WEB.04 好きだから勝ちたい。勝ちたいから努力する ―――才能だけではトップになれないプロ棋士の世界―――
将棋棋士 渡辺 明さん
偶然性が低い、頭脳勝負のゲーム――将棋。素人目には、何手も先まで読める才能が全てのように思えるが、そうではないと渡辺明竜王は断言する。日々の研究努力や心理コントロールが戦績を左右するという。今、20代のプロ棋士ナンバー1と評される渡辺さんが語る勝負師の仕事観はいかにも人間味にあふれ、将棋と縁のない者にもなるほどと頷ける点が少なくない。
タイトル獲得後、初めて恐怖を感じた
渡辺 明さん 昨年12月、「竜王」の4連覇(「竜王」戦では新記録)が達成できてほっとし、その余韻にひたっていたら、いつの間にか(笑)、もう夏。10月から「また始まるんだな」と今はそんな感じでいます。5連覇すると引退後に「永世竜王」を名乗れるんですけれど、それは30年先か40年先のこと。あまりピンときません。しかし、ひとつのチャンスではあるので、これから気合いを入れようと思っています。
 タイトル戦に向けての準備や心境についてはしばしば質問されます。私の場合、初戦の約1か月前から準備を始めます。つまり、対戦相手がトーナメント戦を制して決定したあとです。相手の最近の指し方を研究しながら、こちらの作戦を立てます。もちろん、本番では作戦通りになどなりません。しかし、事前の研究にはある程度の効果が期待できます。同時に、ほかの対局を通じて勝負勘というか、「勝ち」に持っていく調子を整えるようにします。
 心境の点でいうと、タイトルを取る前と取った後とではかなり違うものになりました。恐さや不安を感じ始めたんです。以前は、恐いもの知らず。強い棋士に無欲で挑めた。失うものがない強さというやつです。ところが、いったん一冠でも取って追われる立場に立つと、「竜王」の地位から落ちる恐怖感が襲ってきた。タイトルをかけた7番勝負が始まると、恐くなるときがあるんです。
 7局を3か月近くかけて戦いますから、1局と1局の間が10日から2週間。その空いた間には「竜王」戦以外の対局もあって、余計なことを考える(笑)時間がたくさんある。だから、負けた悪夢で目が覚めるなんてことも、これまでにはありました。勝負師の境地としては、まだまだ甘いんです(笑)。
努力するからトッププロでいられる
第78期棋聖戦五番勝負の第4局で佐藤康光棋聖と対戦する渡辺竜王。
(2007年年7月6日山梨県甲府市「富士屋ホテル」) 将棋は、5〜6歳のときに父から教わったのがキッカケでした。面白くて仕方なかった。10歳で「奨励会」に入りました。それはイコール、プロ棋士を目指したということ。「奨励会」とはプロ棋士養成システムと呼ぶべきもので、毎月2回、1日に3局の実力戦を行います。その成績で昇級・昇段し、4段と認められれば、晴れてプロの資格を与えられます。
 自分よりも強い人と指したい。打ち負かしたい。その一心でやってきました。しかし、いつも勝てるわけではない。負ければ悔しい。悔しいから、勝つための指し方を勉強する。先を読む手数も増やしていく。まさに、のめり込むという感じでした。
 その結果、中学2年の終わりに3段までいきました。そのとき、中学生のプロ棋士は過去に3人しかいないと聞いたんですね。ならば、それを目標にしようと。本当に、恐いもの知らず(笑)。がむしゃらに頑張りました。幸い目標を達成でき、高校入学と同時にプロ棋士生活に入ったんです。
 将棋は、才能と努力の両方がそろわないと強くなれません。スポーツや芸術に似ています。「奨励会」に入ってからは誰も教えてくれませんから、自主的な勉強を怠けずにどれだけ続けられるかにかかっています。勉強するかどうかは全くの自己責任です。それはプロになってからも同じ。むしろプロになってからのほうが、相手は強い人ばかりになりますし、戦績は収入に結びつきますから、もっともっと厳しくなります。プロになれても、まともに食べていくのは大変なんです。
「負け」を引きずらないメンタル管理が大切
渡辺 明さん 私にとって将棋は、仕事である以上に人生そのものです。費やしてきた時間が、ほかのことよりも圧倒的に多い。今後、特別なことがない限り、それは変わらないと思います。現役でこれから30〜40年、将棋を指していくでしょう。その間、棋界である程度の位置をキープしたい、勝負に負けたくないという気持ちは強いです。負けたら、単純に面白くないし(笑)、負け続けでは心理的にやっていけません。だから、戦型や戦術、対戦相手の得意技などを日々研究し、勝負勘を養うようにもしなければならないんです。
