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今やその姿を目にしない日はないほど、テレビをはじめ様々なメディアで活躍する假屋崎省吾さん。“タレント”としての華やかで強烈な個性に誰もが目を奪われる一方で、「華道家・假屋崎省吾」としての素顔は、あまりにも純粋、一途だ。華道にかける情熱と厳しさには、接する人の誰もが、思わず襟をただす“仕事人”としての凛とした空気が漂う。花をいけ、花に生きる華道とは果たして何か。超多忙な中、假屋崎さんの仕事場である「花・ブーケ教室」で語ってもらった。
私は、平成の“花咲かおネエMANS(おねえマンズ)”
「花・ブーケ教室」で假屋崎華道の流儀を学ぶ生徒たちと
  私にとって花をいけるということは、“生きている”ことを感じるということなんです。例えば、お花の教室で生徒さんたちと様々なコミュニケーションが生まれます。老若男女を問わず、お子さまからお爺さま、お婆さままでいろんな年代の方がいらっしゃいます。教室がきっかけで、そこに愛が生まれて結婚をされるカップルもいます。結婚式の時にはウェディング・ブーケを作って差し上げることもあります。
 ある日、私の展覧会に80歳近いお婆さまがお見えになって、「去年、50年連れ添った主人が亡くなりました。それ以来、笑うということを忘れてしまいました」と話されました。トーク・ショーの後、私が本にサインをして握手をさせていただくと、「やっと笑顔が戻りました。生きるって素晴らしいですね」と、涙を流してくださった。
 若い人でもね、「美しいものが枯渇している今の時代に、こうやって本当に美しいものを見せてくださってありがとう」と、展覧会の会場で泣き出しちゃうお嬢さんもいらっしゃるんですよ。泣いたり、笑ったり、愛したり、悲しんだり。人が、生きている瞬間を感じるときですね。花を通してそのシーンに出会うこと、それが私の仕事なんです。
 自分で言うのもおこがましいけれど、私は“平成の花咲かおネエMANS”だなと。灰を枯れ木に撒いて花を咲かせるお爺さんの昔話があるけれど、自分のやっていることも、そういうことなんじゃないかなと。だから、命ある限り、私は花をいけ続けていくんだなと思います。
大切な人たちが、今の自分を育て、救ってくれた
假屋崎省吾さん
 花を好きになったきっかけは両親ですね。両親とも大の園芸好きで、小さな庭だけれども、庭にはいつも花を欠かすことがありませんでした。私も子どもの頃からそのお手伝いをするようになって、花を育てるのが好きな園芸少年になりました。大学に入った頃にテレビで、咲いたお花を器にいけている場面を見たんです。それまでは栽培をするだけだったので、「ハサミで切って器にいける」ということがとても面白そうに感じたんです。それで、華道教室に入ったら、すごく奥深い世界で、先生に習い、自分でもいけ、いろんな展覧会を見るうちに、自分でも個展をやってみたくなりました。
 そして、個展をやったことが、この道に入る一つの大きなきっかけになりました。 最初は、投資の繰り返しですよね。好きでやっているだけなので、お金がかかってしまう。会場を借りる費用や、人件費で何百万円もかかるんです。そのとき援助してくれたのは、母親でした。
 いただいたお仕事を一つひとつ的確に、また相手のことを考えながら、お金のことは二の次にしてずっと必死にやらせていただいたことが、今日の信用というものに繋がったのだと思います。絶えず新しいことにチャレンジし続けたことで、今の自分があるんです。仕事術といっても、結局はコツコツとやり続ける、その積み重ねなんですよね。
 花を育てる楽しさを教えてくれ、自分がこの道に入るきっかけを与えてくれた両親ですが、父は私が学生の時に亡くなり、それから十年ほどは母と一緒に暮らしていました。ところが今度は母がパーキンソン病になってしまいました。
 華道家としてようやく独り立ちできるようになり、母のためにと思って新しい家を建てたのに、その家に引っ越す前日に、母はこの世を去ってしまったのです。
 私は、何でこんなことになってしまうのだろうって悲しみに打ちひしがれていました。そんな時に、渋谷の小劇場「ジャンジャン」で見たのが美輪明宏さんのコンサートでした。すっかり美輪さんの魅力の虜になってしまって、それが悲しみから立ち直るきっかけになったんです。その後、美輪さんには、「美をつむぎだす手を持つ人」というありがたいお言葉をいただいたりもしました。
 美輪さんは命の恩人であり、人生の師であり、本当にかけがえのない方。美輪さんの美意識や生き方を学ばせていただいたことも、私の今をかたちづくる一つの大きな要素になっていると思いますね。
花とは、自然界が生み出した“美”
假屋崎さんのスケジュール表には、細かい字で分刻みの予定がいっぱい。教室、展覧会、テレビ出演、書籍執筆と、同時進行の案件を同時に処理できる、たぐいまれなる集中力の持ち主だ
