1967年、東京・板橋生まれ。中学時代に料理人を志し、調理師専門学校へ。卒業後、ホテルのフレンチレストランなどで約10年間、修業する。独立開業を夢見てきたものの、資金面から断念。4年間、普通の会社員を経験した後の96年、ラーメンに目を向け、荒川区に「柳麺 ちゃぶ屋」を開業。幾度も閉店しかけながら、3年目には1日500人を集客する繁盛店に。2001年、製麺機を導入するため、店を文京区音羽に移転。翌02年には、テレビ東京の番組「TVチャンピオン・ラーメン職人王選手権」で優勝。「CHABUTON」などFC店のプロデュースにも乗り出す。現在、本店のほか、表参道ヒルズに新業態の「創作麺工房MIST」を直営。斬新なアイデアと飽くなき探求心は群雄割拠するラーメン業界にあって異彩を放っている。

“天才ラーメン職人”とも“ラーメン界のカリスマ”とも評される森住さん。独創した『らぁ麺』は、スープも麺も深遠にして繊細。その1杯には気品すら漂う。だが、森住さんはこれまでに2度、大きな挫折を経験している。料理人としての人生が終わっていたかもしれない挫折を経たからこそ強まった仕事への思い――。飽くなき探究心の陰にはドラマがある。
フレンチで10年修業するも、独立開業を断念
森住 康二さん 僕は小さいころから料理人に憧れていたんです。家族でホテルに行き、フレンチを食べる。当時は、ナイフとフォークが並ぶだけでごちそう。気持ちが浮き立ちました。周囲を見渡すと、お客さんは皆、幸せそうに話しながら食べている。ゆったりと時間を過ごしているわけです。そんな中をシェフが見事な立ち居振る舞いで挨拶に回ってくる。いつも、カッコいいなあと思って見ていました。
 そんなことから中2のとき、料理人になる決心をしたんです。将来は自分のフレンチレストランを持ち、来ていただいたお客さんに料理はもちろん、店の雰囲気や給仕の仕方まで堪能してもらおう。そうやって人を幸せにするんだ。以来、それが僕の夢になりました。
 夢がイメージできたからには高校など回り道はせず、調理師専門学校に行き、そのあとはもうがむしゃらに修業、修業の日々でした。いくつかのフレンチレストランに勤め、料理と給仕を必死で学びました。血のにじむ思いとは、こんなことをいうのかと思いましたね。その結果、25歳のころには、厨房でトップを務められるレベルに達したという自負が生まれていました。
 しかし、その一方で自分の欠点も自覚しました。統率力が不足していたんです。人前で話すのが下手。アガってしまうんです。フレンチの厨房は大人数ですから、シェフの統率力は必要不可欠なのに、それが自分には足りない。また、高級なフレンチレストランほど開業の設備資金がたくさん掛かることを知りました。感覚的には分かっていたことですが、実際の金額を知って、愕然としました。僕の力では到底準備できない。雇われシェフという道もないではないけれど、オーナーの下では自分のカラーが殺されてしまいます。
 結局、フレンチを泣く泣く捨てました。10年間も努力し追い求めた夢を断念するのはつらかった。身を切られるような、燃え尽きたような感じでした。それで飲食業界から完全に身を引き、普通の会社員になりました。僕の人生で最初の、それも最大の挫折です。
 しかし意外にも(笑)、会社員生活にはそれなりの充実感がありました。気の合う同僚もいて楽しい。4年働きました。でも、何か物足りない。大げさにいえば、仕事に命を懸けている感じがしない。
 そんな中、同僚とラーメンを食べに行くたびに思い出したのが見習い修業時代の「賄い」です。コックが内輪で食べる食事。僕は何度か見よう見まねでラーメンを作りました。全員が和やかに、美味しそうに食べた。そのシーンが脳裏に蘇って離れなくなったんです。
夢かなった自分の店が風前の灯に
東京都文京区にある「ちゃぶ屋本店」  それまでの僕は、フレンチが唯一最高の料理だと信じてきました。しかし、ラーメンだって、フレンチのフルコースと同じようにお客さんを喜ばせ、幸せな気持ちにできるのではないか。そういう料理人の道があるはずだと思ったんです。ラーメンの調理なら独りでできますから、統率力は関係ない。開業資金も、フレンチレストランとは比べものにならないくらい少なくて済みますしね。
