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ナンバーワンじゃなくていい肩肘張らずに自分のペースで!タレント 清水ミチコさん
ただ似ているだけではない。独特の創作を加えたモノマネのレパートリーは200人以上。最近ではドラマや映画にも出演するなど、活躍の場をさらに広げている。そんな清水ミチコさんに自身の原点をふり返ってもらった。
モノマネ好きだった小学生の頃から“いぶし銀”の存在だった!?
 よく「趣味は何ですか?」って聞かれるんですけれど、この質問が一番困りますね。私って、これといって趣味らしい趣味がないんです。ただ、一昨年から飼い始めた猫とはよく一緒に遊びます。名前は「あけび」。本当にかわいいんですよ。最近は猫用の首輪もあるので、それをつけて家の近所をぶらぶらと散歩したりとか。「あの人、猫の散歩してるわよ」なんて変な顔をされますけど(笑)。
 あけびはアビシニアンっていう種類なんですけれど、最初にペットショップに行ったときは、店員さんにシンガプーラっていう新種の猫を勧められたんですよ。世界で一番小さい猫で、まったく大きくならないんですって。ただ、会ってみたら顔が好きになれなくて(笑)。好みの顔だったあけびに決めたというわけです。猫だけじゃなくて、動物は全般的に好きですね。子どもの頃からそう。自宅では常に犬や猫を飼っていましたし、小学生の頃は率先して飼育係もやっていましたね。
 モノマネを始めたのもちょうどその頃。当時は南沙織さん、天地真理さん、小柳ルミ子さんなんかの真似をしていました。私だけっていうよりも、クラス中でやっていて、みんなうまかったなあ。私よりうまい人、目立つ人もいましたよ。で、私はいぶし銀の存在(笑)。そのスタンスは今も変わってないのかも。
アビシニアンの飼い猫・あけびと
ラジオほどおもしろい仕事はない!と今でも思います
清水ミチコさん  もともとタレントになろうと思っていたわけじゃないんです。私は飛騨高山の出身なんですけれど、両親がジャズ喫茶や飲食店を経営していたので、誰に言われるでもなく家業を継ぐものだと思っていました。
 その一方で、短大時代はラジオ番組や『ビックリハウス』というサブカルチャー雑誌にガンガン投稿していたんですよ。ネタが採用されたときはうれしかったなあ。そんな話をアルバイト先の店長さんにしたら、親戚に放送業界で働いている人間がいるから紹介するよってことになって、あれよあれという間に放送作家としてお仕事をすることになったんです。なりたくてもなれない人もいるわけですから、本当にラッキーだったと思います。
 それから2年くらいは、放送作家兼ラジオDJという形で番組を担当していました。その番組は、収録スタジオは東京なんですけれど、放送自体は九州のラジオ局で流していたんですよ。今みたいにメールなんかない時代ですから、リスナーの方からのハガキが届くのも4日後くらいだったりしましたね。そういうハガキを見ていると、「こんなにおもしろい仕事はない」と心の底から思えるんですよ。だって、まったく会ったこともない人から反応があるんですから。そもそもラジオって、テレビとは違って積極的に聞こうとしなければ耳に入ってこないものじゃないですか。そういう意味では、「ラジオ聞いてます」って言われるのがいまだに一番嬉しいかもしれませんね。
26歳での舞台デビュー。そして、人生を変える永六輔さんとの出会い
 初舞台を踏んだのは26歳のときです。ちょうどラジオ番組も終わって、これからどうしようかと思っている時期に、渋谷の「ジャンジャン」というライブハウスがテープ審査に受かれば無料でステージを貸してくれることを知ったんです。さっそくデモテープを持ち込むと、結果は合格。日曜日の午後2時から1時間だけステージを貸してもらえることになりました。確かそのときのネタはエレベーターガール模写とか、ピアノを使った音楽パロディだったかな。けっこう、評判は良かったですよ。
 そうしたらなんと、そのステージを永六輔さんが見に来てくれていたんです!知り合いを通じて「こんなやつがいるよ」と私の話を聞いていたみたい。ライブのあとに「芸はプロだけど、生き方がアマチュア」と言われました。つまり、あいさつとか、怖じ気づく感じが、見ていて心許ないというわけです。もっと場数を踏まなくちゃダメだと。それで、永さんのライブに出させてくれたり、知り合いのディレクターを紹介してくれたりと、いろいろと面倒をみてくれて、まるで私のプロデューサーのようでしたね。
 今になって考えると、「あいつはオレが育てたようなものだ」っていう人はいっぱいいるけれど、永さんは私が有名になればなるほど、どんどん遠ざかっていきました。できた方ですよ、ほんと。この出会いがなかったら、今の自分はなかったと思います。
最新アルバム『リップサービス』(ソニー・ミュージック)。5月には、2007年のコンサートツアーの模様を納めたDVD『清水ミチコのお楽しみ会』も発売予定 
ネタ作りは大変。でも、困ったときの桃井さんがあるから大丈夫!
矢野顕子さんのモノマネをピアノの弾き方までマネて行う清水さん。ピアノは小学生の頃から始めたという  いろんな方のモノマネをしていると、ご本人から反響があることも少なくありません。例えば、松任谷由実さん。松任谷さんのモノマネは私だけじゃなくて山田邦子さんもやってらしたんですけれど、「山田邦子のモノマネは自分に対しての憧れがあるけれど、清水ミチコのモノマネには毒を感じる」と言われました。私って、モノマネをする方にどう思われるかってことをあまり気にしないので、割と失礼なこともやっちゃったりするんですよね(笑)。その分というわけじゃありませんが、モノマネをさせていただく方のことは細かく調べますね。新聞の小さな記事もチェックします。

