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第8回 母校に錦蛇を飾る
作家・医学博士 米山公啓エッセイ
「昔はタヌキが住んでいた山だったけど、いまは現代的なビルになってしまった。タヌキはどこへ消えたのだろう」
(イラストby yoneyama)  大学病院の医局を辞めて10年が経った去年、母校の学園祭実行委員から、学園祭で講演して欲しいと依頼があった。
  母校とは、ある種の敵対関係ともいえる状況が以前あったが、母校からの講演依頼は非常にうれしかった。
  あるいは、いまの母校の医学生は、そんな私の昔の小説など読んでいないということなのだろう。時々、テレビに出ている先輩の医者という意識しかないのかもしれなかった。
  久々に訪れた母校は、いわゆる進学課程と言われていた場所には、近代的なビルができていて、セキュリティの厳しさに驚かされた。
  どの部屋も、専用のカードがないと入れない。
  昔、白衣を着ていれば、医局だろうと病室だろうと、どこにでも入っていけて、結構医局など泥棒に入られていた。それでも真剣にセキュリティを考えることもしなかったのだから、のんびりしたものだった。
  現在では、管理責任を問われるので、病院や大学のセキュリティがかなり厳しくなってきたのだろう。
  学生が講義を聴く部屋も信じられないほど綺麗になった。これくらいしないとなかなか学生が集まらない、あるいは学生を大切にするようになってきたということなのだろう。
  校内の医学書専門店の前を歩いていたら、
「先生!」と懐かしい声がした。
  振り向くと、学生時代からお世話になっていた書店の女性だった。
  医学生の頃は、休み時間に行くところがなかったので、本当に毎日この書店に来ていた。
  医者になってからも、結構書店に顔を出していたし、私が初めて出したエッセイもここに置いて売ってくれていた。
「元気?」私が訊く。
「変わらないねえ、先生」
  などと言われ、急に懐かしさがこみ上げてきた。
  建物が綺麗になっても、そこで働く人は昔とまったく変わっていなかった。
  それだけでも、今回、母校に来てよかったと思った。
母校での講演会 医学部の学園祭というのは、学生の数が一学年100名くらいだから、総合大学の学園祭に比べれば地味なもので、どこで学園祭をやっているのかという感じである。
  これは私が医学生の頃と全く変わっていなかった。
  講演会場は昔、私が医学部で講義をしていたときに使った講堂だった。
  残念ながら、参加人数は少ない。医学生やナースらしき人、もちろん先ほどの書店の人、大学の近くで開業している私の親友など、40名くらいだろうか。200名入れる講堂にしては、さすがにちょっとさびしい。
  いつもは講演で、200名とか300名を相手にしゃべっているので、少人数ではやる気もなくなってしまう。
  それも内容が結構まじめで、医学生向けの話であったから、いつもの認知症予防の講演とは違って、しーんとしたままだった。
  最も残念に思ったのは、学内に残っている同級生で教授になった連中や、医者がほとんどいなかったことだ。もちろん土曜日の午後わざわざ私の講演を聴きに来るのは、よほどの物好きであろうが、現在医学部にいる連中にこそ、外からみた医学部を語ってみたかったのだ。
  あるいは、こういう無視されたような状況こそ、今の医学部が抱える問題なのかもしれない。他からの指摘を嫌う環境であるから、それを改善していかないと、医学部や医局の本質的な変化にはならない。
  山崎豊子の「白い巨塔」が書かれて、かなりの年月が過ぎたが、本質は何も変わっていないのだ。
  夕方になって、いまや売れっ子タレントになった西川史子女史とのトークショーにも参加した。
  西川女史は私の後輩にあたり、これほどテレビで有名になった女医もいないのではないかと思うほどだ。
  母校での学園祭ということもあって、彼女は忙しいスケジュールの中、やってきたようだった。
  テレビ番組で何度も会っているので、控え室で西川女史と話をしていた。