 花をいけるとき、忘れてならないのは、まず花というもが、自然界が生み出した、それ自体完成された“美”だということです。花をいけるというのは、その自然の美を使って、人が新たにもう一つの“美”を創り出すということなんです。
 花の美しさを引き立たせるためには、空間を意識しなくてはいけません。余白の美ということです。それは、書道にしても絵画にしても同じことがいえます。例えば狩野派の豪華な作品にしてもそうです。金地、銀地の上に大胆な松の構成、そして足元には可愛らしい草木が描かれていたりと、そういう余白の美がありますよね。それに加えて花というものは立体ですから、空間の美も大切です。奥行きもあれば、横幅もあり、天井高もあります。昔は床の間という決まった場所にいけていたのが、今はいろんな空間にいけるようになりました。まず、いけるための空間ありきなんです。
 「空間の芸術」などというと大上段な話になりますけれど、どんなご家庭でも、例えば何かを棚に飾ったりしますでしょ。そのとき誰もが余白の美ということを意識しているのだと思います。
 ただ、花というものは自然界からいただいたものですから、命に限りがあります。つぼみが咲きほころび、花びらも一瞬一瞬形を変え、最後には、はらりと散り落ちてしまう。彫刻だったら完成してしまえば、半永久的に形を変えませんけれど、花はそうはいかない。逆にいえば、刻一刻とその形を変えていくところに命の宿りを感じ、なおかつ最後は消え去ってしまう。その“はかなさ”にこそ、美を感じるわけです。その感性は優れて日本的なものだと思います。
花の持つ力、花を感じる心
「花は心のビタミン」(東京書籍)
華道家生活25周年記念、本人書下ろしの61編の最新エッセイ集。天才華道家・假屋崎省吾の幼少期からの知られざる側面を明かすエピソード満載
  花をいけることを「辛い」と思ったことは一度もないですね。風邪で39度近い熱があっても、仕事でいけなくてはいけないこともあります。そうすると、いけ終わった後は、あんなにあった熱がスッと下がっているんですよ。花にはそういうパワーがあります。人を癒す力があるんです。病院のお見舞いの花も、そういうものなんですよ。患者さんが回復していくのと同時に、花は枯れていく。病気のマイナスのパワーを、花が全部吸い取ってくれる。とても不思議です。
 花は感動も与えてくれます。先日も、京都でお花見をしてきました。金閣寺のちょっと上の方、原谷苑(はらだにえん)というまだあまり知られていないところ。街中よりもちょっと遅れぎみの桜です。白い雪柳が咲き、黄色いレンギョウも色を添え、そこに枝垂れ桜の濃い色あり、ソメイヨシノの薄い色ありと、もうまさしく桃源郷というか、幻想的な雰囲気がなんとも素晴らしい一日でした。それから円山(まるやま)公園の枝垂れ桜も見ました。花も終わりの頃合でしたけれども、それでも一生懸命に力を振り絞って咲いている。そういったものを見ると、すごく幸せだなと感じるんです。それを素直に美しいと思える自分に、幸せを感じるんです。
 花をいけるのには、実は能書きなんていらないんです。大切なのは、素材を活かすこと。例えば、この部屋に桜の枝が何本もありますが、枝の線は一つひとつ全部違うわけですよ。そのありのままの良さを生かすこと、それが私の目指す華道です。成功とか地位とか名誉とか、そういうものは余計なことです。ただ、感動さえあればいい。花の美しさに感動しなくなったら人生終わりですものね。
假屋崎省吾さん プロフィール
華道家。假屋崎省吾花教室主宰。美輪明宏氏より「美をつむぎ出す手を持つ人」と評される。著書に『花筺』『花暦』(メディアファクトリー)、『カーリーの美しくやせるレシピ シークヮーサーダイエット』(主婦と生活社)『カリスマ・カーリーの幸せの美学』(マガジンハウス)『花はこころのビタミン』(東京書籍)他、多数。現在TBS「中居正広の金曜日のスマたちへ」、日本テレビ「おネエ★MANS!」にレギュラー出演中。テレビ・雑誌・新聞など幅広い分野で活躍中。

【イベント情報】
「華道歴25周年記念 假屋崎省吾の華麗なる世界〜バラの円舞曲(ロンド)〜」
5月30日(金)〜6月30日(月)
パレス ハウステンボス館内 
お問い合わせ・ご予約 ハウステンボス宴会予約課 TEL:0956-27-0545

「華道歴25周年記念 新宿高島屋『假屋崎省吾の世界展』」
9月17日(水)〜9月23日(火)新宿高島屋にて

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假屋崎省吾さん

発行/(財)生命保険文化センター Writer/広重隆樹 Photo/足達倫弘 Editor/宮澤省三(M-CRUISE) Web Design/Ideal Design Inc.