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自然体が一番!お客さんを幸せにするためならタネだって明かします
マジシャン マギー司郎
のんびりした語り口とギャグを織り交ぜながら披露するマジックが人気を集め、テレビや舞台で活躍しているマジシャンのマギー司郎さん。今まで一度もステージを休んだことがなく、大きな病気もしたことがないそうだ。とにかく自然体でいるのが一番というマギー司郎さんに、健康の秘訣と芸へのこだわりについて聞いた。
布団ひとつ担いで上京! マジックとの再会を果たす
マギー司郎さん マジックと初めて出会ったのは小学校5年生くらいのころ。家の近所で毎年開かれていたお祭りで、手品の道具を売っていたんですよ。おじさんが手品を披露するのを興味津々で見ていると、「ほら、すごいだろ。買わないと仕掛けはわからないよ」と言われてね。親に頼んでなんとか買ってもらって、自宅で仕掛けを知ったときの「なるほど!」という爽快な気持ちは今でも忘れられません。
 ただ、僕が住んでいたところは田舎だったからマジックの道具なんか売ってないし、教えてくれる人もいない。何よりも家が決して裕福とはいえなかったので、マジックに夢中になっている余裕なんてなかったんです。田舎での退屈な暮らしも嫌で、東京に行けば何かが変わるんじゃないかって、布団ひとつ担いで上京しました。17歳のときです。
 親にはひとことも話しませんでした。家出同然ですよね。それでも警察に捜索願を出されるようなこともなくて、あまり気にされていなかったみたい。もしかしたら、9人も兄弟がいたから1人くらいいなくなっても大丈夫と思っていたのかもしれません(笑)。
  上京してからは、キャバレーなんかでアルバイトをしながら生計を立てていましたが、あるとき、ふと手にした雑誌で日本奇術連盟が主催するマジックスクールの記事を目にしてピン!ときたんですよ。子どものころ、手品に夢中になった記憶がよみがえりました。これが、マジックとの2度目の出会いを果たした瞬間です。
若き日に師匠・マギー信沢から借りたマジック道具。ただの紙切れもこの道具で千円札にすることができる、というもの。かつて招かれた宴会での披露後、控え室に紙切れを持ってきたご婦人に「これ千円札になります?」と、本気で言われたときがあったという笑い話も。師匠が亡くなり、返すことができなくなった大事な道具
ストリップ劇場のステージでマジシャンとしてデビュー
マギー司郎さん 当時、僕は3畳一間の狭いアパートに住んでいたんですけれど、スクールに通っているうちにマジックの道具がどんどん増えていって、部屋を埋め尽くすくらいになっちゃった。それらをながめているうちに、マジックでお金を稼げたらなあと思うようになってきたんです。もちろん、もっとたくさんの人の前で披露したいという気持ちもありました。スクールでは発表が年に2〜3回ある程度でしたから。
 それで、電話帳を調べて芸能プロダクションに電話をかけまくって芸を売り込んだら、ある芸能プロが拾ってくれたんです。そうしたら2週間後に連絡があって、「生麦ミュージック劇場というところへ行ってくれ」と。ミュージックっていうくらいだからコンサートホールみたいなところかと思っていたんですけれど、いざ現地へ着いたらストリップ劇場だったんです(笑)。
  それ以来、およそ15年間、平日は1日に4回、土曜日は6回、ストリップ劇場でステージとステージの合間にマジックを披露していました。その間、2万回以上やりましたけれど、1度も休みませんでしたし、遅刻もなかった。大きな病気をしたこともありません。何か特別な健康法をやっていたわけじゃないんですけれどね。
常に自然体だから疲れないし、ストレスも感じない
マギー司郎さん ずっと健康でいられたのは、常に自然体でいたからだと思います。たとえるなら、どこにいても家で食事をしているのと同じ感覚なんですよ。レストランで食べるときみたいに周囲を気にしたり、かっこつけたりしない。そうやって素のままでいるから疲れないし、ストレスも感じないんじゃないかな。
