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第4回 医者をするということ
作家・医学博士 米山公啓エッセイ
「あんまりヒマだったんで待合室で待ってました」(by yoneyama)

 妙なタイトルをつけてみたが、私が大学病院を辞めて10年経った。大学病院を辞めたときは、なるべく医者の時間を減らして、作家業をやろうと思っていた。
  だからそのころは週に3日間医者をやり、あとは原稿書きだった。それも次第に医者の時間が減って1.5日だけ医者をやり、あとは作家業で、結構、時間的に余裕のある生活をしていた。
  午前中はのんびりBSのテレビ番組を見て、午後から原稿書きという生活だった。雑誌の取材や講演もいまほどなかったので、何もない日が1週間のうち数日はあった。それだけに自由な発想ができた。
  それも85歳のオヤジがなんとか元気で、医院の仕事をしていてくれ、私はあくまでも手伝いという立場だったからだ。
  だから医院の経営のこともノータッチで、金がどう動いているのかすら知らなかった。
  ところが、今年、オヤジの体調が悪くなって、私が代診というか、診療を本格的にやらねばならなくなった。職員の給料もネットバンキングで振り込まねばならず、忙しくなってしまった。
  1週間のうち4日間、診療をするというのは、医者になって初めての経験だった。
  大学病院というところは、外来診療は週に多くても半日の診療が3回くらいしかない。だから外来診療を4日間も続けるのは、なかなか大変なことであった。
  もちろん作家業もやらねばならず、単行本の書き下ろしとか、連載原稿の締め切りが迫ってくる。さらにはテレビ出演とか講演もあるので、実に不規則な診療日になってしまう。
 だから患者さんには、1か月の私の診療日を書いた予定表を渡しているのだ。
 大変であったが、週に4日間くらい、今年の3月から半年診療を続けた。

「米山医院で診療中」

 いままでは、医院の維持ができればいいと思い、患者さんの数などあまりに気にならなかった。しかし、一応経営者という立場になってくると、今日は何人外来患者が来たのだろうということが気になってくる。

 それまでが、オヤジまかせで、こっちは、経営などまったく考えず、理想の医療、つまり時間をかけて患者さんと話をして、患者さんが来ても来なくても、あまり気にならなかった。しかし、立場が変わってくると違うものだ。
  ほぼ毎日診療をしていると、患者さんと私との関係も違ったものになってくる。
  いままでは、「先生は、作家業が本業でしょう」というようなことを言われ、否定はしていなかったが、時間的には診療が中心になった生活に切り替わり、患者さんに接する時間も増えてきた。
  だから以前より信頼関係がしっかりしてきたように思う。
  開業医の重要なところは、いつ行っても同じ医者がいることだろう。それが安心感になって、何でも相談できることになる。
  だから以前に増して、患者さんは、自分のことだけでなく、家族の病気の相談やら、他の病院の医者の話をしてくれる。パソコンばかり見ていて、一度も自分の顔を見てくれないとか、うつ病だからといって話も聞かず薬しかくれないとか、まあ、医療への不満爆発状態である。
  医療改革とか言われて、医者の態度も少しはましになったかと思っていたが、私が聞く限り相変わらずの状況である。
  患者さんからいろいろな話を聞くことで、他の医療機関の実態も見えてくるようになった。
  医者で作家がウリの私だから、これはある意味プラスになるのだろうと思っている。
  患者さんに接する時間が多くなることで、一人の患者さんを詳しく見たり、十分に時間をかけて不満を聞いたりできるようになった。 
  またそれ以上に気がつくことが増えた。たとえば、足がむくむという訴えは多い。「そりゃ、歳だからしょうがないね」「むくみの原因はわからないことが多いんだよ」というような言い方をしていたが、飲んでいる高血圧治療薬の副作用でむくむことがあり、もしやと思い、薬を替えてみたら、むくみがなくなってしまった。
  大きな病院では、こういった細かなところまで診る時間はないし、気が回らないことが多い。
  薬の副作用を考えるなど医者の役目だろうと思うかもしれないが、患者さんが訴えない副作用や気がつかない副作用もあり、それが日常生活の質の低下になっている場合もあるのだ。

