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第11回 神と利息と生命保険
流通科学大学商学部教授 田村祐一郎[たむら・ゆういちろう]

 いまでもイスラム教では利息の支払を認めない。しかし、銀行もあればローンもあるから、配当金や売買代金のふりをして利息をしはらう。最近はやりのイスラム金融はこんなめんどうなやり方で営まれている。

 ユダヤ教もキリスト教もかつては同胞から利息をとることを禁じた。イスラム教がいまだにこの戒律をかたくまもる一方、キリスト教は中世から近代へかけて利息を容認するようになった。利息は貨幣価値の時間差をあらわすが、「時間は神のもの」であるから、利息をとることは神の支配領域をおかすというのが利息禁止の理由であった。

 ところで、19世紀のアメリカで生命保険がはやり始めたときにキリスト教からのきびしい反対にであった。理由は利息のときとおなじで、未来を支配するのは神であるのに、不当にも生命保険は神の領分に侵入し、ひいては神を冒涜するというのである。

 たとえば、父親が急死すると、遺された妻と子どもは衣食に窮し、場合によっては飢え死にするかもしれない。そのころ、キリスト教はこの妻子の運命もまた神がきめたこととかんがえていた。ところが生命保険は遺族に救いの手をさしのべる。遺族は飢え死にどころか生活のたてなおしもできる。生命保険は神の計画をくじく「不敬の企て」であると決めつけられたのである。

 経済の近代化とは、神の領分と経済のそれとを切りはなすこと、つまりは神が経済に口をださなくなることで、その端的な表れが利息の容認であった。しかし、キリスト教は19世紀ではまだまだ社会や生活のいろいろな面でおおきな影響力を残していた。したがって、宗教界からのきびしい反対論は、生育期の生命保険にはまことにやっかいな障碍になった。

 生命保険業界は、こうした強力な反対に対してレトリックを駆使して反論し、自らの正当性をつよく訴えた。そのへんの経緯は、ゼライザー女史の『モラルとマーケット』(千倉書房、1995)に生き生きと描かれている。筆者の拙い訳であるが、生命保険の歴史に関心をおもちの方にはぜひ手にとっていただければ幸いである。

 19世紀後半からアメリカ経済は目覚しい発展をとげはじめた。それにともない都市に住み、夫は外で職につき、妻は家をまもり、少数の子どもを育てる生活スタイルをもった、いわゆる「近代家族」を大量に創出していった。これらの家族の最大の弱点は、夫=父の早死にであった。こうして現実の生活が生命保険を必需品とした。やがてキリスト教のなかにも生命保険に賛成し、積極的に支持する宗派がではじめたのである。

 宗教は人間のもっとも奥ぶかい精神世界に根ざしている。生命保険はおおげさにいうと神の代役をつとめるようになったのである。

プロフィール
田村祐一郎[たむら・ゆういちろう]氏

田村祐一郎
[たむら・ゆういちろう]氏

流通科学大学商学部教授

専攻分野
保険;リスク・マネジメント

学歴
昭和42年、神戸大学大学院経営学研究科商学専攻修士課程修了、平成2年、商学博士(神戸大学)。

職歴・経歴
昭和42年小樽商科大学講師、46年助教授、49年長崎大学助教授、58年教授、平成元年姫路独協大学教授を経て、11年流通科学大学商学部教授、現在に至る。
著書
「生活と保険―生活保障システムにおける生命保険」
「社会と保険―社会・文化比較の鏡としての保険」等多数
訳書
モートン・ケラー「生命保険会社と企業権力」等

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