 それで心機一転、開業したのが「柳麺 ちゃぶ屋」です。「ちゃぶ屋」とは料理人の間の隠語で、「いいかげんなことをする」という意味です。僕は17〜19歳のころ、50人くらいいたフレンチレストランの厨房で下働きをしていて、そうさげすまれたことがありました。そのときの悔しさは言葉にできません。心に強烈に残りました。だから、「俺は絶対に『ちゃぶ屋』じゃない。誰からも『ちゃぶ屋』とは呼ばせない」という決意を込めて、あえて店名にしたんです。
森住 康二さん  僕のラーメンはまったくのオリジナルです。師匠はいません。他店のリサーチもしません。信じるのは自分自身の味覚のみ。最初にこだわったのはスープです。フレンチの技法を援用して試作を重ね、コクがありながらサッパリしたスープに仕上げました。それに合う麺も見つかって、もう自信満々の開店でした。自分の飲食店という子どものころからの夢が、ちょっと形が違うとはいえ、実現するんです。興奮というか気合いというか、一気に突き進むぞと。
 ところが――。来る日も来る日も、お客さんがまるっきり寄り付かない。閑古鳥が鳴くとは、まさにあのこと(笑)。人通りが極端に少ない立地でした。そんな悪条件の店舗しか、僕の蓄えでは借りられなかったんです。2日掛かりで一生懸命に仕上げたスープを捨てねばならない無念さは、料理人でないとわからないと思います。深夜、厨房で怒り狂い、泣き、途方に暮れました。
 一番きつかったのは2年目に入ったころです。相変わらず客足が伸びず、あれほど熱望した夢もしぼんで、心身ともに疲れ果ててしまいました。ガスも電気も止められそう。水道も危うい状態。もう限界かなと、ほとんど諦めたんです。このときが2度目の挫折ですね。正確にいえば、2度目の挫折をしかけた。失意のどん底でした。
 そんなとき、友人が気分転換にと誘ってくれて「東京ディズニーランド」へ行きました。不思議でしょうけれど、そこで見たものが再起のキッカケをくれたんです。
「本当にすべてをやり切ったのか?」と奮起
新メニューづくりに取り組む森住さん  園内を友人に連れ回されるまま、気がつくと「トゥーンタウン」にいました。ミッキーマウスの家ですね。よく見ると、ここには「ウォルト・ディズニーの世界観が形になってすべて揃ってるじゃないか!」。僕は感動してしまいました。思い出すと今でも恥ずかしいんですが、人目をはばからず号泣したんですよ。大の大人が!? と思うでしょ。でもね、あそこは夢に満ちあふれている。お客さんたちはいかにも幸せそうな顔をしていた。みんなが笑顔いっぱい。僕は、お客さんのそういう顔を自分の店でたくさん見たいと思ってきたんです。
 なのに、ディズニーの完璧さに比べ、自分はどうなのか。本当にすべてをやり切ったといえるのか。運転資金のやり繰りが大変なあまり、手元の調理がおろそかになっていなかったか。立地が悪いせいだとか、責任をほかに転嫁してこなかったか。そんなふうに自問したら、情けなくなってしまいました。そして、思ったんです、「俺にはやれることがまだまだ残っている! もっとやれる!」と。
 それからは、一切の妥協を捨てました。言い訳もなし。現時点で作れる最高のラーメンを提供しようとだけ決め、一つひとつの作業に愛情を込めるようにしました。食材も工程も少しずつ改善しました。たとえば食材は、客数が少ないからと、いつの間にかケチっていたことに気づきました。それではダメなんです。食材はどんどん使って回転させるほど、味もよくなる。窮状に陥っていた僕は、そんな基本中の基本まで見えなくなっていたんですね。
