WEB.08
筋のあるほんとの笑いの面白さ義理人情の真髄をどこまでも陽気に伝えたい
落語家 桂歌丸さん
毎週、日曜日の午後に日本テレビ系列で放送されている『笑点』では、ただ一人1966年放送開始以来のレギュラー。髪の毛や恐妻をネタにした笑いは、日曜夕方の茶の間をひとときほんわかとした雰囲気に包む。
もう一面では、うもれてしまった演目の発掘や三遊亭圓朝(えんちょう)など古典落語のリニューアルに持続的に取り組む芸術家。社団法人落語芸術協会会長として、日本文化の海外普及に努める人でもある。
おなじみ大漁節の出囃子に乗って桂歌丸師匠のご登場!
小学校4年生で早くもプロの落語家をめざす
桂歌丸さん  私は昭和の11年生まれ。娯楽といえばラジオくらい。漫才や寄席の番組を聴きながら育ちました。人を笑わせるのは面白い商売だなと思って、小学校の4年生時分にはもう、将来は噺家(はなしか)になることを決めていました。なんで漫才じゃないんだというと、漫才だと2人でギャラを分けなくちゃいけない。落語だったら独り占めできるってんで(笑)。
 中学3年生の2学期から五代目古今亭今輔師匠の元に弟子入りしました。当時も今も中学生の弟子なんて珍しい。掃除、洗濯から修業させられるのかと覚悟していましたが、今輔師匠は「おまえは掃除をやりに来たんじゃない」と言って、噺をちゃんと教えてくれました。最初に教わったのが、お婆さんの出てくる噺。15、16歳のときにお婆さんですからね、その頃は戸惑いましたが、今になって役に立っていますね。
 もう無我夢中で覚えましたねえ。素直に覚えている間はいいんだけれど、数年もして、少し様子がわかってくると、自分の噺をちょっとひねってみたくなる。屁理屈をこねてみたくなる。でもね、噺に屁理屈が出てくると、とたんにお客さんに受けなくなるんです。
 20歳のころ落語芸術協会(当時は日本芸術協会)の方針に反旗を翻して、師匠の元を飛び出しました。まあ、破門になったわけじゃないけれど、それに近い。寄席には出れらず、かといって、当時はカミさんもいるし、子どもも生まれていた。食うに困って、化粧品のセールスをやったり、メッキ工場に勤めたり。2年くらい落語を離れている時期がありました。
 なんとか詫びを入れて師匠の元に戻ったんですが、結局当時の兄弟子の四代目桂米丸師匠の下に預けられた。一度落語を離れて、戻ってからは、少し自分の噺が変わりましたね。とにかく陽気な噺でお客さんを笑わせるのが一番だと。そういう素直な気持ちになると不思議と受けるんですね。それからはめきめきと腕を上げまして、当時、東宝名人会という演芸公演があったんですが、二つ目で「食いつき」(休憩直後の出番。休憩で気が散った客をもう一度、寄席に引き込む重要なポジション)に出たのは私が初めてじゃないですか。
『笑点』で、庶民の声を代弁する
横浜市中区にある「横浜にぎわい座」の高座にのぼる歌丸師匠。
艶がありよく通る声で古典落語を披露し、満席の観客を笑わせる  そのころ、『金曜夜席』というテレビの番組に、立川談志さんが私を抜擢してくださって、その番組が後に『笑点』になるわけです。笑点は私が29歳のとき。それからもう足かけ43年。番組も長寿だけれど、私はその最初から出ているんですからねえ、お化けみたいなもんですな。
 笑点は大喜利が売りの番組です。「あれには、事前に打ち合わせがあるんですか」ってよく聞かれますけれど、あると思う人はあると思ってください。ないと思う人はないと思ってくださいと、否定も肯定もしないってのが、いいわけでして。
 私は世相や政治を風刺するのをよくやりますけれど、あれは、ふつうの庶民はいくら不満があっても、テレビで政治家の悪口なんて言えませんからね、私が代弁しているつもりなんです。あるとき、私が番組でそれとなく風刺した政治家と、地方公演に行く電車の中でばったり出くわしたことがあります。私と目があったら、その人「あんまり政治家の悪口を言うもんじゃない」とすごむんです。私はとっさに切り返しましたよ。「悪口言われるような政治家になるもんじゃないよ」ってね。それっきり相手は黙っちゃいましたけれど。なに、口をきかせたらこっちのほうが上手だからね、政治家なんぞには負けやしませんって。
