WEB.01 職人芸術の最高峰を見ていたい
―――同じ場所で同じ空気を吸える至福のとき――― 
料理評論家 山本益博さん
料理評論家の山本益博さんは、25年以上も前に東京の飲食店格付けガイドを上梓し、料理界に旋風を巻き起こした。以来、多数の著書をあらわしてきたが、著作の中には料理と無縁のものもある。共通するのは「最高のプロへの人間としての興味」。プロフェショナルを凝視し続けるプロなのだ。「実際に職人技と向き合うことにこそ意味はある」と言う山本さんの視線の先には、何が見えているのか。そして料理評論家として、これから何を目指すのかを聞いた。
もろもろの思いを喚起させた「ミシュラン」の日本上陸
山本益博さん 去年11月、『ミシュランガイド東京2008』(飲食店を星の数で格付け表記するガイド本。フランス版は約100年の歴史を持つ)が発売されました。楽しみにしていたんですが、フタを開けて驚きました。150店にも星が付いている。信じられなかった。ずいぶん緩いというか、水増しの評価をしたものだと思いました。同時に、隔世の感も抱きました。
 私が1982年に『東京・味のグランプリ200』を出したときには賛否両論が渦巻いたんです。店に格付けをするとは神をも恐れぬ仕業というお叱りを頂戴したり、個人の好みを押しつけるとは何事だという非難もありました。しかし、それは的外れなんです。江戸っ子は食べ物や店、役者などさまざまなものに番付を施すのが好きで、昔は普通に行われていたこと。また、私が付けた星の数は私の好みによるのではなく、料理職人の仕事の内容を食材の選定・活かし方や味、盛り付けのセンス、メニューの揃え方、おもてなしの仕方などの点から評価した結果なんです。当時から愛用していた『ミシュラン』フランス版の姿勢と方法を援用させてもらったわけで、品格ならぬ“店格”をありのままにまとめたにすぎません。それなのに、あの騒ぎ。あの誤解。さらに言えば、フランス版と同じ基準でそのころの東京を評価したら、三つ星を付けられるフランス料理店など1軒も見つからなかったはず。ですから、私の目が黒いうちに『ミシュラン』が東京へ進出するなどとは夢にも思っていませんでした。
 私は2000年に格付けガイドを出すことを止めました。しかし、こうして『ミシュラン』東京版が毎年出るとなったからには、もう1回だけ私独自の東京飲食店ガイドを『ミシュラン』の調査と併走してまとめようと思うんです。自分の目と舌を使って。それが35年以上も『ミシュラン』フランス版を利用して食べ歩きさせてもらったことへの感謝と責任ではないかと考えるからです。
分野を問わず職人仕事の完璧主義者が私を魅了する
山本益博さん 私は、“思い込んだら命がけ”という言葉を地でいく人間です。中学から高校にかけてはクラシック音楽にのめり込み、「大学に合格するまでは一切聴いてはならん」と親から厳禁されたほどでした。そのあと大学に入ってからはクラシック音楽に戻るのではなく、伝統芸能に目が向きました。中でも落語に興味を持ち、大学4年間は寄席通いの日々。桂文楽の名人芸にはまり込んだんです。そんなことから、卒業後は落語関係の執筆やプロデュースを仕事にしました。
 しかし、文楽亡きあとの落語にはのめり込めなかった。スーッと冷めていったんです。そんな中で出合ったのが辻静雄さん(戦後、真のフランス料理を初めて日本に紹介)の本でした。最高峰のフランス料理と、それを作るシェフたちに魅了されてしまった。何度もフランスに行って三つ星レストランを食べ歩きました。それからです、「毎日外で食べていれば食っていけるという不思議な職業」である料理評論家になったのは。
 落語の名人と三つ星レストランのシェフ――。両者の間には何のつながりもないように見えるかもしれません。しかし、どちらも職人仕事の完璧主義者なんです。私はそういう人に惚れ込む性質(たち)らしく、“本物にして最高”の職人を知りたくて仕方がない。うずうずする。