 最近、医学の奥の深さ、医療の難しさを再確認するようになった。 
  医者というのは、医者になって3、4年くらいしてくると、なんでもわかったような気がしてくるものだ。そこで大きな失敗をして、反省をするのだが、10年も経ってくると、また自分はなんでもわかる医者だと思いこんでしまう。とくに専門性が強い大きな病院では、自分の専門だけを診ていればいいので、患者さんの細かい変化や不満に気がつかない。
  医療は細分化して、専門性を高くしても、患者という一人の人間を総合的に診なくなってしまい、医療への不満は多くなってしまう。
  医者は謙虚でいることが難しい職業である。しかし、この半年の診療時間が増えたことで、私はますます医者という仕事の奥の深さと難しさを痛感している。
  また、この半年、患者家族として、病院へ行かねばならないことがあり、そこでのナースや受付事務員の態度が、いかに患者にとって重要かも再認識した。
  ナースの「大丈夫ですよ」の笑顔がいかに家族を勇気づけるか初めて知った。
  だから何気ない医者の一言が、患者の心を傷つけてしまう危険がある。
  「もう治りませんよ」、「あなたの年齢でガンは治療のしようがない」などと言い放ってしまう医者が実際にまだいるのだ。
  それもあるガンの権威の医者である。ガン治療の権威者として有名でありながら、実際の診療では、患者の心まで診ていないのだ。
  そういった医療の実態を肌で感じ、では自分はどうなのだろうと、日々の診療態度を改めるようになってきた。
  日本の医療制度のいいところはアクセスがいいことだ。つまり、いつでもだれでも好きな病院や医院で診療を受けることができる。
  それが日本人の平均寿命を延ばしてきたことにも関係しているだろう。
  とくに開業医は、患者さんと雑談や世間話ができることが重要な意味を持ってくる。
  診断と治療だけが医療ではないのだ。そのあたりのことは医学部では教えてくれないし、長年医者をやっていても気がつかない医者もいる。
  私が半年間診療を続けていることで、多少患者さんも増えてきた。それは医院にとっては、経営上ありがたいところであるが、あまり患者さんが増えてしまうと、いままでのように時間を気にせず患者さんと話をするということができなくなってしまうかもしれない。
  もちろん、そこまで患者さんが増えることはないだろうし、謙虚さを忘れずという姿勢だけは保ち続けたい。

プロフィール
米山公啓(よねやま きみひろ) 氏名:米山公啓(よねやま きみひろ)
生年月日:1952年5月10日 出身:山梨県甲府市生まれ、 愛知県岡崎市・東京都福生市育ち 身長・体重:180cm・87kg 職業:作家、医師(医学博士)。
【専門】神経内科。脳卒中、認知症、老人医療、健康論、医療経済。
超音波を使った脳血流量の測定や、血圧変動からみた自律神経機能の評価などを研究。老人医療・痴呆問題にも取り組む。外勤先の天本病院(東京都多摩市)にて在宅医療にも10年以上参加。健康管理部において、ニコチンガムを使った禁煙教室を実施した。聖マリアンナ医科大学第2内科助教授を1998年2月に退職。本格的な著作活動を開始。
【執筆活動】1990年に看護雑誌(エキスパートナース)にエッセイの連載を始めたのをきっかけに、現在では医学ミステリー、小説、エッセイ、医療実用書などを手がける。 年間10冊以上のペースで書き続けている。
代表作:『医者の半熟卵』、『医者の個人生活366日』、『午前3時の医者ものがたり』(集英社文庫。『もの忘れを防ぐ28の方法』、『脳が若返る30の方法』(中経出版)などが10万部を超えるベストセラーに。また『健康という病』(集英社新書)も5万部を超える。
「米山公啓のホームページ」 http://yoneyone.com

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