  昔、芸能界にデビューしたときの苦労を知っているので、さぞかしここまで来るのは大変だっただろうと思った。
  事実、西川女史にとっても非常にうれしいのだという。
  以前は、テレビに出ても、母校の名前を出して欲しくないと大学関係者から言われたという。
  世の中、勝てば官軍で、西川女史がここまで有名になってしまうと、むしろ大学側はその知名度を利用したくなるようで、実際卒業式に西川女史がビデオ出演したらしい。
  私は以前、自分のいた医局内部のことを題材に小説を書いていた。しかし、今はもっと広く医療を見て、医療全体への意見をするようになった。
  もちろん母校があっての現在であるから、育ててくれた母校には感謝をしている。
講演会終了後に著書にサイン  別な日、ある講演会を終えて、控え室に戻っていると、女性が現れた。
  話を聞くと、なんと私が医学生のときに講義を受けた解剖学のM教授の奥様だった。M教授は退官し病気で亡くなっていた。
  奥様は、M教授が書いた解剖学の教科書を、機会あるごと、教え子に渡しているのだという。私はありがたくその本をいただいた。
  M教授は現役のころから、私の本を読んでいてくれて、私の学生時代のことを、奥様に語っていたという。
  なんともうれしい訪問者だった。
  基礎系の教授、つまり解剖学、組織学、寄生虫学などの教授たちは、熱意を感じる授業をしていたのを覚えている。学生から見れば尊敬できる先生方だった。
  今はもうほとんど亡くなってしまった。
  臨床系の教授、つまり内科や外科の教授たちからも授業は受けたが、医局に入って、内側から教授たちをみると、あまりの人間くささや欠点が見えてしまい、医学生の頃抱く先輩の医者たちへの尊敬の念は持つことができなかった。
  医学部も自分の年齢、立場によって見えるものが違ってくる。
  再び母校の教壇に立ってみると、緊張感の足りない医学生たちに喝を入れたくなってくる。
  私が医学生のころは、まだ新設医大で、医者になれるかどうか本当に不安だった。だからこそ熱意をもって授業に参加していたし、先輩の医者の言うことを真剣に聞いていた。 先輩の医者からありがたい話が聴けるせっかくのチャンスであったが、私の講演を聴きに来た学生たちからは、そんな熱意が感じられなかった。
  それより、西川女史とのトークには、有料でありながら学生たちを含め300名以上が集まっていた。
  これが現実なのだと見せつけられた気がした。日本の医療の将来を憂う私としては、最後に学生たちに向かって「しっかり勉強しろ」と言うくらいが精一杯だった。
プロフィール
米山公啓(よねやま きみひろ) 氏名:米山公啓(よねやま きみひろ)
生年月日:1952年5月10日 出身:山梨県甲府市生まれ、 愛知県岡崎市・東京都福生市育ち 身長・体重:180cm・87kg 職業:作家、医師(医学博士)。
【専門】神経内科。脳卒中、認知症、老人医療、健康論、医療経済。
超音波を使った脳血流量の測定や、血圧変動からみた自律神経機能の評価などを研究。老人医療・痴呆問題にも取り組む。外勤先の天本病院(東京都多摩市)にて在宅医療にも10年以上参加。健康管理部において、ニコチンガムを使った禁煙教室を実施した。聖マリアンナ医科大学第2内科助教授を1998年2月に退職。本格的な著作活動を開始。
【執筆活動】1990年に看護雑誌(エキスパートナース)にエッセイの連載を始めたのをきっかけに、現在では医学ミステリー、小説、エッセイ、医療実用書などを手がける。 年間10冊以上のペースで書き続けている。
代表作:『医者の半熟卵』、『医者の個人生活366日』、『午前3時の医者ものがたり』(集英社文庫。『もの忘れを防ぐ28の方法』、『脳が若返る30の方法』(中経出版)などが10万部を超えるベストセラーに。また『健康という病』(集英社新書)も5万部を超える。
「米山公啓のホームページ」 http://yoneyone.com

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