第二部 正油らぁ麺  いわば、再起を賭けた背水の陣――。そんな感じで営業を続けていたら、お客さんの入りがよくなってきました。それまでにじわじわと地元で浸透していた口コミの影響が現れた時期とも重なったようでした。好転し出すと気持ちに余裕が生まれて、僕の接客態度がよくなったり、新たなアイデアを思いついたりするんですね。さらにお客さんを呼んだのは、週刊誌に「旨い店」として紹介されたからです。遠方からの来店客も珍しくなくなりました。
 3年目には、それはもう大繁盛で、1日に500人の来店客を数える日もあったほどです。真剣に、一切の手抜きをせず、愛情を込めてラーメンを作り続けたおかげ。わずか1年前、苦しかったときに流したのとは違う感謝の涙を、そのころ何度流したことか。
とことんこだわり、壮大な夢を描く
ラーメンの素材を活かした表参道ヒルズ「MIST」のコース料理  僕は一生涯、真剣にラーメンを作り続ける。納得のいく1杯ができるまで、ラーメンのすべてにこだわっていく。そう固く心に刻み込みました。
 それで、スープの次にこだわったのは麺です。製麺会社に作ってもらっていたのですが、それでは心からの満足にはいたらなかった。小麦粉を自分で研究し、全国の産地も回りました。その結果、3種類の国産小麦をブレンドして自家製麺機で打てば、僕の理想に近いと分かったんです。今の『ちゃぶ屋』本店に場所を移したのも、厨房のすぐ後ろを製麺室にできるからでした。
 その製麺機でこれだという理想的な麺が完成したときには、それまでのスープを捨てました。この麺には合わないと思ったからです。2ヵ月休業して、スープの素材と工程を研究しました。仕事に手を抜かないと決めたからには、僕にとっては、そのくらいは当たり前のことだったんです。
 今、スープをとる鶏はオリジナルな地鶏を生産者に飼育してもらっていますし、麺を練るときのカンスイは100%天然の内モンゴル産ものです。安全で上質の材料を使い、愛情を込めて作った1杯を食べていただく。丼にも給仕の仕方にも内装にも、僕のこだわりを反映させてあります。ちなみに、僕は自分のラーメンを毎日食べていますが、コレステロールも中性脂肪も模範的な数値なんですよ。
東京・表参道ヒルズにある「MIST」は、らぁ麺のスープをアレンジしたコース料理などを揃える。フレンチレストラン風の店内はおしゃれだ
「ミシュランガイドL.A.2008」で紹介されたロサンゼルスの「CHABUYA TOKYO NOODLE BAR」
 振り返ってみれば、僕は挫折から這い上がってきた人間です。命を懸けられるものに出合えた幸せを感じています。ラーメンは奥が深く、広がりもあります。僕は、毎日、もっと上手に丁寧に美味しいラーメンを作りたいと考えています。たった1杯でとてもリッチな気分になれるラーメン。この店に来て、これを食べて本当によかったと全員に思ってもらえるもの。それが目標です。そのためなら、これまで大事にしてきたものを壊す勇気だってある。決して守りには入りません。いつか、その目標に到達したい。
 また、その一方で、ラーメンを提供する空間とサービスを一流レストランの世界水準に高めたいと願っています。フレンチレストランを日常的に利用しているようなお客さんが自然に受け入れられるラーメン店。渋谷・表参道でやっている「MIST」で追求しているのは、まさにそれです。海外へ出て行くための第1歩と考えています。ラーメンの食べ方のマナーまで創造できたらと思うんです。僕が米国・ロスアンゼルスでプロデュースした店が「ミシュランガイドL.A.2008」に紹介されました。ラーメン店が「ミシュランガイド」に載ったのは世界初らしいのですが、僕の目からすればまだまだ。それも「星なし」ですからね。載るのが早すぎた。僕がイメージする店はロス店のレベルをはるかに上回るものなんです。世界に誇れる日本発の料理・ラーメンの可能性は無限大だと思っています。
発行/(財)生命保険文化センター Writer/須田忠博 Photo/福里幸夫 Editor/宮澤省三(M-CRUISE) Web Design/Ideal Design Inc.
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