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第7回 死亡リスクの重み
流通科学大学商学部教授 田村祐一郎[たむら・ゆういちろう]

 二十数年前のある日、「保険論」の講義が終ると、学生がひとり近づいてきた。

 「先生は、高度成長期には平均寿命も延びたが、生命保険も成長したといいました。平均寿命が延びることは死亡リスクが小さくなるってことでしょう。リスクが小さくなるのに、どうして死亡リスクの保険が伸びたのですか」

 ギャフンである。専門家の専門的な質問はこわくない。知識はすくないが、真剣に学ぼうとする学生の質問ほどこわいものはない。たいていはコースをはずれるが、ときどき、どまん中へ剛速球がくることがある。これがまさにそれで、恥ずかしい話しであるが、筆者の頭のなかでうっかり抜けおちていた点であった。

 そのときには「日本の保険文化には妙なところがあって、こんなことも起る」と答えてお茶をにごした。ごまかしたのではない。ピントがはずれていたのである。最近読んだ本のなかで、国際結婚した夫婦のあいだでいさかいがおきると、おたがいの文化のせいにして解決するとかかれていた。知らないうちに筆者も同じ手口を使ったようである。

 さて、学生の質問への答えであるが、まず、死亡リスクの重みが変った。以前は戸主が亡くなっても祖父母など同居の親族がいた。近くに縁者がおり、隣近所も助けの手をさしのべてくれた。やがて高度成長のころから、核家族がふえ縁者とは距離的にとおざかり、隣近所とは疎遠になる。というしだいで戸主の早死は家族最大の危機になった。

 もう一つはリスクの大きさについての考え方である。リスクの大きさは最大の損失高で示されるのではなく、損失高に危険事故の起こる割合(確率)をかけ合わせた数値で測る。年間の出火率に家屋の評価額をかけると、その家屋の火災リスクの大きさが示される。

 高度成長期には早死の可能性は小さくなった。一方、戸主の早死によって家族が失うものは大きくなった。収入はふえ生活水準は向上した。せっかく手に入れた豊かな生活を一挙に失うきっかけが戸主の早期死亡であった。こう考えると、死亡リスクはじつは非常に大きくなっていたのである。

 翌年の学期では、平均寿命の延びと死亡保険の伸びの関連をうまく説明できた。
残念なことに、質問をしてくれた学生はその年の春に卒業したあとであった。これがいちばん困る。他人の研究をうのみにして学生に教えたところ、のちに自分で調べてみるとまちがいであったとわかることがある。当方の研究も少しずつ進歩するから止むを得ないことではあるが、しかし、まちがって教えた学生諸君に「本当はこうだったよ」とつげられないことこそ、教師生活でもっとも残念におもうことの一つであった。

プロフィール
田村祐一郎[たむら・ゆういちろう]氏

田村祐一郎
[たむら・ゆういちろう]氏

流通科学大学商学部教授

専攻分野
保険;リスク・マネジメント

学歴
昭和42年、神戸大学大学院経営学研究科商学専攻修士課程修了、平成2年、商学博士(神戸大学)。

職歴・経歴
昭和42年小樽商科大学講師、46年助教授、49年長崎大学助教授、58年教授、平成元年姫路独協大学教授を経て、11年流通科学大学商学部教授、現在に至る。
著書
「生活と保険―生活保障システムにおける生命保険」
「社会と保険―社会・文化比較の鏡としての保険」等多数
訳書
モートン・ケラー「生命保険会社と企業権力」等

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