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第2回 「アイフォン」から学ぶこと
作家・医学博士 米山公啓エッセイ
「買ったばかりのアイフォンに、自分のホームページを表示させてみた。小型パソコンだ」 アップル社から出た新しい携帯電話「アイフォン」は、久々にメカ好きの心を刺激した。
 若い連中は、表参道の携帯電話のショップに長蛇の列を作っていた。並んでも欲しい物というのは、最近そうそうなかった。私もできれば並びたいところだったが、さすがにそうもいかず、どうしようかと思っていた。
 新発売になった翌日の土曜日は、実家のクリニックで診療だった。実家のクリニックはあきる野市という東京の西のはずれにある田舎町だ。
 診療を始める前に、あきる野市にある携帯電話の店に、もしかしたらアイフォンが残っているのではないかと、ふと思いつき、電話してみると、在庫があるという。
 前日新発売で、都会ではあれほど盛り上がって、大騒ぎをしていたのに、あきる野市のショップの受付の女性は、よほど自分のところの商品に興味がないのか「あっ、ありますよ」と軽い返事。こちらは結構期待をして、電話をしているのだきから、「よかったですね、最後の一台がありますよ」とか、もう少しうれしそうに言って欲しいところだった。
 診療を終えて昼間、携帯電話のショップへ行くと、なーんと、並んでいる人がいないどころか、客がだれもいない。
 こんなこともあるのかと驚いた。まったく待つこともなくあっという間に、話題のアイフォンを手に入れてしまった。
 実は昨年アメリカでアイフォンが発売になったとき、アメリカにいる娘に並ばせて購入させていた。それをすぐに日本に送らせ、アイフォンを早々に手にして、自慢げに他人に見せていたのだ。
 もちろん、アメリカで発売されたときのアイフォンは、日本では電話として使えなかったが、iTunes(アイチューンズ:動画、音楽の再生・管理ソフト)とかデジカメ機能などは使えたので、それなりに最新携帯電話機能をチェックできて、メカ好きの私としては、十分に楽しめた。そのアイフォンは3週間後には、アメリカにいる娘に送り返してしまった。
 だから今回の日本での発売は、私にとってはそれほど興味があるわけでなかった。と他人には言っていたのだが、いざ発売になって、あれだけ大騒ぎしていると、新しい物好きの私としては、黙っていられなくなった。
 だいたい、みんなが欲しいものを、いかに楽して手に入れるかというところも面白かったので、地元の田舎で並ばすに手に入れるという逆転の発想がうまく行き、なんとも楽しかった。
 しかし、事の本質はアイフォンを手に入れることではない。
 アイフォンには実は長い歴史がある。それを知っているのはパソコンオヤジではないとわからない世界だ。
「とにかく当時のアップル兇禄萢速度が遅く、待ち時間のほうが長かった」(by yoneyama) 私は医学部にいたころから、アップル兇箸いΕ僖愁灰鵑鮖箸辰討い拭いわゆる初期のパソコンで、グラフを描くとか、計算をさせるといっても非常に時間がかかって、大変な思いをしていた。もちろん研究機材に使うには、処理速度が遅くて無理だった。しばらくしてNECのパソコンが出て、ワープロ機能が使えるようになり、アップル兇蓮▲如璽申萢だけに使っていた。途中からマッキントッシュというパソコン名に変わって、「マック」と呼ばれるようになり、マック派と呼ばれるほど、熱心なユーザーが出現した。そうなってしまうと、ひねくれ者の私としては興味を失い、パソコンなどどこの器械でもよく、使いやすければいいとう考えになっていた。
 アップル兇領鮖砲留篦江紊房造魯▲ぅ侫ンの初期モデルのようなものがあるのだ。1993年にアップルからニュートン(正確にはApple Newton)が、いまのアイフォンのような形で、世界初の個人用携帯情報端末(PDA)として発売された。PDA自体、なかなか実用性のあるものがなく、私もかなりいろんなものを購入したが、実際には使えるものはなかった。
 ニュートンは値段が高いこともあり普及しなかったが、最大の欠点は手書き入力があまりに実用性がなかったからだ。また、いまほどインターネットが普及していなかったので、ネットとの連動ができなかったことなどが、決定的な欠点であった。それでも、手の中に入る小型のコンピューターという発想は、当時にしてみれば、かなりユニークで、先見性の高いものだった。 
 ニュートンは1998年で販売は終わってしまった。アイデアは優れていたが、まだまだ実用性の高い技術にはなっていなかったのだ。
 そのニュートンのアイデアがようやく実現したのが、アイフォンであり、まさに10年かかったというわけだ。
 そんな苦労があることは、なかなかわかっていないであろうと、パソコンオヤジは嘆くわけだ。
 10年というのが、私にとってはどうも重要な意味がある。
 私が大学病院にいるときに研究していた自律神経機能を診断する器械と解析方法が、私が大学病院を辞めて10年経って、ようやく認知され、今では医療分野だけでなく、体育系、心理系の大学、さらには一般企業でも広く応用されるようになった。
 研究というのは、最初に始めた人間が評価されるべきだが、どうも日本の学会では、そのあたりがうやむやになり、オリジナリティを評価しない傾向がある。
 そのあたりが、私が学会で発表していたときの不満であり、オリジナリティというより、同じような研究を続けている研究者が評価される傾向があった。
 たぶん私が10年間同じような発表を続けていれば、第一人者になれたのかもしれないが、飽きっぽい私としては、とてもそれはできなかったであろう。 
 最近は再び、テレビで医療ドラマが多くなった。私が10年前くらいに書いた医学ミステリー『ロックドイン症候群』は、真田広之主演でテレビドラマ化されたのだが、なんと7年間も放映されず、突然BSで深夜に放送されただけだった。豪華なキャストで制作され、そのドラマが放送されていたらシリーズ化される予定であった。ドラマの内容が近未来的なところがあり、私が先読みすぎた結果なのだろう。
 今なら医療への理解も深くなり、情報性も十分あるから、面白いドラマだと思うのだが、残念でならない。
 小説も商品もその時代にあったものを出さないと、成功しない。今回のアイフォンはようやく初期の発想と技術がうまく合体して、商品として成功したのだ。
 新商品というと、その物だけを見て、評価しがちだが、いかに多くの苦労の上に成り立っているか考えるべきだ。

