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滝澤三郎さん いま目の前に苦しむ難民がいるときに、それに手を差し伸べないということが私たちにできるだろうか-----
絶望からは何も生まれない。希望と確信をたずさえて
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日代表 滝澤三郎さん
国内・国際紛争や天災・飢餓などの理由で住む場所を追われた人々は、世界で数千万人いるといわれる。その保護と支援を行うのが国連難民機関UNHCRだ。840万人の難民、さらに庇護希望者、国内避難民、帰還民、無国籍者などを合わせると2,080万人もの人々へ向けUNHCRは援助を行っている。UNHCRの第9代駐日代表に、2007年1月に就任した滝澤三郎氏。UNHCR駐日事務所では初の日本人代表になる。難民問題の現状と課題、日本人がその問題解決のためにできることは何かを伺った。
民族・地域紛争の多様化で複雑化する難民問題
緊急支援の現場ではUNHCRもNGOも時間との戦いに追われている。旧ザイール(現コンゴ民主共和国)におけるルワンダ難民 (c)UNHCR/R.Chalasani UNHCRは、1950年に国連総会決議によって設立された国連機関で、その任務は難民に対する保護と支援を行うことにあります。人道的な立場から、自国の保護を失った難民の権利を守り、同時に食料・医療・住居などの援助を行うこと、そして難民問題の恒久的解決をはかることが任務です。なかでも最も重要な活動は、国境を越えて逃れてきた人々を生命や自由の脅かされる危険のある本国へ強制的に送還されないよう受け入れ国に働きかけることです。
  UNHCRが創設されたころは、第2次世界大戦後で、ヨーロッパに120万人にも上る難民が溢れていました。その人々を、元の国に再定住させることがUNHCRの活動の大きな目的でした。しかしその後、国際紛争の多様化が進むことで、難民問題はより複雑な様相を呈してきました。東西冷戦が終わった後も、地域の民族紛争はなくなることはなく、難民は増え続けていきました。
  1975年の時点で280万人だったUNHCRの援助対象者は、90年代のピーク時には、イラク、ルワンダ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、東ティモールなどを中心に、約2,800万人に達しました。
  緒方貞子さん(第8代国連難民高等弁務官[1990〜2000年]現・国際協力機構理事長)が国連難民高等弁務官であった時代はまさにこうした困難の時代でした。
新たに「国内避難民」問題が浮上
家を追われ劣悪な環境下で過ごすコロンビアの国内避難民の家族。(c) UNHCR/B.Heger  21世紀に入り、世界の「難民」の数自体は減っています。その背景には、20年以上におよぶ内戦が終結したアフガニスタンで難民の帰還が実現したことがあります。600万人に及ぶ難民が帰還または定住を果たしました。 しかし、一方で「国内避難民」の数は増加傾向にあります。現在、世界には2,500万人の国内避難民がいるといわれています。最近ではイラクで200万人近い国内避難民が発生しました。
  「難民」と「国内避難民」には大きな違いがあります。国際的に「難民」として認められるためには、彼らが国境を越え、UNHCRに難民申請を行い、それが認められなければなりません。ひとたび難民と認められれば、UNHCRなど国連機関の保護のもとに置かれます。彼らのその後は、治安が安定した段階で本国に帰還する、あるいは受け入れ国に定住する、さらには受け入れ国を経て他の第3国に出国し、そこに定住するということになります。
 他方で「国内避難民」の置かれた状況は、難民と同様に悲惨なものですが、2,500万人の国内避難民に対して、UNHCRが支援しているのは、その内約660万人に過ぎません。彼らに手を差し伸べ、責任をもつ国際機関はなく、難民条約にあたる国際法規の適用もないのが現状です。UNHCRはこうした国内避難民に選択的に関与してきましたが、それでは不十分なので、UNHCRに国内避難民の保護に関する権限を付与しようという議論が高まっています。今後はUNHCRは国内避難民に積極的に関わっていきます。
