劇画家
さいとう・たかをさん
プロフィール

1936年生まれ、大阪府出身。実家の理髪店で働きながら2年近くかけて『空気男爵』を描き上げ、大阪・日の丸文庫よりデビュー。その後、次々と単行本を発表し、当時の貸本屋ブームの中で人気を築く。後に活動拠点を大阪から東京へ移し、法人組織「さいとう・プロダクション」を設立する。1976年、第21回小学館漫画賞(劇画部門)、2002年、第31回日本漫画家協会賞・大賞、2003年、紫綬褒章を受賞。社団法人日本漫画家協会理事。主な作品は『ゴルゴ13』『鬼平犯科帳』『影狩り』『無用ノ介』『サバイバル』『雲盗り暫平』など。

職場。ここから歴史に残る名作が生み出され続けている新たなゴルゴ13が描き出される瞬間等身大のゴルゴ13が背後でさいとうさんを警護愛用のペンを左手に握りしめて描くのがさいとうさんのいつものスタイルゴルゴ13
自分をとことん楽しむ!その気持ちを失わないこと

少年時代、絵を描くことが何よりも好きだったさいとう・たかをさんが、母親の反対を押し切って漫画家としてデビューしてから今年で52年になる。この間、『ゴルゴ13』や『鬼平犯科帳』など数々のヒット作を生み出している。『ゴルゴ13』は、1968年10月(1969年1月号)から雑誌「ビッグコミック」(小学館)に連載を開始。以来一度も休まず現在も連載中だ。そんなさいとうさんだが、今でも新しいことへの挑戦意欲が衰えることはない。そのパワーの素や作品への思いなどについてお聞きした。

進駐軍が持ち込んだ10セント・コミックスと出会い漫画家を志す
さいとう・たかをさん
 子どもの頃から絵を描くのが好きで、図工の成績は常にトップクラスでした。将来の夢は、もちろん画家です。ただ、当時は終戦直後でモノがない時代でしたから、絵を描こうにもきちんとした紙がない。もっぱら地面に描くことが多かったですね。
中学を卒業したあとは、実家の理髪店で働き始めました。もちろん、理髪師になりたかったわけではありませんが、あの時代は子どもが家業を継ぐのは当たり前のことでしたし、私自身、幼いころからそう言い聞かされて育ちましたから、それがふつうだと思っていたんです。
 ただ、私には「カミソリが怖い」という致命的な欠点がありました。これには理由があって、私は三人兄弟なんですが、いちばん上の兄貴がすごく暴力的だったんです。まあ、若くして戦争に駆り出されていましたからムリもないといえばそうなんですが、とにかく気に入らないことがあるとすぐに殴る蹴る。その血が自分にも流れていると考えると、お客さんの前でカミソリを持つのがとにかく怖かった。気に入らないお客が来たときに、キレてしまうんじゃないかってね。
そのころに出会ったのが、戦後、進駐軍が持ち込んだいわゆる10セント・コミックスです。夢中になって見ました。もちろん、手塚治虫先生や酒井七馬先生らの作品も読みました。そのうちに、自分も漫画家になりたいと思うようになったんです。
漫画家という職業を嫌った母親は最後まで作品を見てくれなかった
 漫画家を目指す上で、最大の難関は母でした。母は私に理髪店を継がせることしか考えておらず、絵や漫画で食べていけるはずがないといつも口にしていました。中学生のときには、私が大阪府の美術展で金賞をもらった絵を持ち帰って見せたところ、ひとことも言わず、目の前で釜処にくべて燃やしてしまったほどです。 さいとう・たかをさん
 そんな母にしつこく頼み込んで、なんとか1年の期限をもらって漫画を描き始めました。もちろん、理髪店で働きながらです。こうして描き上げた『空気男爵』という作品が運良く単行本になり、プロとしてデビューすることができました。ちょうどその直後に母が亡くなったんですが、病床の枕元にできたばかりの単行本を置いておいたところ、最後まで手にとってくれませんでしたね。母に見てもらえなかったことが今でも心残りです。
  ちなみに、この『空気男爵』という作品は完成までに2年かかっています。本当は1年で描き上げたんですが、吹き出しの部分が小さくて読みにくいと指摘されて、1年かけて描き直したんです。その1年の間に、どんどん新人の漫画家が出てくる。正直、あせりました。
仕事の依頼はあるのに描けない。そんなとき先輩がひとこと!
さいとう・たかをさん  ただ、私はラッキーでした。理髪店で働きながら描いた作品というのが珍しかったのか、『空気男爵』が新聞に取り上げられたんです。その影響もあって、すぐに次の仕事を依頼されましたし、原稿料もどんどん上がっていきました。だから、私には下積み時代というのがないんです。デビュー当時からすぐに漫画だけで食べていけた。これは運が良かったと思います。
 一方で、作品づくりに関しては悩みました。というのも、私は映画が大好きだったこともあって、リアリティのある、大人も楽しめるような作品を描きたかったのですが、当時はまだ子ども向けの漫画しかありませんでしたし、ディズニー調のキャラクターをデフォルメしたタッチでなければ売れないと言われていたんです。デフォルメキャラではリアルなドラマは描けません。そうかといって、今のように見本となる作品があるわけでもない。悩みました。仕事の依頼はあるのに、肝心の作品が描けなくなってしまったほどです。
そんな私に、工藤一郎さんという先輩がひとこと。仲間たちの前で「さいとうくんはこの仕事をするために生まれてきたような男だな」と言ってくれたんです。まさに天からの声でした。こんな見方をしてくれる人がいるんだなと。この言葉のおかげで吹っ切れました。そんな時、出版社が「原稿料が安いから描いてくれないに違いない」と勘違いをして、勝手に原稿料を上げてくれたのはうれしい誤算でした(笑)。
新しいことに挑戦する気持ちを失わずに現役であり続けたい
 それ以来、作品が描けないという悩みを感じたことはありません。おかげさまで、この年齢まで現役でやってこられたのも、あのときの先輩のひとことがあったからだと思います。それと、早い段階で分業体制を敷いたことも大きかったですね。もちろん、手塚治虫先生のように、絵もドラマも両方できる天才もいます。しかし、そうしたごく一部のケースをのぞけば、それぞれの才能を持ち寄ったほうが良い作品が生まれることは間違いありません。映画をイメージしてもらえるとわかりやすいですね。脚本家がいて、監督がいる。漫画も同じですよ。
さいとう・たかをさん
 そもそも私は、職業としてこの世界に入ってきていますから、自分が描きたいものではなく、読者が読みたいものを描くようにしています。これはとても重要なことで、漫画というのは雑誌にしても単行本にしても先にお金をもらうじゃないですか。見て、気に入ったものを買ってもらうわけではないんです。そうである以上、自分の趣味に走ったような作品は作品制作の王道とは言えません。これは私が昔から意識していることです。
いずれにしても、デビューから52年、よくやってこられました。描き手としては、新しいことに挑戦したい気持ちを今でも持ち続けていますが、なかなか難しいですね。『ゴルゴ13』は連載開始から丸39年、『鬼平犯科帳』も14年目になりますが、どちらも私の一存でやめるわけにはいかないところまで大きくなっていますし、出版社から「新しいものを」と依頼されることもありません。そのことは少し寂しい気もしますが、まだまだ現役で描き続けますよ。
元気の秘訣ですか? やっぱり、自分をとことん楽しむことかな。今も昔も、その気持ちは変わりませんね。
発行/(財)生命保険文化センター
Interview & Writing/福田智生
Photo/吉村隆
Editor/宮澤省三(M-CRUISE)
Web Design/Ideal Design Inc.
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