 ところが、トッププロの中で対戦し続けていると、相手も強いですから、結構負けてしまうんですね。高校生のころは年間7割5分くらいの勝率だったのが、「竜王」を取ったころからは6割程度。対局の4割は負けているわけです。この「負け」というものから何を学ぶか。どれだけ学べるかが大事なんです。学んだものが、同じ相手と次に対戦したときに生かせるんです。
 また、負けたことに挫けないメンタル管理も大切です。挫けていると負の連鎖が起きて、いいことは何もありません。トッププロには週1〜2回のペースで対局の場が設けられているので、「負け」を引きずらず次の対局に立ち向かえるように気持ちを切り替えなくてはいけません。そういうメンタル面での自己コントロールは「奨励会」時代からの経験で培われます。「負け」に慣れながら実力を上げてきた人こそがプロ棋士になることができ、なおかつプロ棋士を続けられるともいえるんです。
 この点はどの世界でも当てはまるのではないでしょうか。好きなはずの仕事を辞めてしまうのは、“うまくいかないから投げ出した”というパターンが多いように思えます。どんなことでも、ずっとうまくいくなんていうことはありません。だから、うまくいかないときにその理由を考え、次にはうまくいくようにする。その前提として気持ちの切り替え、メンタル管理をする。何かの道で一定レベル以上になるには共通している点だと思います。
100年後でも名前の挙がる棋士になりたい
渡辺 明さん 将棋は一手一手の指し方の精度を競うゲームだと私は考えています。より正しい判断で指したほうが勝つ。ならば、正しい判断ができる確率を上げよう。私が勉強やトレーニングに励む根拠はそこにあります。正しい判断のできる確率が6割の棋士よりは7割の棋士のほうが、年間の勝率では上回るはずなんです。
 どんなに優れたトッププロでも対局中にミスを犯すことはあります。それに、1手ごとに変わる展開の全てが見えているのでもありません。そうすると、対局中に必要なのは闘争心と粘り強さということになります。たとえミスをして劣勢に立たされたとしても、勝つチャンスが先にあることを信じて指し進める。将棋は勝つまでのハードルが高い複雑なゲームですから、相手だって途中でミスをするかもしれない。決して諦めないこと。これはどんな対局においても心掛けている点です。まあ、諦めずに粘る裏には、同じ相手と繰り返し対戦するので、甘く見られないためという魂胆も働いてはいるんですけどね(笑)。
 考えてみると、プロ棋士は孤独な職業です。コーチはいません。独りで努力しなければならない。その努力はしてもいいし、しなくてもいい。そんな努力と勝負師人生を今、陰で支えてくれているのはやはり妻子です。妻は伊奈祐介6段の妹で、昔は女流プロ棋士を目指していましたから、棋界のことはよく承知してくれています。妻子を養っていく上でも勝たねばならない。モチベーションのひとつになっているのは確かです。
 しかし、そういう意味とは別に、私には密かな願望があります。数十年後、100年後でも世の人々に記憶され、名前を挙げてもらえるような大きな棋士になりたいんです。それには強さと個性の両方を兼ね備えねばなりません。非常に難しいことです。しかし、難しいから頑張るエネルギーが湧くということもあります。それは、闘争心と言い換えてもいいでしょう。生きる意義ともいえます。私にとって将棋は人生そのものなんです。
プロフィール 渡辺 明さん
渡辺 明さん1984年、東京・葛飾区生まれ。9歳で小学生名人戦に優勝し、10歳で「奨励会」入会。2000年、史上4人目の中学生プロ棋士になる。03年、「王座」に挑戦するも、羽生善治に惜敗。このとき19歳。タイトル初挑戦としては史上3番目の若さだった。04年12月、棋界最高峰の「竜王」を森内俊之から4勝3敗で奪取。以降、4連覇中。居飛車穴熊(飛車を振らず、玉を左の隅に囲う陣形)からの攻めを得意とし、現代的な実戦感覚に優れるとの定評がある。21歳7カ月で9段の資格を得た最年少記録は今も破られていない。趣味は競馬とTVゲーム。ブログは、gooブログのアクセスIP数ベスト10に入る人気ぶり。著書に『四間飛車破り』(全2巻)、『ボナンザVS勝負脳』(共著)、『頭脳勝負』などがある。

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*竜王戦の過去の対戦などを掲載している。
発行/(財)生命保険文化センター Writer/須田忠博 Photo/足達倫弘 Editor/宮澤省三(M-CRUISE) Web Design/Ideal Design Inc.
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