。
  私は昭和18年生まれで、私が育った時代は、日本の社会ももっと地縁血縁の人間関係が濃密でした。親戚や近所の人が集まって宴会を開いていて、そこに子どもがいると、「おまえ今、何やっとんのや」「そうか、仕事ないんか、だったら叔父さんのところへ来て働け」「勉強ばっかりしていないで、たまには外で遊べ」とか、まあ、いろんなアドバイスがされたものです。
  この鍋パーティでも、私はそんな役割。近所のおじさんみたいな感じで、若者と会話をする。ただ私がこの会を仕切っているわけではない。というか、鍋当番はいるけれども、誰かが仕切って、お説教したりする会ではないんです。
  なかには、自分のことを一生懸命語る若者もいます。私に議論をふっかけてくる奴もいる。でも、最近はいくら突っかかってきても、私がいい加減なもので、「どうしようもないオヤジだな」くらいにしか見られていない(笑)。それでもいいと私は思う。世代の違う、さまざまな人たちと、雑居するというか、一緒にいることが、今の若者にとっては大切なことだと思うんです。
  今の若者は、両親と学校の先生くらいしか大人を知らない。しかし、世の中にはもっといろんな大人がいるんだということを知って欲しいんですね。何もみんな立派な大人ばかりじゃない。私みたいな、出来損ないの大人も一杯いる。それでも、なんとか生きていけるということが分かればそれでいいんです。
2003年オープンしたローマの若衆宿
今の社会のおかしさに警鐘を鳴らす存在
二神能基さん  ニートや引きこもりを「人間関係の行き詰まりから生まれた個人の問題や病気」と捉える人がまだ多いんだけれど、それは完全な誤解です。
  もちろん引きこもりや家庭内暴力には、自閉症のような発達の障害や統合失調症のような精神疾患のケースもあります。そうした場合には、それなりに適切な対処が必要です。私たちには外部に医療体制もあるし、薬を飲んでもらうということもしています。
  そういう特別な病気のケースを除けば、その他のニートや引きこもりの若者は決して個人の病気ではなく、彼らが人間関係をうまく結べなくなってしまったのは、今の社会にその要因、背景があると私は思います。
  現代の閉鎖的な家族や社会、働き過ぎの労働環境など、なんとなく「生き急ぎすぎ」の今の世の中の歪みに敏感に反応しているのが、ニートや引きこもりではないのか。彼らは、今の社会のおかしさに警鐘を鳴らしている存在かもしれないと思えてならないのです。
  今はきちんと社会に適応しているように見える人だって、内心にはひどいストレスを抱えていることってあるでしょう。一流企業の社員だって、連日夜中の12時まで働かされて、そのストレスからうつ病になる人も決して少なくありません。そういう働き方をしながら鈍感力で耐えているとしたら、人間として悲しいよね。うつ病にならないほうが、むしろ病気なんじゃないかと思えるほどです。
  私が『希望のニート』という本を書いたときの反響も、現在正社員で働いている人からが多かったんです。「自分はニートではないけれども、この本に書かれている人の気持ちはよくわかる。今の人生がこのままこれからも続くかと思うと暗澹(あんたん)たる気持ちになる」と。
  実際、こうした正社員の人が会社で何かあってつまづくと、会社に行けなくなってニートになってしまうケースは少なくありません。小さいときから、いい学校、いい会社という一直線のコースでしか来ていないから、一度失敗するともう戻れないと思ってしまうんですね。
  しかし、出口がないと思っているのは、彼らのこれまでの思考法では出口がないだけであって、別の発想で考えれば、別の働き方、生き方がありうる。そう思えれば、出口が広がるんです。
  これは、若者だけの問題じゃないんです。私はいま64歳ですが、中学高校のときの同窓会に出ると、子どものときにあんなに発想が豊かで面白かった連中が、今はもう老後の健康のことしか話題がないようなつまらないオヤジになっている。みんないい大学を出て、いい会社で仕事をしてきた人たちですよ。日本の企業の働かせ方というのはどこかで間違っていたんじゃないかと思わざるを得ない。そういう親の姿を見ている今の子どもたちが、もっと他に面白い人生や働き方があるんじゃないかと思うのも当然ですね。
閉ざされた核家族から開かれた第二の家族へ
 ニュースタートに子どもを預ける親御さんの中には、ここに子どもをやればなんとかしてくれる、社会復帰させてくれると思っている人も多い。しかし、私たちが目指しているのは決して、今の世の中のままで若者を自立させるということではないんです。自立ではなく、もたれあって生きていく雑居村のようなものをこれから創り出して、そこで生きていくという方が現実的なんだと私は考えています。 東京学芸大の山田昌弘先生がある雑誌に、現在の団塊の世代が80代になったとき、その4割はパラサイト(学卒後もなお親と同居し、基礎的生活条件を親に依存している未婚者)の子どもたちを抱えている、と書かれていました。私も今の若者の半数近くはこれから先、経済的自立も結婚もできないだろうと見ています。
