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第5回 40年後の日本と私
流通科学大学商学部教授 田村祐一郎[たむら・ゆういちろう]

 「生活設計論」という講義の3回目にはきまって宿題を出す。テーマは「40年後の日本とわたし」。彼らはいま大学生であるから20歳前後。40年後には60歳になる。40年のあいだ働き続けて定年をむかえ、年金をもらう年ごろに達する。現在の寿命を当てはめれば、そのときから約20年の余命が残される勘定である。

 実は、このテーマによる作文はもう20年以上も続けている。古いものは残っていないが、1990年代には、父母、ことに祖父母の生活に自分の老後を重ね合わせて、すでに定年をむかえてのんびり孫と遊んでいるという予想が多かった。当時の学生の不安の種は定年制で、生活のためだけでなく生きがいとしても定年制がなくなっていてほしいと書いていた。

 今年は2009年であるから40年後は2049年。筆者の実感でいうと、40年というのは長い。なにが起きるかわからない。ちなみに、今から40年前の1969(昭和44)年を振り返えってみよう。高度成長まっ最中の年であったが、そのころに今の社会を想像したひとは恐らくいない。しかも、この40年間はおおむね経済が上向きであったから、多くのひとにとって世の中は良い方向に動いてきたように思われる。

 一方、いまから40年さきの2049年は、少子化がこのまま続けば、人口減の影響が最もきつくなるころである。経済全体が下向きに動くとすると、学生たちにはバラ色の未来を描くことは難しそうである。ここ2、3年の作文には、時代の先ゆきの厳しさ、とりわけ年金を不安視し、雇用を心配する声が圧倒的に多かった。

 景気循環の波にはコンドラチェフの長波というのがあって、50年から100年周期で動くという。これが当てはまるとすると、敗戦から44年たった1989年あたりが上昇の波のピークで、そこからゆっくりと下降しはじめたのであろう。

 そういえば、バブル期のころから国、会社、家族など堅固と思いこんでいた社会制度や文化、思想、国民性までもが動揺しはじめ、ふと気付くと、日本は大きな変貌を遂げていた。学生と話していると、彼らがなにか確かなもの、頼りにしてよいものをひそかに捜し求めていることに気付く。時代の大きな流れが彼らの胸に影をさす。

 確かなものが少ないなかで、保険は未来を予測し、それへ備える合理的な制度として存在してきた。確かにインフラの急激な動揺には強くないところがあるが、しかし、リスク対処法としては充分な経験をつみ、科学的でもある。「生活上の多彩なリスクへ備える方法として保険くらいはしっかりしていて欲しい」と作文で書いていた学生がいた。筆者が後期の保険論担当者と知ってのことだけではなさそうであるが。

プロフィール
田村祐一郎[たむら・ゆういちろう]氏

田村祐一郎
[たむら・ゆういちろう]氏

流通科学大学商学部教授

専攻分野
保険;リスク・マネジメント

学歴
昭和42年、神戸大学大学院経営学研究科商学専攻修士課程修了、平成2年、商学博士(神戸大学)。

職歴・経歴
昭和42年小樽商科大学講師、46年助教授、49年長崎大学助教授、58年教授、平成元年姫路独協大学教授を経て、11年流通科学大学商学部教授、現在に至る。
著書
「生活と保険―生活保障システムにおける生命保険」
「社会と保険―社会・文化比較の鏡としての保険」等多数
訳書
モートン・ケラー「生命保険会社と企業権力」等

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