「自己責任下、知らなかったという言い訳は通らない時代の到来」 財団法人 消費科学センター 犬伏 由利子
文字サイズ変更大中小閉じる

よく「体験主義」とか「体験に優る学習はない」とか言われているようですが、60年、70年と歳を重ねても私たちが体験する、体験できることがらはごく限られた範囲に過ぎないのではないでしょうか?

とはいえ、私たちは、日々身の回りに起こる様々な出来事を自分の小さな体験を通して考え、自分なりに判断し、理解しようとしているように思います。そうしたことからでしょうか同じ一つの文章でも解釈の仕方で青くも赤くもなるということが沢山あるようです。

少し前まで、テレビコマーシャルや新聞広告、そして電車内の吊り広告などに、一見何の広告か分からないキャッチコピーをよく見掛けました。また、話し方にも、舌足らずというのでしょうか聞き手が頭の中で勝手に補足して理解するといった話し方が流行(?)していたこともありました。幼児語のような愛らしさを感じさせるということだったでしょうか。

一瞬耳目をそばだたせたり、たわいもない事柄をその場限りで楽しむ会話には「わかんなーい」や「おっもしろーい」で済んでしまいますが、私たちが生きていくためには、まじめに一つ一つしっかりと理解し、考え、そして言うべきことは声(文章)に出していかなければならないことも沢山あることに気が付きます。

その昔の、「知らしむべからず、頼らしむべし」といわれた時代は終わり、行政をはじめ企業などにも総てについて透明性・説明性が多く要求されています。

私たちの生活の安全確保のために、「あなたはどのような仕組みを整え実行しているのか教えて下さい」、「あなたが私に与えるというそのサービス・商品が私にどんな利益、メリットを与えてくれるのかちゃんと説明して下さい」と要求していながら、きちんと理解する努力なしで、「わかんなーい」や「知らなかった」は通らないということが「自己責任」と言う言葉で表され、その結果、消費者・生活者も一部の高齢者や知的障害者を除き、総て自立した「自己責任」を負うことのできる人に昇格(?)させられました。

これは多分、喜ぶべきことだとは思いますが、例えば「医療」という言葉が呼び起こす沢山の連想のように、個人個人はそれぞれの体験や環境の違いの中から、同じ言葉、同じ文章でも、十人十色の解釈をしてしまう可能性があります。

まして、保険契約のように起きるかどうかも不確実な事柄に対する「備え」となると説明をする方も聞く方もそれなりの緊張感と責任感を持たないといけないと言えます。しかし、どれほど緊張し、どんなに懸命に話を聞いたとしても保険事故の発生までに長い時間を要したりするとその時一生懸命説明され、色々と聞いたこともはるか遠い記憶となってしまいがちです。

さらに次々と出される新商品の広告に自身の契約が重なってしまい、思い違いを起こすということも多く起こるようです。こうした場合の責任の所在を云々することはできるのでしょうか?

保険に限らず記憶に頼る約束事のはかなさ、危うさはさておき、商品は勿論様々なサービスについて「広報・PR」する時には、何を伝えたいのか、その内容や意味を、10人中8〜9人は同じ色に見ることができるような伝え方、聞き方を学びたいと思います。

プロフィール

犬伏 由利子(いぬぶし ゆりこ)

犬伏 由利子(いぬぶし ゆりこ)
1991年から消費科学連合会副会長。

同年から(財)消費科学センター理事。

消費科学センターの「消費者大学講座」などを通し、

考える消費者、科学する消費者を育成する努力を続けている。

 
閉じる
発行/(公財)生命保険文化センター Web Design/Ideal Design Inc.