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最終回 もはや物を作る時代は終わったのか
作家・医学博士 米山公啓エッセイ
 戦後の混乱の時期から、多くの企業は物作りによって日本の経済を復興させ、世界一の企業にまでなってきた。
  ところが今回の経済危機によって、日本の優良企業も、危機的状況に陥っている。
  ついこのこの間まで、最高収益を上げていたのに、まったく信じられないことだ。
  予期できないことが起こるのが、現実の社会であり、あり得ないことはない、つくづくそう思う。
  これほどの経済的危機であっても、多くの人は、きっと経済状況が回復すれば、再びいまの
消費社会が戻ってくると信じているであろうし、企業もそれを見越して再建に取り組んでいる。
  しかし、私にはどうもそうは思えない気がしてしかたがない。
  つまり、新しい物を作って売るという従来の企業のやり方に限界があるのではないか、 あるい
はそういう物作り時代の終焉なのではないか、そんな思いが強くなってきている。
  物が作られるということは、それを消費しなければ、経済が回っていかないので、消費 社会
でなければ、経済が活性化しない。
ところがそれを否定するような状況がじわじわと起きていたのだ。
こんなに増えてしまったiPod、IPhone(by yoneyama) アップル社がiPodを市場に出してきたとき、それがどんな意味を持つのかあまり理解できないでいた。
  多くの日本人は、自分の手持ちのCDをiTunes(アイチューンズ)というソフトを使い、iPodに入れて聴いていた。
  CDより取り扱いが楽でいいと思い、使っていた。ところが、iPod自体は、従来の技術でだれでも作ることができたメカである。事実、iPod以前に同じようなメカが売られていたが、大きな流れにはなっていなかった。
  つまりiPodの登場は、音楽をダウンロードするということに革新的な意味があったのだ。
  日本は音楽の著作権の問題があり、音楽をダウンロードして聴くという新しい仕組みを作れないで出遅れてしまった。
  もちろん日本では携帯電話にダウンロードするという習慣のほうが若者に受けてしまったせいもあるのだろう。
  それでもすべてのレコード会社を同じプラットフォーム上でダウンロードできるようにはしていないし、売れている新曲はむしろダウンロードできない物が多い。
  日本のメーカーはiPodの改良版のような商品開発を急いだが、問題は物ではなく、音楽をダウンロードするという仕組みこそが、まさに革新的であった。 
  だからいくら物で追いつこうとしても、iPodには対抗できなくなってしまった。
  これはまさに物作りの時代の終わりを感じさせる。
  パソコンも付加価値を追求して、高性能なものを作っていたが、アジア製の5万円ノートパソコンが出て、状況は変わってしまった。
  付加価値をつけて、高級品を買わせるという仕組みがすでに時代遅れになってしまったし、パソコンという基本的な仕組みは何も変化していないことを、ユーザー側がすでに十分にわかっていたのだ。
  車も高性能を追求していけば、省エネとは相反する物になっていき、ユーザーが離れてしまった。
  つまり高性能、小型化、付加価値といった物作りを、ユーザーは求めていないのだ。いまあるインターネットという仕組みは、パソコンをいくら改良したところで、使いやすさは変わらない。薄型テレビをいくらいじって高画質にしたところで、いったい何を見ろというのであろうか。
  ユーザーはすでにその高性能の商品を売りつけられることに辟易しているのだ。
  もっと面白いテレビ番組が見たいと思ってるし、いまのパソコンではない別のもっと家電のように使えるパソコンを求めているのに、そういったものは出て来ない。
  欲しいのは私たちがわくわくするような新しい仕組みであって、立体テレビ、超高画質テレビ、1万曲入る音楽再生装置ではないのだ。
  企業は人間の欲望は果てしないから、それに応えるように商品開発をしていけば、永遠に売れていくと思っているのではないだろうか。
  ある臨界点を越えると、急に人は高性能ということに興味を失ってしまうように思える。
  これは選択が増えると満足度には限界があり、かえって下がってしまうことに似ている。
  満足させなければいけないのは、人間の欲望ではなく、希望なのだ。
 いまの政治がもっとも失っているのは、希望である。人間が生きて行けるのは、明日という希望を感じることができるからである。
  新しい物を所有することが、希望を感じられないことを知ってしまった現代人は、いまこそ、希望を感じられる新しい仕組みを欲しがっている。
  それに応える何かを、政治も企業も作り出せなければ、本当の意味で新しい時代は訪れないように思う。
  医療も同様であり、治らない痛みや、手足のしびれが続けば、医療に限界を感じる。欲しいのは希望であるがそんな状況では、医療がどこまで生きる希望を与えているか疑問である。
  最近、私も講演会のチャンスが増えてきたが、内容は医療関係のものが多いが、せめて講演会を聴きに来た方に、希望を与えられる内容にしている。
  先日、テレビ局の制作会社の人が、新番組の企画で相談にきた。
  私は「もうバラエティ番組やクイズ番組はいいから、もっと見る側に希望を与えられる番組を作ってはどうか」そんなアドバイスというか注文をつけてみた。
  今回の経済危機は、私たちの価値観を大きく変えた。
  だからこそ、まったく新しい仕組みを作り出す大きなチャンスだと思うのだ。
もう物はいらない、何もない時代に(by yoneyama) ものつくりがすでに時代遅れになってきた
車社会を終わるときか
新しい仕組みを作るとき
付加価値で売れるときは終わった
安いことで文化は生み出せない
チープな社会から競争のない自己実現型社会へ
テレビ番組よ希望を与えよ
政治が希望を与えない
懸命に努力し、企業が人を幸せにしてきたか
プロフィール
米山公啓(よねやま きみひろ) 氏名:米山公啓(よねやま きみひろ)
生年月日:1952年5月10日 出身:山梨県甲府市生まれ、 愛知県岡崎市・東京都福生市育ち 身長・体重:180cm・87kg 職業:作家、医師(医学博士)。
【専門】神経内科。脳卒中、認知症、老人医療、健康論、医療経済。
超音波を使った脳血流量の測定や、血圧変動からみた自律神経機能の評価などを研究。老人医療・痴呆問題にも取り組む。外勤先の天本病院(東京都多摩市)にて在宅医療にも10年以上参加。健康管理部において、ニコチンガムを使った禁煙教室を実施した。聖マリアンナ医科大学第2内科助教授を1998年2月に退職。本格的な著作活動を開始。
【執筆活動】1990年に看護雑誌(エキスパートナース)にエッセイの連載を始めたのをきっかけに、現在では医学ミステリー、小説、エッセイ、医療実用書などを手がける。 年間10冊以上のペースで書き続けている。
代表作:『医者の半熟卵』、『医者の個人生活366日』、『午前3時の医者ものがたり』(集英社文庫。『もの忘れを防ぐ28の方法』、『脳が若返る30の方法』(中経出版)などが10万部を超えるベストセラーに。また『健康という病』(集英社新書)も5万部を超える。
「米山公啓のホームページ」 http://yoneyone.com

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