 マジックの合間におしゃべりやギャグをはさむのも、そのほうがウケるだろうと思ってやっているんじゃなくて、間を持たせようと始めたことなんです。というのも、ストリップ劇場では、15分なら15分という自分が与えられた時間をしっかり使い切らないと、次のステージの準備が間に合わないんですよ。でも、最初のころは緊張しているし、ネタがそれほどいっぱいあるわけでもないからすぐに終わっちゃう。それで、間をつなぐためにおしゃべりをするようになったんです。
  それと、ストリップ劇場のお客さんは僕目当てで来ているわけじゃないので、中には寝ているお客さんもいますよね。そういう人を起こさないのも僕の芸。とにかく見ている人には楽しんでもらう。なんていうのかな、居心地の良さが大切なんですよ。そういうことを心がけているうちに、自然体でいることが一番だと本能が感じていたのかもしれません。
生まれてきたからには幸せにならないと神様に失礼
マギー司郎さん 僕はこの本能というものをとても大切にしています。今の人たちって、数字とか目に見えるものにとらわれすぎているような気がするんですよね。例えば賞味期限。僕は賞味期限をチェックしません。だって、賞味期限を過ぎていても食べられるものはあるし、逆に賞味期限内でも傷んでいることはある。自分の本能を信じて、変だなと感じたら食べなければいいんです。実際、僕は食あたりになったこともありませんしね。数字だけに頼りすぎないで、もっと自分の本能を大切にしたほうがいいと思いますよ。
 そういう考え方、生き方はテレビに出るようになってからもまったく変わっていません。だいたい僕は売り込みとか営業活動を一切しないんです。仕事の依頼がきたときも、「僕でいいの?」と確認するくらい。だって、人の10倍働いたからって10倍のものが食べられるわけじゃないでしょう。欲をかきすぎるのはよくないし、無理をしなくても人間生きていけるもの。
 もちろん、与えてもらった仕事は全力でやります。先ほどお話ししたとおり、休んだことも遅刻したこともありませんしね。ただ、去年の春、福岡で台風に遭ったときはさすがにあせりました。翌日に埼玉で仕事があって、その日に帰らないと絶対に間に合わない。でも、電車も飛行機も夜行バスさえも止まってしまって帰れない。
 それで、タクシーで12時間かけて大阪まで行って、そこから始発の新幹線に乗ってギリギリ15分前に会場へ着きました。お金の問題じゃないんですよ。もちろん、台風だから仕方ないと言えないこともなかったと思います。でも、僕の芸を楽しみにしている人をがっかりさせたくなかった。その気持ちだけですね。
 僕がマジックをやっているのは、見に来てくれた人に幸せになってほしいから。せっかく生まれてきたんだから、幸せにならないと神様に対して失礼だと思うんです。だから、お客さんに幸せな気持ちになってもらうためだったら、邪道と言われようがタネも明かすし、ギャグも言いますよ。それがマギー司郎の芸なんです。
マギーさんのステージは欠かせない縞のハンカチ。「あ?ら不思議、タテ縞があっという間にヨコ縞に・・・」身に付いたマジックの基本技は今でもさび付いていないが、ステージではあまり披露していない、とのことだ
マギー司郎さん
Profile マジシャン マギー司郎さん
1946年茨城県生まれ。日本奇術連盟主催のマジックスクールでマジックを学んだのち、1966年よりプロのマジシャンとして活動を開始。当時の芸名はジミー司だった。1968年にはマギー信沢に弟子入りし、腕を磨く。軽妙なトークやギャグを盛り込みながらマジックを見せる独特の芸風が注目を集め、舞台のほかテレビにも多数出演。俳優として映画やテレビドラマに出演したこともある。1981、1982年に放送演芸大賞ホープ賞を連続受賞。1997年には日本奇術協会・松旭斎天洋賞(しょうきょくさいてんようしょう)を受賞。
「読むだけで誰でもすぐに幸せになっちゃうセラピー」2007年5月発行 著者:マギー司郎 発行:ロングセラーズ 定価:950円(本体905円+税)
発行/(財)生命保険文化センター Interview & Writing/福田智生 Photo/吉村隆 Editor/宮澤省三(M-CRUISE) Web Design/Ideal Design Inc.