  たとえば、一昨年の国勢調査でも、東京都の30代前半の男性の未婚率は6割近くにも及びます。ざっくり見て、今の若者は40代になっても、4割近くが結婚もせず、正社員にもなれず、フリーターのままかもしれない。今から20年後には、80代の団塊の親と、40代、50代の団塊ジュニアが郊外の家でひっそりと同居している、そんな情景が目に浮かぶんですね。
  もしそうだとしたら、核家族の中に生活を閉ざしているよりも、もっと緩やかな人間関係、今の核家族に代わるような第二の家族とでもいうべきものに、家族を「ひらいていく」ほうがずっと楽しいんじゃないでしょうか。そうでないと、閉ざされた核家族のなかで親子関係がへんな煮詰まりの仕方をしてしまうように思うんです。暴力が親に向かう家庭内暴力の危険が高まると心配しているんです。
  ニュースタートの寮に入るとき、「人間関係をここに学びに来ました」という子がいます。たしかにここは集団生活だから、いろんな人間関係を学ぶことはできます。でも、私は言うんですよ。「25歳にもなって人間関係が上手くなったりする可能性はないよ。おまえさんは人間関係が下手なままでも生きて行けることを知ればいいんだよ」って。
  寮生活の中での人間関係に悩んで私に相談してくる子もいる。「寮長とどうもソリが合わない」って。私は「みんな仲良くね」、なんて言いません。世の中には嫌な奴もいる。だったら、そういう輩からは距離を置くのも人生の知恵でしょう。「嫌な奴とは、3メートル以内に近づくな」そう言ってやります(笑)。最初はキョトンとしますよ、みんな。
  人間関係を克服しないと生きていけないと思いこむと、余計生きづらくなるんです。だいたい、ここに来る子たちは、みんな根がマジメで、マジメすぎるから引きこもりになっちゃったような子が多いんです。だから私はよく言う。「おまえ、もっと堕落したほうがいいよ」って。下手にマジメにやろうとするから息が詰まるんだってね。
  そういってやらないと彼らも動けない。そういうとなんとなく安心して、なんとなく彼らなりの人間関係を作っていけるようになる。やはり、他人を求める心の持ちようというのは、人間本来のものですからね。今の若者だって、どこかで仲間と繋がりたいという気持ちはあるんです。
  人間というのはぐちゃぐちゃとしているからね、ぐちゃぐちゃのまま、包み込んで、人間の関係性を作っていくしかないから、それを私は「雑居」と言っているんだけれどね。「立派な人間になろう」ではない。人間は不完全なまま生まれてきて、不完全なまま死んでいく。「すべての人間は不完全である」──それがニュースタートの出発点なんです。
  そうやって試行錯誤しながらね、生涯で一人だけでも友だちが見つかって、一人だけでも嫁さんが見つかればそれでもう十分。それ以上に、人間関係が上手い奴なんて、世の中でロクなものいないじゃないですか(笑)。
もたれあって生きていく、新しい共同体の実験
2004年開設の雑居福祉村「子育て長屋船橋」で子どもたちと  私の一家は戦後、朝鮮からの引き揚げ者でした。戦争で日本の国家や社会システムは崩壊していましたが、それでも、母親が言うには「この国は大丈夫だ」。なぜならこんな四国の田舎にまで配給の米が届いているから、と。行政システムが機能していたというより、地域社会の繋がりがしっかり残っていたんですね。あの頃は、今のような年金や健康保険なんかありません。それでも、今よりももっと人間的な社会があった。たとえば、精神的な病をもっている人がいても、そういう人たちを地域社会が普通に包み込んでいた。
  かえってね、国家の仕組みやシステムに頼っていると、こういう原初的な人間関係が弱くなるものでね。最近は年金崩壊とかで、その仕組みが壊れてきたから、むしろ面白いことになって来ていると、私なんか思いますよ。
  しかし、もう若い人は原体験の中にそういう豊かな地域社会のイメージというのはないですよね。だから、昔の地域社会の復活というより、今の仕組みを作りかえて、新しいスタイルを生み出すしかない。
  そうした新しい共同体の実験を、「雑居」という考え方で、いまニュースタートはやっているんだと思います。とりあえずここは、120人の一時的な緩やかな大家族のようなものです。こういう雑居を全国各地に具体的に作って、世の中に見せるしかない。ここに来れば、月3万円もあれば食べられます。日本銀行券に頼らない暮らしができる。社会のストレスから一時待避するためのシェルターともいえるかもしれない。でも、今みたいな格差社会にはそういうシェルターが必要なんです。核家族や会社のなかにいながら、そのすき間に落っこってしまう人がいる。そういう人たちの拠り所になるような場所が必要なんです。
  とりあえずそこで一休みするような場所があれば、もう少し、日本人は生きやすくなるだろうと思います。少なくとも、引きこもりになったり、家族同士で殺し合ったりする必要もなくね。
 
物質的欲求だけでは動かない若者たち