  ただ、国内避難民の保護は、その国の主権にかかわる微妙な問題をはらみます。避難民を生み出す紛争の当事者でありながら、その状態を放置するばかりか、避難民保護への国際機関の関与を「内政干渉」として強く警戒する政権もあります。むろん、国家には自国民を保護する義務があるわけで、それを放棄した主権には一定の制限が加えられて然るべきという議論もありますけれど、決して容易な問題ではありません。
UNHCR援助対象者数(地域別)
(単位:人)
地 域 援助対象者(2006年1月1日)
アジア 8,603,600
アフリカ 5,169,300
ヨーロッパ 3,666,700
ラテンアメリカ、カリブ地域 2,513,000
北アメリカ 716,800
オセアニア 82,500
合 計 20,751,900
*UNHCR駐日事務所発表統計より
強制移動のサイクル
不法入国者のなかに難民が含まれる可能性
滝澤三郎さん 認定された難民は総体として減っているという話をしましたが、その理由の一つには「9.11同時多発テロ」以降の国際情勢も関連しています。北側の先進国では、おしなべて難民の受け入れを厳しく制限しようという傾向を強めているのです。難民にまぎれて不法移民(*)やテロリストが流入するのを防ぐという狙いです。
  しかし、テロリストや不法移民と難民を混同し、人道上の保護を必要とする本当の難民までを排除してしまうことは避けなければなりません。日本でも昨年の成田空港だけで、8,900人の不法移民が摘発され、強制退去処分にされました。もしかするとそのうちの何人かは、難民として認定されて然るべき人たちだったかもしれない、と私は思います。流入段階で、難民を見分けることの難しさが高まっているというのも、最近の課題の一つです。
絶望を乗り越えて、人道主義の立場を貫く
UNHCRの支援による一時避難場所の学校で学ぶ避難民。スリランカ(c) UNHCR/R.Chalasani  一つの難民問題が解決しても、別の地域で新たな難民が発生する。あるいは、ようやく帰還した人々が再び難民化する。そういうことの繰り返しが現実にはあります。こうした現実の前に、ときには悲観的になり、絶望的な思いにかられる人も多いと思います。
  しかし、いかに今は絶望的に見えても、長期的に見れば変わっていくのだという希望を持ち続けることが大切です。たとえば、パレスチナ問題があります。私が難民問題にかかわるようになったのは、1980年代に国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)に勤めたことがきっかけでした。当時は、パレスチナ難民問題の解決には全く展望が見えない時期でした。たえず暴力の応酬が続いていました。
  しかしそれから20年が経ち、イスラエルと並ぶパレスチナ国家を作るという一点で国際社会の合意は形成されてきました。もちろん今もなお暴力は続き、問題は解決してはいませんが、なんとか先は見えてきているのです。
 もしパレスチナ問題を、アラブとイスラエルの根深い宗教・民族問題であり国際機関や人道機関に介入の余地などないのだと、みんなが手を引いてしまっていたら、こうした解決の道筋さえ見えなくなってしまったことでしょう。人道援助に徹するという私たちの姿勢があったからこそ、今日の道が切り拓かれてきたのだと私は確信しています。
  なによりも、いま目の前に苦しむ難民がいるときに、それに手を差し伸べないということが私たちにできるでしょうか。難民や国内避難民は自分たちの命を守るために必死なのです。難民問題はたえず発生し、たえず繰り返されるから、いっときの援助など無意味だと私たちが思ってしまったら、いま助かる人も助からないのです。たしかに私たち自身が空しいと思うときもあります。しかし、UNHCRの活動があったからこそ何百万人という人が助かったのだし、これからもそうなのだ、というその確信が、私たちが活動を続ける根拠になっているのです。