 だから、分野は関係ありません。オーケストラ指揮者ならドイツのカルロス・クライバー、野球ならイチロー選手、てんぷらなら早乙女哲哉さん(東京・茅場町「みかわ」の主人)、すしなら小野二郎さん(東京・「すきやばし次郎」の主人)に行き着き、彼らの最高のパフォーマンスを見るため毎日でも音楽ホールへ、球場へ、お店へ通い続けたい。実際には無理な話ですけれど、気持ちはそのくらいなんです。
本物の最高職人を知っているからこそ
山本益博さん 私の料理評論は辛口だという人がいます。しかし、それは“本物にして最高”の職人を知っているからであって、中途半端は嫌なんですね。つまらない。つまらないものは心に残らない。それだけのことなんです。
 たとえば、「すきやばし次郎」でこんなことがありました。常連さんが88歳の母親を連れてきたんです。いつも、すし屋では3個か4個で、もうお腹いっぱいという人。その人が二郎さんのすしを15個食べた。その理由はすばらしいタネとふんわりとした握りだったからだけではないんです。二郎さんが最初に出した握りはほかの人と同じだったけれど、その食べ方、手に持っている時間や口の中に入っているときの状態を見て、2個目からは小さく握っていたんです。しかも、脇でタネを切っていた二郎さんの息子さんは、父親が手にした酢飯の少なさを察知して、それに合うようにタネを小さめに切って渡していたというからなおさら驚きました。
 どのお客さんにもおいしく食べてもらえるようにと、料理の完璧主義者はそこまでのことをさり気なくやってしまう。絶対に一方通行の押しつけはしないし、観察力も鋭い。すごいなあと思います。そういう人を見ている時間が、私には充実の時間なんです。その人と同じ空気を同じ時間の中で吸っていること自体が生きている喜び。83歳の小野二郎さんと34歳のイチロー選手という、50歳も年の隔たりがある完璧主義者を同じ時代に見られるなんて、こんなに幸せなことはない。彼らが走っている間は追い続けなくてはもったいないと思ってしまうんです。
料理人とのコミュニケーションから本質に迫る
『ミシュランガイド東京2008』で三つ星を獲得した「すきやばし次郎」で。(左から)フランス南部の街ヴァランスにある三つ星レストラン「ピック」のマネジメント担当ダヴィッド・シナピアンさん/「ピック」シェフのアンヌ=ソフィー・ピックさん/「すきやばし次郎」店主小野二郎さん/イタリアの街ルバーノにある三つ星レストラン「レ・カンドレ」オーナー・ラファエレ・アライモさん/山本益博さん 料理はどんなお店でも1対1のコミュニケーションの世界です。料理人は食べ手を意識して作り、食べ手はそこで食べなければ分からない。つまり、料理人とのコミュニケーションはおいしく作ってもらったものをおいしく食べるという、至極当たり前のルールの上に成り立っているんです。このルールを踏まえないと、料理人の心の内にある哲学や美学、パフォーマンスの本質が見えてこない。料理人との充実していて楽しい緊張関係は生まれないんです。
 ところが、大体の人はそのことを分かっていません。
 たとえば、そばを食べるとき、徳利のつゆと薬味を全部入れてしまう。それでは、そばの風味なんか飛んでしまうんです。刺身も、最初は鯛やスズキといった白身魚を何もつけずにいただくもの。魚本来の味を堪能し、塩味が必要だったら、しょう油を箸の先につけるくらいでいい。しょう油がほんの少ししか出てこないのは、そういう食べ方をしてほしいという料理人からのメッセージなのに、さっさとワサビを溶いでマグロから食べてしまう。そのあと、脂の浮いたしょう油にどっぷり鯛をつけたら、せっかくの鯛が台無しになることに気づいていない。
 私はおいしい食べ方を諸先輩や料理人たちから教わり、文章に書いたり話したりしてきました。しかし、それが全然伝わっていかない。私の仕事で一番悲しいのはここなんです。