 新しいネタを作っていくのは大変です。みんなそうだと思いますよ。昔は何人かメジャーどころをおさえておけば通用しましたけれど、今はそういうわけにはいきません。かといって、最近の流行なんかを取り入れると、40〜50代の人にはわかりにくかったりもするし、その辺りは苦労しています。まあ、私の場合は「困ったときの桃井かおり」ってのがありますけど(笑)。
 いろんなフィールドで活躍している人と仲良くさせていただいているのも刺激になりますね。イラストレーターの和田誠さんと料理家の平野レミさんご夫妻、脚本家の三谷幸喜さんと女優の小林聡美さんご夫妻、阿川佐和子さん、南伸坊さん、そして私。この7人がとても仲良しで、よくお食事をしたりするんですよ。そういう時間が元気の素になっている感じはしますね。
 あとは、今、ブログを書いているんですけれど、そこに寄せられるファンのみなさんのコメントも励みなりますね。それも「がんばれ!」とかじゃなくて、「今日もいつも通りゆるい感じだったよね」っていうようなコメントって、私のことをわかってくれている感じがして嬉しいですよね。まあ、これからも肩肘張らずに、自分のペースでがんばります。
プロフィール 清水ミチコさん
清水ミチコさん

岐阜県高山市出身。1983年にラジオ番組の構成作家としてデビューし、次第に出演もするようになる。1986年に渋谷ジァンジァンにて初ライブ。翌年からテレビにも出演するようになり、『笑っていいとも』(フジテレビ系)にて全国区デビューを果たす。1988年にはゴールデンアロー賞芸能新人賞、リーボックベストフットワーカーズ大賞を受賞。現在のレギュラー番組は『所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ』(テレビ東京系)、『DoCoMo Making Sense』(J-WAVE)、『ミッちゃんインポシブル』(ニッポン放送)など。

発行/(財)生命保険文化センター Interview & Writing/福田智生 Photo/吉村隆 Editor/宮澤省三(M-CRUISE)  Web Design/Ideal Design Inc.