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形状を整える「火造り」 世界に誇る日本の美の極致・刀剣に受け継いだ技術と心を吹き込む
形状を整える「火造り」 神代の時代から連綿と引き継がれた刀鍛冶の技(わざ)。玉鋼(たまはがね)を材料に、火を入れ、槌で叩き、やすり・砥石で磨く、2週間にもおよぶ長い工程を経て、ようやく完成する一振りの日本刀は、たんに頑強でよく切れるだけでなく、美術工芸品として一級の気品を放つ。およそ350人といわれる刀鍛冶の中でも、若いうちから頭角を現し、刀剣界のコンクールで10年連続で特賞を獲得。史上最年少の36歳で最高位の「無鑑査」になった吉原義一さん。「天才的」とも称される、その仕事の極意を伺った。
刀鍛冶の家系に生まれた重みを感じながら

平成16年にコンクールに出品した作品 吉原家で私は4代目の刀鍛冶です。曾祖父が昭和の初めのころに始めたのですが、戦後は一時、GHQの政策で日本刀をつくることができなくなり、家業は鉄工所に転業しました。しばらくしてまた刀をつくれるようになって、仕事が復活したわけです。父も叔父も刀鍛冶です。
 父は義人(よしんど)。日本の刀匠(とうしょう)として唯一メトロポリタン美術館、ボストン美術館、さらにフィレンツェのバルジェッロ美術館にも作品が買い上げられるなど、国際的にも活躍しています。バルジェッロ美術館にはミケランジェロの作品なども所蔵されていますが、そのなかで現代作家は父だけだそうです。
 叔父も武蔵住國家(むさしじゅうくにいえ)を名乗る、刀剣界の重鎮。海外での作刀実演を展開するほか、映画「ラストサムライ」にも出演したことがあります。
 そういう家系のなかで私は育ちました。東京葛飾区の自宅の一角に工房があり、小学生のころからそこに出入りして、刀がつくられる様子を見ていました。父の後を継いで刀鍛冶になるのは、自然の流れだったんですね。中学生のころには父たちの仕事の手伝いを少しずつするようになりました。
 ただ、本格的に刀をつくれるようになるためには、刀鍛冶として文化庁に認められなくてはいけません。18歳で本格的な修業の道に入り、刀匠の資格を得たのが23歳のときでした。
 刀鍛冶として認められると、すぐに新作名刀展(日本美術刀剣保存協会主催)に出品しました。年に一度開催される刀剣界の最大の展覧会です。最初は努力賞。それと初出品で入賞したので新人賞をいただきました。その後、3回ほど努力賞の上の優秀賞をいただき、それからは10年連続で特賞をいただいています。毎回胃が痛くなるような挑戦でしたが、その業績を評価していただいて、36歳のときに「無鑑査」という称号を得ることができました。現在、無鑑査は18人。私が16番目。いまだに最年少です。

およそ2週間の全工程は体で覚えるしかない

玉鋼の塊。この塊が鍛えられ刀へとなっていく 刀のメインの材料は玉鋼(たまはがね)といって、砂鉄を原料に「たたら製鉄」という方法でつくられる、不純物の少ない鋼です。玉鋼の材料を小割りして、炉に入れ、再び塊にするため、炉の温度を上げていくことを「沸かし」といいます。鋼を燃やさないように、ふいごを動かして、温度を調整しなくてはいけない。温度が高すぎて、鋼に火がついてしまうと、あっという間に燃えて、鋼そのものがなくなってしまいます。そういう失敗は何度もありました。
 沸かしで一つの塊になった鋼を、金槌で叩くことを「鍛錬」といいます。素材を平たく打ち延ばし、さらに折り返して2枚に重ねます。この作業を8回から10回繰り返していくのです。鍛錬することで適度に炭素量を抜いてやると、よく切れて、曲がらない硬い鋼になります。この部分を「皮鉄」(かわがね)といいます。
 ただ皮鉄だけで刀をつくると、硬いんだけれど、折れやすくなる。折れないためには、鋼は柔らかくないといけない。矛盾がありますよね。そこで、日本刀では比較的硬い皮鉄を外側に、比較的柔らかい「心鉄」(しんがね)を内側にして、くるむようにして組み合わせます。こういう構造になっているから、日本刀は「折れず、曲がらず、よく切れる」んです。

繰り返し「鍛錬」して炭素の含有量を調整する  皮鉄と心鉄を組み合わせ、それを熱して平たい棒状に打ち伸ばします。これが「素延べ」です。その後は、小槌で叩き、日本刀の形に形状を整えます。これが「火造り」です。
 だいたいの刃の形ができあがったら、「焼き入れ」をします。800℃前後で刀を熱し、その後、水で急冷します。そうすることで、鋼の組織構造が変化し、日本刀が硬くなります。焼き入れは、刀造りのなかでも失敗が許されない最も難しい工程です。

