人生の転機をもたらしてくれたキーパーソンへの感謝 振付師、タレント パパイヤ鈴木さん 元素インデックス 閉じる

おやじダンサーズで一躍脚光を浴びたパパイヤ鈴木さん。振付師、ダンサーはもとより役者、タレントとしてドラマや映画に出演するなど幅広い活躍が注目されている。かつて“ミュージシャン”“歌い手”を夢に見、紆余曲折をたどったその軌跡をお伺いした。

「太ったダンサーを集めよう!」から始まったおやじダンサーズ
おやじダンサーズの初舞台はサザンオールスターズのステージでした。サザンの桑田さんがおやじダンサーズのプロモーションビデオを見たのがキッカケで、98年のサザンのイベントで初めて舞台に立ったんです。その2か月前に結成したばかりだったんですけれど、けっこう衝撃的な登場だったようで、反響は凄かったですね(笑)。
当時僕はユーミン(松任谷由実)さんのライブで、ダンスコーディネーターをやっていたり、ウルフルズとも仕事をしていました。ウルフルズの当時のプロモーションビデオのスタッフと「何か面白いことをやりたいね」って話していて、「そうだ、太ったダンサーを集めよう」となったんですね。そのことを、あるとき松任谷正隆さんに相談したら「それ面白いね」と賛同していただけて、松任谷さんがいいと言うならやってみようと思ったんです。
パパイヤ鈴木とおやじダンサーズのステージ

友達関係から、いかにもダンスなんかやりそうもない、太った人を探したら、今のメンバーになったんです。長距離トラックの運転手とか、みんな仕事をしていましたから、集合時間に間に合わなくて、3曲目くらいから登場するヤツもいたりして。曲の途中から「遅れました!」って入ってくるんですよ、タイミングなんて関係ない(笑)。でもそんな感じがウケたみたいですね。
今、おやじダンサーズ以外の仕事も多くて、いつも一緒ではないけれど、何か面白いことを試す「場所」になっています。新しい振り付けを思いついたら、メンバーを集めて試してみるとか。そう考えると、やはり僕は振付師なんですね。昔は「夢追い人」とか言っていたんですけれど、誰も相手にしてくれなくて(笑)。

昼はダンス、夜は学校、夜中はバンド、そしてディズニーランドで踊っていた頃
パパイヤ鈴木さん 父親がミュージシャンだったこともあり(元ラテン音楽グループ『トリオ・ロス・チカノス』メンバー)、僕もいつとはなくミュージシャンを目指していました。仲の良い友達の父親が警察官だとか、小さい頃、僕の周囲には「普通の社会人」が見あたらなくて、どうも意識の中にサラリーマンになるということはなかったんですね。
中学の時父に、歌手になりたいと言ったら、「ダンスを習ったらいい」と言われたんです。歌をうたいたいのに「なんで」とか思いましたけれど、後から考えるとリズム感を付けるという意味があったんですね。
ダンスは、いざやってみたら楽しくて楽しくて。15歳の頃から昼はダンス、夜は学校、夜中はバンドという毎日でした。ディスコや米軍キャンプでライブをやっていたんですけれど、16歳でダンサーになって、ショーなんかもやるようになりました。でも、将来はやっぱり歌で食べていこうと思っていたんです。

18歳の頃、半年ほどディズニーランドでダンサーとしてステージに立っていました。給料もそこそこよくて、友達もいっぱいできたし、外国人の友達もできた。悪い言葉もいっぱい教わって(笑)。いい勉強になりましたね。当時の仲間はモデルになったり、作家になったり、ローラースケートを使ったダンサーになったりしました。才能のある人たちの集まりだったんですね。でも、なんか満たされない気持ちがあって、辞めてしまったんです。根本的には、やはり歌がやりたかったんですね。

もう人前に出る仕事はあきらめた方がいいかもしれない……
20歳の頃、ソニー(レコード)の部長さんに「振り付けをやれば」って言われたことがありました。僕は歌をやりたいわけですから、この言葉はある意味屈辱でしたね。なんか「歌い手としては、お前はもうダメだ」と言われたようで。そのとき「人前に出るのもいいけど、自分が手がけた人が前に出ることも非常に充実感があるんだよ。焦らずにやっていこうよ」ってアドバイスしてくれて、アーティストをやりながら振り付けもやるようになったんです。振り付けをやるようになって、うまくいったときには「よかったです」と評価され、次第に充実感が出てきました。「振り付けの仕事もなかなかいいな」とか思いましたね。当時の振付師の平均年齢は40〜50歳。僕はかなり若い振付師でした。 バンド活動も復活して、第18回世界歌謡祭には日本代表として出場したりもしました。しかし26〜27歳くらいになると、もう歌をうたって食べていくなんて夢のまた夢で、人前に出る仕事ではなく、裏方として生きていった方がいいんじゃないかと思うようになっていました。 パパイヤ鈴木さん
僕が立ちたかった「場所」はステージの真ん中だったはずだ
パパイヤ鈴木さん 僕の中で何かが変わったのは、ユーミンさんのコンサートスタッフになったときですね。28歳の時ですが、「The Dancing Sun」というツアーにダンスコーディネーターとして参加したんです。強烈に覚えているのは、オープニングでユーミンさんがセンターステージのせり上がりから出てくるシーン。鳥肌が立ちました。スター登場です。「これだ!あそこに僕はいたかったんじゃないか」と思ったんです。「あそこに立ちたい!」と。ほぼ1年ユーミンさんのツアーに参加しましたが、生意気にもずっとユーミンさんに焼き餅を焼いていましたね(笑)。「今度は僕自身が何か面白いことをやろう」って、そこからおやじダンサーズの結成につながっていくんです。