滝澤三郎さん  日本に住んでいると、難民問題をなかなか実感することができません。しかし、日本にも難民はいます。ただ、その数が小さいために意識に上ることが少ないだけです。日本は1981年に「難民条約」(*)に加入しましたが、それ以降、2006年までの間に、410人を難民として認定しています。また人道的考慮から滞在を認められた難民申請者が434人います。それとは別に、条約上の難民の地位は付与されていないものの、閣議決定により約1万1,000人のインドシナ難民を受け入れています。
 また日本とUNHCRとの関わりは深く、緒方さんが10年間も難民高等弁務官を勤めただけではなく、拠出金でも、アメリカ、ECに次いで3位を占める拠出大国です。諸外国の難民に対する人道的な財政支援では日本は優等生です。
  歴史的に見れば、日本人が難民同様になった時代もあります。第2次世界大戦終結前後の「満州」からの帰国者などは、まさに難民・避難民の典型といえるでしょう。歴史の流れの中では難民問題は、決して日本人にとって無縁な問題ではないのです。1940年に、杉原千畝(ちうね)在リトアニア領事代理が外務本省の指示に逆らって7,000人のユダヤ人難民に日本通過ビザを発行し、彼らの命をナチスの殺戮から救ったことは、後年世界的に賞賛されました。これから先も、朝鮮半島有事のような際には多くの難民が発生し、その一部は日本にも流入することが予測されます。
  とはいえ、世界の先進国と比べると日本への難民受入数が少ないのは事実です。なぜ難民受入数が少ないのか。一つには、「そもそも日本に来る難民が少ない」ということがあります。難民申請者が少ないのは、さまざまな理由が考えられますが、難民が身を寄せる外国人コミュニティが育っていないということ、また、難民として日本で暮らすことの厳しさが申請者の間に知れ渡っているということなどがあるでしょう。
  もちろんそれだけではありません。法務省の入国管理政策が、治安維持、安全管理の面を重視するあまり、難民の人権を守るという意識が相対的に弱い、ということもあります。たとえば、難民認定をする際にも、迫害の状況を客観的に証明できないとなかなか認定されない。しかし、命からがら逃げてくる人に、その証明を求めることは酷ともいえます。先にもお話ししたように「不法入国者のなかに、難民がいるかもしれない」という認識が弱かったのだと思います。
  難民問題は人権問題の一環です。難民問題を考えることで、他の人権問題、たとえば国内少数民族や身障者に対する差別問題について考えるきっかけにもなります。難民問題だけを他の問題から切り離して、これかあれかで考えるのではなく、日本が置かれている人権状況の一つとして見ることが大切です。
  日本は自他ともに認める「安全大国」ですが、「人権大国」かというと必ずしもそうとはいえない。「安全と人権のバランス」をいかに保つかという視点がこれからは求められることでしょう。
国内避難民を支援する施設に到着したコロンビアの子どもたちの無邪気な笑顔。 
UNHCRへの拠出上位5か国および機関(2006年)
(単位:100万米ドル)
  拠出額
1位 アメリカ 329.3
2位 EC(欧州委員会) 79.6
3位 日本 75.1
4位 スウェーデン 68.1
5位 オランダ 66.7
*UNHCR駐日事務所データより
異質なものと共生するという視点
パキスタンにおけるアフガン難民 (c) UNHCR/A.Hollman 難民受入数が少ない背景には、市民の意識の問題もあります。何事につけ同質性が強調される中で、外国人を含めた異質なものへの怖れというのが、日本人には根強くあります。しかし、この意識もずいぶん変わってきました。外国人が否応なく増えているなかで、外国人と一緒に生きる、共生することが当たり前になってきました。共生とは、たんに共に生きるというだけでなく、共に生かし合う、異質な人々の文化との触れあいを通して、自分たちの文化と生き方をより豊かにするきっかけにもなるものです。
  難民はたんに可哀想で保護されるべき人たちだけではありません。なかには、ミャンマーからの難民のように、自国政権の人権侵害と勇敢に闘い敗れた人たちもいます。私たちは、彼らの生き方から勇気をもらい、人権に対する考え方を学ぶことができます。またそういう人たちが、民主化の暁に自国に戻り社会の指導者になった時、日本に逃れてよかった、日本に感謝すると言ってくれるような、そういう関係を結んでいくことも大切ではないでしょうか。