 あきる野市でアイフォンを手に入れた翌日の日曜日、表参道で列をなす若者を見ながら、「並ぶ側ではなく、並ばせる側にならないといけない」と、私は車の中からアイフォンを見せびらかせていた。
プロフィール
氏名:米山公啓(よねやま きみひろ)
生年月日:1952年5月10日 出身:山梨県甲府市生まれ、 愛知県岡崎市・東京都福生市育ち 身長・体重:180cm・87kg 職業:作家、医師(医学博士)。
【専門】神経内科。脳卒中、認知症、老人医療、健康論、医療経済。
超音波を使った脳血流量の測定や、血圧変動からみた自律神経機能の評価などを研究。老人医療・痴呆問題にも取り組む。外勤先の天本病院(東京都多摩市)にて在宅医療にも10年以上参加。健康管理部において、ニコチンガムを使った禁煙教室を実施した。聖マリアンナ医科大学第2内科助教授を1998年2月に退職。本格的な著作活動を開始。
【執筆活動】1990年に看護雑誌(エキスパートナース)にエッセイの連載を始めたのをきっかけに、現在では医学ミステリー、小説、エッセイ、医療実用書などを手がける。 年間10冊以上のペースで書き続けている。
代表作:『医者の半熟卵』、『医者の個人生活366日』、『午前3時の医者ものがたり』(集英社文庫。『もの忘れを防ぐ28の方法』、『脳が若返る30の方法』(中経出版)などが10万部を超えるベストセラーに。また『健康という病』(集英社新書)も5万部を超える。
「米山公啓のホームページ」 http://yoneyone.com

最新刊: 『格差社会の医療』(ちくま新書)

『午前3時の医者ものがたり』が「眠れぬ夜2008」という舞台になりました。 http://kujira-enter.sakura.ne.jp/

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