  まあ、それはともかく、いかにして料理人とコミュニケーションを図り、心が通じ合ったという感動をたぐり寄せるか。それには、おいしくいただくというルールを実践するほかに、料理人の心を揺さぶるコメントを返すセンスが必要です。真面目一辺倒で何度もお店に通えばいいというものじゃない。
 今から何年か前、イタリアの田舎にある古い街のレストランで私はこんなことをしてみました。その店のシェフは28歳という史上最年少で『ミシュラン』の三つ星を取ったという料理人。すばらしい料理が出ました。チョコレートのデザートも凝っていて、1皿の中で赤ん坊から年寄りまでの人生を演出していた。とってもオシャレな仕上がり。私はもう感動して、どうしてもシェフに会いたいと思いました。しかし、三つ星レストランのシェフは、呼んだところで姿を見せてくれるわけがありません。そこで、どうしたか。真っ白の皿と、とろとろのチョコレートを持ってきてもらい、その皿にチョコで「Bravo!(ブラボー!)」と書いてシェフに見せてくれるように頼んだのです。そうしたら、シェフが厨房から飛んで出て来ました。「こんな洒落っ気はイタリア人にもない」と言って、いっぺんに仲良くなれた。こういう一瞬が私には至福のときなんです。おいしく食べるとは、料理人とのコミュニケーションまで含めてのものと私は考えています。
今後最大の仕事は若手料理人への伝達
山本益博さん 私も、いつの間にか今年で還暦です。これから5年先、10年先の仕事のあり方を考えたとき、一番大事なものとしてやっていきたいのはやはり、きらりと光る若い料理人の発掘です。極々少数ですが、原石は見つかると思っています。20代のうちから驕(おご)らず謙虚に食材やお客さんに敬意を払いながら精進する人であれば、私が料理人から受けた恩恵、料理の伝統、おいしい食べ方など全てを伝えたいんです。すなわち、メッセンジャーですね。そして、できるものなら、そういう逸材の第一発見者になりたい。そのために、これほど長い間、お店で食べてきたと思えるようでありたい。そう考えています。
 また、発掘した人材がマスコミの悪影響で変に曲がらないようにするつっかえ棒役の“師匠”のひとりになれたら、などと生意気なことも思うんです。情報過多は道を過(あやま)たせる元凶にほかなりません。せっかくの才能が名職人になる前に枯れてしまう危険性をはらんでいます。この人に叱られたら、怖い。だから、良い仕事をしよう。そう見なされる存在になれれば本望ですね。
山本益博さん プロフィール
山本益博さん1948年、東京・浅草生まれ。早稲田大学第2文学部演劇科を卒業した年、卒論がそのまま『さよなら名人藝―桂文楽の世界』として出版される。以後10年、落語や大衆芸能に関連した業界で仕事をする。その間、幾度も渡仏し、三つ星レストランを食べ歩く。82年、『東京・味のグランプリ200』で料理評論家の道へ。その翌々年に出版された『グルマン 東京・関西フランス料理店ガイド』とともに料理界に大きな影響を与えた。2001年には、長年にわたるフランス料理紹介の功績が認められ、同国政府から農事功労勲章シュヴァリエを受勲。「おいしい物を食べるより、物をおいしく食べる」をモットーに私塾やボランティア活動を行ったりもしている。『至福のすし「すきやばし次郎」の職人芸術』『そんな食べ方ではもったいない!』『「3つ星ガイド」をガイドする』『プロフェッショナルの本領』『イチローに学ぶ 失敗と挑戦』など著書多数。
発行/(財)生命保険文化センター Writer/須田忠博 Photo/足達倫弘
Editor/宮澤省三(M-CRUISE) Web Design/Ideal Design Inc.
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