 昨今の世相や政局を見ていますと、いろいろと笑いのネタにしたくなることが多いですな。でも、今は笑点の司会役ですから、場の仕切りもやらなくちゃいけないんで、あんまり話せない。それが残念です。
桂歌丸さん
日本の大衆文化を世界に伝えたい
桂歌丸さんよどみなく質問に答える歌丸師匠。
ときに笑わせ、ときに深く頷かせるその話は、さすが半世紀を超える芸歴を感じさせる  『笑点』は、私個人にとってほんとうに大事な番組。なんてったって、お金をいただきながら、私らの名前を日本中に宣伝してもらっているんですから。それも、いまは日本だけじゃなくて、海外にも放映されているそうですよ。この前も、外国人の女性にサインしてくれとせがまれました。「日本語わからないけれど、座布団のやりとりがコミカルで面白い」って言うんですね。
 2007年、ニューヨークに行ったときも、あるアメリカ人が楽屋にやってきましてね、「扇子と手ぬぐいの使い方」に感心したというんですね。こういうのはちゃんと伝わるものなんですな。
 落語芸術協会は文化庁の支援を受けて、海外公演を定期的に開いています。最初は在留邦人向けでしたけれど、今は日本人は3割くらいに抑えて、なるべく外国の方に生の落語を聞いていただこうと。もちろん、意味がわかるように字幕(テロップ)を一緒に流すんですが、これには最初苦労しました。英語の文法だと、結論から先に言っちゃいますよね。これじゃ「下げ」(物語の結末、落ち)が先になっちゃって、噺の運びとしては面白くない。
 その後の公演では、通訳の方に工夫していただいて、私たちの喋りと同じ順番で字幕を出すようにしてもらいました。また、語りが男性のときは青、女性は赤というふうに色分けもして。前もってお配りするプログラムには、「お花見」とか「お正月」とか、落語に出てくる日本独特の文化に絵入りの解説をつけたりしまして、外国の方もより深く理解できるように、工夫しています。
 歌舞伎、能、狂言などはずいぶん海外に行っているけれど、やっぱり日本の伝統的な大衆演劇といったら落語ですからね。これからもその文化を世界に広めたいと思っています。
 最近の寄席は若いお客さん、それも女性がぐっと増えました。なんでだろうとよく聞かれるけれど、正直いって、テレビに溢れる訳の分らない笑いよりも、筋のある、ちゃんとした笑いを好む人が増えてきたんじゃないかと思うんです。
 だから、いろんなお客さんがいらっしゃる寄席では、とにかく陽気なネタでお客さんを笑わせてくれ、楽しましてくれと、噺家のみなさんにはお願いしています。
 噺家にとっては、寄席のお客さんを育てるというか、残すのが使命。逆に、お客さんにもぜひお願いしたい。できるだけ足繁く寄席に通って、落語という日本の文化を残していただきたいとね。
抱え込んだ苦労をフィルターにかけて、笑いに変える
真打ち昇進の若手落語家のお披露目がある夜、高座での挨拶を前に羽織り袴姿になった歌丸師匠
 かつて化粧品会社のセールスマンをやったとき、「セールスマンは商品を売るんじゃない、人間を売るんだ」ってよく言われました。これは落語にも通じることです。薄情な人間には薄情な落語しかできない。人情味のある人だから、人情味のある芸ができる。まさに「芸は人なり」なんです。
 人柄が芸に表れるわけですから、そりゃ怖いですよ。今輔師匠はよく「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言いましたが、それだけじゃない。「何年か先になって、苦労したことを振り返って、そいつを笑い話に変えるようにしろ」ともおっしゃった。つまり、苦労は大事だけれど、あんまりその苦労が染み込んじゃうと、芸が暗くなる、芸に「汚れ」が出ちゃうっていうんです。