  私はこれまで20数年間にわたり、国連機関で仕事をしてきました。そこで痛感したのは、自分の意見をもって、発言することの重要性です。日本人は一般的にそこが苦手で、日本という国が国際社会で何を実現したいのかが見えにくいというのも、そのあたりに原因の一つがありそうです。国際社会の問題に関して意見を持つ、モノを言う、「スピーク・アップ」の精神こそ、国連機関で仕事をしていて学んだ最大のものです。
  国際機関の仕事は、自分が仕事を創り出せる、アジェンダ(実施計画)を自分で設定できるという自由さがある反面、いつ仕事がなくなるかわからないというリスクもあります。けれども、私はこの仕事に就いてよかったと思います。難民に代わって私たちが意見をもち、発言することが、最終的には難民自身が発言できる環境を整えていくことに繋がるという確信。それが、私の26年にわたる仕事を支えてきました。これからもその確信は揺らぐことはないと思います。
【語句解説】
*不法移民
ある国に住んでいた人が、なんらかの理由で長期にわたって別の国に移り住むことを「移民する」というが、その場合、入国時には在留を管理する法律に従うことになる。上陸許可や在留資格などを取得しなかったり、有効でない旅券を使用するなど不正な手段で入国・滞在を行う場合には、不法滞在、不法移民として取り扱われる。
*難民条約
1951年7月28日にスイス・ジュネーブにて行われた「難民及び無国籍者に関する国際連合全権会議」において「難民の地位に関する条約」が採択され、難民の定義、難民保護のための行政措置、送致・送還の禁止の原則が定められた。
さらに1967年1月に国際連合によって作成された「難民の地位に関する議定書」では、難民条約における対象地域の限定を原則解消し、対象難民の時限的限定を排除した。通常はこの二つをあわせて「難民条約」という。
滝澤三郎さん Profile 滝澤三郎さん
たきざわさぶろう 長野県生まれ。58歳。UNHCRジュネーブ本部およびその他の国連機関で世界各地における活動に携わった長年のキャリアを持ち、今回の赴任までは、ジュネーブ本部にて財務局長・財務官を務めた。1981年に、会計監査担当官として国連ジュネーブ事務所に入り、その後、1983年から1991年まで国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)ウィーン、アンマン、ベイルート事務所での勤務を経て、1991年から2002年までは、国連工業開発事務所(UNIDO)ウィーン本部に勤務。1980年に米国・カリフォルニア大学バークレー校にて経営学修士取得。米国公認会計士。 
Column UNHCRの活動を資金面で支えるには
 UNHCRの活動資金は各国政府の任意の拠出金と民間からの寄附によって支えられている。しかし、UNHCRの活動資金は、恒常的に不足しており、計画していた難民支援のプログラムを縮小したり中止せざるを得ない事態も起こっている。そのため、UNHCRの難民支援の活動を、もっと民間から支えていこうという機運が世界的に高まり、アメリカ、オーストラリア、フランス、スペインの国内委員会に続き、日本でも、2000年10月に民間からの公式支援窓口として、「特定非営利活動法人 日本UNHCR 協会」が設立された。
  現在、UNHCR駐日事務所と連携して広報・募金活動を行っている。2006年度の寄附金収入は3億4,877万円で、うち58%が個人からのものである。2007年度は4億円を目標にしている。
特定非営利活動法人 日本UNHCR協会(Japan Association for UNHCR)
発行/(財)生命保険文化センター Interview & Writing/広重隆樹 Photo/福里幸夫  Editor/宮澤省三(M-CRUISE) 
Web Design/Ideal Design Inc.
帰還した故郷で修復された学校にて勉強に勤しむリベリアの帰還民 (c) UNHCR/E.Compte Verdagues UNHCRの支援で初めて故郷リベリアに向かう子ども(c) UNHCR/E.Compte Verdaguer