 寮に入っている若者たちに、欲しいものは何かと聞くと、95%は「別に(ない)」と答えます。僕なんか20代のときはまずは車が欲しくて、そのためにがむしゃらに働いたけれど、今の若者は、そういう物質的欲求だけではもはや動かないんです。そういう意味では、決してハングリーではない、豊かな世代です。少なくとも、給料が高ければ働くというシンプルな世代ではない。そこが私や団塊の世代との大きな違いです。そして、今の大人は、その世代との対話ができていないんです。
  私たちはモノ不足の時代に育ったから、モノを生み出すことには絶対的な価値がありました。しかし、モノがあふれる今の若者はそれに興味がない。哲学者の木田元先生の言葉を借りれば「生産拒否症候群」です。
  けれどもたんなる怠け者かというと、そんなことはない。彼らが持っている新しい文化やエネルギーが、21世紀の日本をもっと生きやすくしてくれるのではないか、という期待が私にはあります。彼らは、地球環境問題についても関心が高いですよ。生き方も省資源、お金も使わないし。でもね、決して貧しいなんて思っていない。むしろ、わりあい自分たちはいい暮らしをしていると思っている。そういう発想を、いい形で、これからの世界に活かして欲しいと思います。
  ニュースタートはいろんなイベントをやっていて、最近も私の郷里の松山市の劇団と共催で「夢へんろ〜どんな時も希望をすてず〜」というミュージカルを上演しました。ニュースタートの恒例のプロジェクトに、四国遍路をしながら自分を見つめる旅というのがあるんですが、そこで感じた心身が生き返るような体験や、四国の人々の温かいもてなしの体験をミュージカルに仕立てたものです。引きこもりだった寮生たちが、率先して一つの舞台づくりに取り組みました。
2003年から開始された「スローウォーク四国」。2007年秋から「百年遍路」が始まる
  そんなときは、それまでトローンとしていた若者たちの表情が変わります。だんだん人間らしい顔になってくる。命が輝きだすんですね。
  彼らの親にあたる世代、日本の戦後世代は、豊かな社会をつくろうと一生懸命努力してきました。たしかに日本は、経済的には世界有数の豊かな国になったから、それは成功したといえるでしょう。しかし、その分失ったものも多い。その失ったものを子どもの世代が再び求めている、そう思います。
  経済的に頑張らないからだめという目で息子や娘を見てはいけない。私たちはこの社会を次の世代に託すしかないわけですから、むしろ彼らがもっているいいものに向かって働きかけるべきなんです。彼らが求めているのは、決して経済的な豊かさではなくて、もっと人間的な豊かさなんです。まずそのことを認めるなかから、初めて親子の対話が始まります。その対話のなかから、私たち上の世代にとっての、新しい生き方も生まれるような気がします。
【column】NPO法人ニュースタート事務局とは
 1994年から始まった、不登校や引きこもりなどの若者をイタリアの農園へ送る「ニュースタート・プロジェクト」が活動の起点。このプロジェクトの背景には、核家族化の進行で親子関係が緊密になりすぎることの反動として、他人との人間関係を築きにくい若者が増えているという認識がある。同世代の若者が引きこもる青年たちを訪問し、人と関わるきっかけをつくる「訪問部隊」(「レンタルお姉さん」などと呼ばれ、テレビドラマ化もされた)、全国各地からやってくる仲間と共同生活する「若衆宿」(寮)、福祉・地域・飲食・ITなどの様々な分野を同時期に複数体験できる「仕事体験塾」などのプロジェクトを展開。若者のニュースタートを応援する人間ネットワークづくりを主な活動としている。若衆宿は千葉県内6カ所にあり、現在の寮生は約90名。海外にも拠点が広がる。1999年にNPO法人格を取得。
・活動を紹介した書籍としては、『わたしはレンタルお姉さん。』(川上佳美著/二見書房刊)『レンタルお姉さん』(荒川龍著/東洋経済新報社刊)『ニートという生き方』(田尾宏文著/オンブック刊)などがある。
 
二神能基さん 二神能基
ふたがみのうき
1943年、韓国大田市生まれ、早稲田大学政治経済学部卒。松山市で学習塾、幼稚園経営のあと、35歳のときから世界各国を放浪し、各地の教育プロジェクトに参画。1993年から、日本の若者をイタリア・トスカーナ地方の共同農園に預け、農作業を通じて元気を取り戻そうというプロジェクトを手がける。その後、引きこもりや不登校、ニートの若者たちの再出発を支援するNPO法人「ニュースタート事務局」を設立。「世の中をよくする仕事、生きることが楽しくなる働き方を創り出す」ために、世界88カ所に「雑居福祉村」を創り出すのが夢。これまで早稲田大学講師、文科省、千葉県などの各種委員を歴任。2007年4月には内閣官房から地域活性化分野で活躍するキーパーソン「地域活性化伝道師」の一人に選ばれた。著書に『希望のニート〜現場からのメッセージ』『暴力は親に向かう』(共に東洋経済新報社刊)がある。
発行/(財)生命保険文化センター Interview & Writing/広重隆樹 Photo/吉村隆  Editor/宮澤省三(M-CRUISE)  Web Design/Ideal Design Inc.