ユーミンさんのツアーとほぼ平行してウルフルズとも仕事をしていました。ウルフルズを紹介してくれたのはヘアメイクをしていた友人なんですが、その友人を僕に最初に会わせたのが父親なんです。父親は僕の人生で実に重要な役割を果たしていますね(笑)。僕のカミさんはその友人のアシスタントだったんですよ。おやじダンサーズのプロモーションビデオを撮影してくれた人もウルフルズのチームにいた人です。その人がビデオをサザンに見せてくれたんです。それでサザンのCMに出させてもらって、そのあとライブに出たわけです。松任谷さんからは「裏切り者!」って言われましたけど(笑)。

人生はプラスマイナスゼロ。天狗になっちゃダメなんだ
僕は節目節目で人との特別な出会いがあって、その人がキーパーソンになって、その後の生き方が大きく変わってきているように思います。父親がまずそうだったし、アドバイスしてくれたソニーの部長……。いろんな人が僕のケツを叩いてくれて、励ましてくれているって感じがするんですよ。そんな人との出会いがなかったら、今の自分はないと思います。そういう出会いが何度もあったから、初めて会ったときに感じるものがあって、「この人、もしかしたら……」って、予感するんです。「来たぞ〜。これから僕、どう変わっていくのかな」なんて。けっこう自分を客観的に見ているのかもしれません。
それと僕には“プラスマイナスゼロ論”というのがあって、ある人との出会いで仮にマイナスなものを生み出してしまったとしても、いつかその人が別のカタチで返してくれる、と信じているんですね。悪いことばかりは続かない。逆にいいことが続いても、天狗になっちゃダメっていうことでもあります。昔大スターだった人も、いつどん底に落ちるかもしれない。美人だっていつかはお婆ちゃんになる。いい男だって禿げるかもしれない(笑)。プラスマイナスゼロなんです。
パパイヤ鈴木さん

僕はあまり趣味らしい趣味はないんです。たしかにテレビやラジオ、映画にCM、もちろんステージにも出ていますから、忙しいのは事実です。でも暇なときだってあまり趣味ってなかったですね。あえて言うなら、家族が趣味かな。あるとき「お金を貰うのが仕事で、お金を使うのが趣味だ」って誰かに言われたんですよ。そう考えると、何にお金を使ってるかっていうと今は家族。「お互い趣味は家族って言おうね」って、船越英一郎さんに結婚した時に言われたんですよ。その時はわからなかったけど、今はわかるんですよね。

プロフィール パパイヤ鈴木さん
パパイヤ鈴木さん 1966年6月29日、東京出身
幼少の頃より父親のラテン音楽を聴き、越路吹雪を唄う!高校時代、バンドで米軍キャンプをまわる。17歳の時、ポリドールより「ダンシングゼネレーション」でレコードデビュー。16〜21歳までの間、ダンサーとして活動。東京ディズニーランドを最後に振付師になる。その後バンド活動を再開し、第18回世界歌謡祭(日本武道館)日本代表として出場。'86 CBSソニー(現ソニーミュージックエンタテインメント)で振付、タップダンスの インストラクターを務める。'98 パパイヤ鈴木とおやじダンサーズを結成、'00 初の全国ツアー「DISCO deおやじ」では1万5千人を動員、秋の学園祭ミュージシャン部門でも、最多出場となる。おやじダンサーズとしてツアー、イベント、TV出演の他、振付師・俳優・作詞/作曲、アレンジャー、マニピュレーター、プロデューサーとして幅広く活躍。近年ではダンサーの地位向上を応援するイベント「DANCE向上委員会」の会長を務め、自身が各ジャンルのスペシャリスト6人と共演するダンス公演「SEVEN SAMURAIS」や若手ダンサーの舞台の演出も手掛けている。

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【ライブ情報】
パパイヤ鈴木VSアルベルト・シロマ
withおやじダンサーズ 
爆笑!踊る歌謡ラテンナイト 
〜僕達の昭和平成歌謡史〜
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