経験を重ね、自分なりの美しい刃文が描けるように

備前伝に特徴的な刃紋 焼き入れの作業は夜にやります。照明を落として真っ暗な中で、鋼の焼ける色で、温度を正確に判断するためです。どういう色だと、どのくらいの温度なのか、これを口で説明するのは難しいんですが、経験を積み重ねることでわかってきます。
 同じ刀鍛冶といっても、流派や刀の種類でも焼き入れの温度は違います。私たちの方法は、「備前伝」(備前、いまの岡山県あたりに伝わる方法)というもので、比較的低い温度で短時間に焼き入れをします。それまでの工程で炭素量を0.7〜0.8%まで調整していますから、800℃前後で焼きが入るんです。これ以上、炭素量が多くても少なくても、焼き入れ温度は高くなってしまいます。いい焼き入れができたときは、ホッとしますね。

鞴(ふいご)で起こされた火に刀身を入れる 焼き入れの終わった後でも、刃の厚みは十円玉の厚みほどあります。これに砥石をかけて平らな地を整え、さらに刃をつける工程があります。焼き入れをした後はもう金槌で叩くことはしません。
 焼き入れで重要なことがもう一つあります。それは刀の表面に浮き出る刃文(はもん)をつくることです。焼き入れをする前に、焼刃土(やきばづち)という粘土状の物質を刀身に塗るのですが、この厚い、薄いで文様をつくります。これを焼き入れしてから磨くと、美しい刃文が表面に浮き出てきます。刃文には、流派や刀鍛冶ごとに独特のパターンがあります。
 最後に仕上げをして、銘を入れて完成です。ざっと説明しましたけれど、これだけでも大変な工程であることがおわかりなると思います。うまく失敗せずにやれたとして、一連の作業で15日ぐらいはかかります。失敗をすればまた最初からやり直し。最初のほうで失敗がわかればいいですが、たいてい失敗がわかるのは、最後の工程。後で削ってみたら傷があったとか、割れていたとかですね。

極めるために挑戦は一生続く!

鍛冶職人の年季の入った道具が並ぶ作業場 若くして無鑑査に認定されましたけれど、なぜそれが可能だったのかと聞かれても、自分でもよくわからないですね。父親からは「おまえは筋がいい」とも「悪い」とも言われたことはありません。ただ、ひたすら脇目もふらず、精魂込めて、一振り一振りつくっていくことで、精進したのだとしか言いようがありません。
 日本刀は美術工芸品ですから、やはり刀匠のセンスというものが重要です。そのセンスを磨くには、頭の柔らかいうちから修業したほうがいいのですが、同時に、たくさんのよいものを見ることも大切です。刀の鑑賞会というのが毎月あるので、よく出かけていきました。
 いい刀とはどういうものか。姿かたちが美しいと同時に、よく切れるということも大切です。竹や畳表をつかって試し切りをすることもありますし、そのために私も以前は居合いを習っていました。父は高松宮殿下の前で、試し切りをしたこともありましたが、精魂込めて鍛錬・焼き入れした刀はよく切れて当たり前なのです。それがほんものの日本刀というものなんです。
 一振りつくるたびに、たしかに自分の技術は上がっていると思います。20代、30代のころと比べても、技術的な失敗は少なくなりました。ただ、作品的によくなっているかというと、まだまだですね。だから、「完成されている」とか言われると困るんです。完成しちゃったらもう終わりのような気がして。自分ではつねにまだやり残したことがある、という気持です。どこをどう変えていけばいいのかをいつも考えていますね。
 そして、作品には人柄が表れます。作品の質の良し悪しを決めるのは、最後は人間の品格というか、人間性なんだと思います。人間が変わってくれば、刀も変わってくる。20数年この道を歩んできて、技術的にはようやく、父や叔父に並んだかなとは思うけれど、それを超えるのはこれから。人間修業も含め、つねに新しいものに挑戦するという気持は失っていません。
 挑戦は一生続くでしょう。自分らしさを出しながら、この仕事を極めていこうと思っています。

プロフィール 吉原義一(よしはら・よしかず)さん

昭和42年(1967)生まれ。父、叔父ともに優れた刀匠として知られる家庭に生まれ、少年時代から刀鍛冶の道を志す。18歳で本格的な修業に入り、23歳で刀匠資格を得る。以来、新作名刀展での出品作は数々の賞に輝き、36歳で刀剣界の最高位「無鑑査」に認定される。

吉原義一(よしはら・よしかず)さん
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発行/(財)生命保険文化センター Writer/広重隆樹 Photo/福里幸夫 Editor/宮澤省三(M-CRUISE) Web Design/Ideal Design Inc.
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