 私も小さい時に両親をなくし、その後も所帯の苦労、病気の苦労と、いろいろありました。しかし、それをそのまま芸に出しちゃいけないんですな。背負った苦労を、一度フィルターにかけて、陽気な笑い話に変える。これが噺家の仕事です。苦労話は、まくらに使うぐらいがちょうどいいんです。
 私は腰に持病がありましてね。この前手術をして背中にボルトを8本も入れています。徐々によくはなっているけれど、歩いたり、立っているときが辛い。正座しているのは楽。一番楽なのは寝ているときだけれど、寝ながら落語はできませんからねえ(笑)。
 二度目の手術を決意したのは、浅草演芸ホールで高座に上っていて、足がつっちゃったから。もう一言、二言で下げになるというときに、「痛っ、痛ったった」となって、立ち上がれませんでした。人情話でもないのに、涙流しながら下げを言ったのは、私このときが初めてですよ(笑)。
古典には、今も通じる義理人情の道理が込められている
コンサートでの三村さん(草月ホール)  弟子がいま5人います。噺を教えるのはできるけれど、「間(ま)」だけは教えられませんね。間っていうのは人によって違う。噺家として早く独り立ちをしたいのだったら、早く自分の「間」をこしらえることが大事です。「間」ってのはどういうことかと聞かれるけれど、言葉じゃなかなか教えられない。文章を書くときの、句読点の打ち方みたいなものですからね。
 現代落語だったら、今風の「間」でいいかもしれないけれど、古典だとそれだけじゃだめですね。そもそも、古典落語では言葉が違いますから。たとえばお金の勘定。一両、二両、三両、四両と数えるとき、「四両」は「よんりょう」じゃないんですね。「しりょう」なんです。
 古典とはいえ、変えていいものもある。省いていいものもある。現代に通じるものを入れなくちゃいけない場合もあります。でも、どうやっても直しちゃいけない言葉もあるんです。お客さんに聞かれたら意味もお教えしますが、その当時のままに使ってこそ、味わいが出るものがあるんです、古典には。
 私なんかでも古典を練習するとき、ここの間をどうするかなあと、よく悩みますよ。早い間にするか、それとも一拍おくか、お客さんの反応を見ながら変えていきますね。最近、夏の国立演芸場中席では三遊亭圓朝師匠のものをずっとやっています。テープを聞いたり、圓朝全集を読んだりして、それを帳面に書きだしながら、自分なりの間を詰めていく。脚本から演出から演者まで、全部一人でやるわけですから、毎年夏になると大変なんですが、まあ、これは自分の責任だと思っていますからね。
 私が古典が大事だと思うのはね、その噺のなかに、今も通じる義理人情の道理ってのが必ず込められているからです。人を騙せば、こういう報いがある。人に親切にしていれば、それがいつか自分に返ってくる。義理人情なんて、今の世の中では、みな薄くなってしまいましたけど、落語を聞きながら、いつかその大切さに気づいていたければ、ありがたいと思いますね。
プロフィール 桂歌丸さん
1936年生まれ。横浜市南区真金町の出身。生家は芸者置屋だった。1952年初高座、1954年二つ目、1968年真打ち昇進。社団法人落語芸術協会現会長。1989年芸術祭賞受賞、2007年旭日小綬章受章ほか。当初は新作落語中心だったが、現在は、三遊亭圓朝作品など古典落語に重点を置き、精力的な活動を続ける。演芸番組『笑点』(日本テレビ系列)の1966年放送開始から大喜利のメンバーとして活躍、現在では同番組の5代目司会者を務める。富士子夫人と1男1女。趣味は釣り(川、湖)、切手収集、歌舞伎観賞。

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発行/(財)生命保険文化センター Writer/広重隆樹 Photo/福里幸夫 Editor/宮澤省三(M-CRUISE) Web Design/Ideal Design Inc.
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