「原爆の日」に思う 名古屋経済大学名誉教授 小木 紀之
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広島の夏は今年も暑かった。8月6日広島では、原爆投下から67年の「原爆の日」を迎えた。平和記念式典には広島・長崎への原爆投下を命令したトルーマン元米国大統領の孫クリフトン・トルーマン・ダニエル氏(55歳)も参列したことをメディアが伝えた。

ダニエル氏は長崎の式典にも出席した。元大統領の親族としては、式典出席は初めてのことだ。英国・フランスの駐日大使も初めて出席した。

平和宣言で松井一実市長は「核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを誓うとともに、東日本大震災と福島第1原発事故の被災者が前向きに生きようとする姿は67年前の広島に重なる」とし、「私たちの心は皆さんと共にある」と呼びかけた。

国に対し市民の生活と安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立することを昨年に引き続き求めた。昨年の4月に市長に就任した松井氏は被爆2世でもある。

この1年間に亡くなったか、死亡が確認された被爆者は5,729人。広島市の原爆慰霊碑に奉納された名簿の総数は28万959人となった。今年3月末時点で広島市内に住む被爆者6万6,660人の平均年齢は77.6歳と高齢化が進んでいる(6日付夕刊各紙)。

原爆は1945年8月6日 午前8時15分、米軍のB29爆撃機エノラ・ゲイが人類史上初めてウラン型原子爆弾「リトルボーイ」を広島市に投下。上空600メートルで爆発。爆風と熱線、放射線で市内中心部は壊滅。

当時の広島市内人口約35万人のうち1945年末までに約14万人が死亡したと推計されている。被爆者の多くが、いまなお原爆症や健康不安に苦しめられている。

もうかれこれ半世紀近くになるが、私は必ず旅先で地元紙を購読する習慣を身につけている。その中の1つ、1998年8月6日「東奥日報」(青森市)のコラム「天地人」が次の様な興味深い記事を掲載していたことを思い出す。

1945年8月6日、太平洋に浮かぶ南の島テニアンの米軍基地で、飲めや歌えの大パーティが開かれた。第509航空群のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の凱旋祝賀宴である。

主役はもちろん、広島攻撃の任務を忠実に果たしてきた男たちだ。緊張続きだった往復12時間13分の飛行を終え、ひたすら眠りたいという乗員の気持ちなどお構いなしに、数千人の兵士がパイとホットドックをほおばり、1人4本の無料配布ビールに酔い、ジルバのリズムに浮かれた。

宴会後に特別上映された映画の題名は皮肉にも"おやすい御用"。
この世のものとは思えないヒロシマの惨状を兵士たちは知る由もない。

一瞬にして数万の命が消え、焼けただれた体で水を求めさまよった悲惨と、どんちゃん騒ぎが、その日、地球上で同時進行した。

原爆の悲惨さとは裏腹に勝利に酔いしれる勝者の姿。このコラムは「だからこそ戦争はしてはならない」との願いが込められている。

毎週1回、首相官邸を取り巻く「反原発・脱原発」のデモの波、もの言う消費者市民の集まりの登場である。

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小木 紀之(おぎ のりゆき)

小木 紀之
(おぎ のりゆき)


ノートルダム清心女子大学・長崎大学各助教授を経て名古屋経済大学経済学教授。
その間、放送大学客員教授(消費者問題論)歴任。
現在、日本消費者教育学会名誉会長。
名古屋市消費生活審議会長、岐阜県消費生活安定審議会長を務める。
平成24年度 消費者支援功労者表彰(内閣総理大臣表彰)受賞。

 
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