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木を植えるたびに、私は何千回も初恋をしている
           
 
世界38カ国での植生調査を含め、50年以上続いている植物生態学の研究実績と、国内1,200カ所以上、海外も含めれば1,550カ所での植樹運動を行い、約30,000,000本もの木をこの地球(ほし)に植えてきた人物。
その人に「なぜ木を植えるのか」と問うと、即座に「あなたと、あなたの大切な人の命を守るため」と返された。
 
人間は、森の緑の“寄生虫”にすぎない
財団法人国際生態学センター 所長 横浜国立大学名誉教授 宮脇昭さん 「なぜ木を植えるのか」とよく聞かれます。そう問う人に私はいつもこう答えます。
 「あなた自身とあなたの愛する人の命を守るためですよ」と。
  地球環境はいま、人類の生存が危機に至るところまで追いつめられています。 温暖化ガスを増やすまいと、どんなに省エネをやっても、現状維持が精一杯。だって、我々が生きている限り はこれからもエネルギーを消費しつづけなければならんのですから。
  人間は地球の生態系の主役ではなく、本当の主役は森の緑なのだということに、あらためて気づかなければいけません。 いかに人間が科学・技術や文化を発展させても、所詮、この地球上に生かされている限り、人間は森の“寄生虫”の立場にすぎないのです。 人間を含む動植物の遺伝子を守り育ててきた森、命の母胎である森を大規模に破壊してしまったこと、そこにこそ、地球環境問題の本質があります。
  たとえば、いま芝生が植えられているところを、森に変えれば、森の樹木は芝生の30倍以上の表面積をもっていて、しっかりと根づくことができますから、雨水の保全機能、水や空気の浄化機能、防災、防音、集塵機能も格段に高いものになります。 とりわけ森の緑は二酸化炭素の吸収固定化能力が高く、いま500グラムの小さな苗がいずれ10トンの森になったとすれば、そのうち40%がカーボンになります。
  人間が石炭や石油を燃やして放出してしまった炭酸ガスをもう一度、生きた木の中に閉じ込め、バランスを取り戻すことが大切なのです。

その土地の木を、たくさん混ぜる、混ぜる
研究室の書庫には、50年間の軌跡ともいえる全国の植生に関する貴重な研究成果が、地域や年代別にズラリと並んでいる もちろん、何でもいいから木を植えればいいというものではありません。かつての緑化運動と いうのは、針葉樹や桜やハナミズキなどきれいな花を点々と植えればよいと思っていたところがあります。 しかし、それだけでは十分ではありません。
 いま世の中には耐震偽装だとか、いろいろニセモノが多くて困りますが、植物の世界にもニセモノが横行しているんです。 ホンモノとニセモノの何が違うかといったら、厳しい条件にも耐えて長持ちするもの、暴風、地震、津波、害虫、何がこようと長持ちするのがホンモノです。 どんなに格好よくて、すぐ育っても、台風や虫が来たらすぐだめになってしまうのは、私はニセモノと断じています。
 その土地に合わないものはニセモノです。これを無理に植えても、それを放置すると、いずれそこは過熟林となり、過剰に花粉を放出するようになります。 それがスギ花粉症の一因であることは、ようやく広く認識されるようになりました。
 そもそも私が提唱しているのは、すべてを原生林に変えろということではありません。その土地に本来育っているべき樹木を主に生態系を再生しようということです。 「潜在自然植生」と呼んでいますが、人間の干渉を停止したと仮定したとき、その土地の自然環境が支えうる本来の樹木を植えるということです。 日本のような照葉樹林帯においては「シイ、タブノキ、カシ」※1がそれにあたります。
1998年7月、日中合同、万里の長城付近の「森の再生第一回植樹祭」にて、ボランティア1500人と共に。潜在自生植生の主木「モウコナラ」のポット苗を用いて指導
 単一の種だけを植えるのも、問題です。土地本来の主役の樹木と、それを下で支える数多くの幼木を、自然の掟に従って、混植、密植することが 重要です。できるだけいろんな種類の木を、混ぜる、混ぜる、混ぜる。
 日本からさまざまな企業や団体が世界各地で植樹していますが、3年後に行ってごらんなさい。植えたはずの木は残っていないで大きな看板だけが残っているということが多い。でも我々は土地本来の幼木を植樹していますから、時間と共に、より多層群落の「森」になっている。阪神大震災後、被災地の植樹地を調査しましたが、ホンモノの木は1本も倒れていませんでした。
 ひと言でいえば、「ふるさとの木によるふるさとの森づくり」。かつて神社の鎮守の杜が環境に果たしてきた機能を、私たちはいまあらためて見直す必要があるんです。
  だいたい、動植物の社会とは、つねに多様な種が互いに競争しながら、共に少し我慢しながら共生しているものです。共生とは仲良しクラブではなくて、少々苦手の嫌なヤツであっても、すべてを排除しないで共に生きていくということ。手強い競争相手は、ときには共存者にもなりうるわけですから。いろんなヤツがいて、互いに競争・我慢・共存したほうが全体として強くなる。これは人間社会と全く同じ原理ですね。
※1 シイ (椎) ブナ科シイ属に属する一群の樹木の総称
    タブノキ(椨の木)クスノキ科 別名:イヌグス(犬楠)常緑広葉樹
    カシ(樫)とは、ブナ科コナラ属の常緑広葉樹の一群の総称
まず、木を植えよ。それは生物的本能なのだ
 
JR東日本主催、群馬県、安中市が共催で、2002年に行われた「安中榛名植樹祭」から2年後の2004年5月、1500人のボランティアと共に行った「育樹祭」(雑草取り)で  もちろん地球環境を守るといったって、いろんな方法があるわけで、さまざまな議論はあって然るべきです。 しかし、日本人はあれこれ理屈をこねている間に冷めてしまって、やらなくなることが多いんでね。 木を植える目的なんて、木を植えながら考えていけばいいんですよ。まず1本でも自分の手で木を植えてみなさい。 自宅でもマンションでも、少しのスペースでもあれば、そこに適した木を植えるんです。 木を植えるのは小手先の技術じゃない。心に木を植えるということなんです。 実際、最初は半信半疑で植樹ボランティアに参加した人たちも、おずおずと植えていくうちに、だんだんと面白くなります。 ボランティアの人たちが1時間に何十本と植え終えた後の、あの素晴らしい笑顔をみると、木を植えるのは生物的本能だとつくづく思いますね。
  いまケニアで、ノーベル賞を受賞されたワンガリ・マータイさんらの植樹活動に協力して、日本から多数のボランティアが参加しています。 これは10年計画です。あと、10年経っても私はまだ88歳。人間は身体に悪いことしなけりゃ、120歳まで生きられるんだから、まだまだ共に頑張ります。
 
研究室の机の上にあった愛用の麦わら帽子が次の“現場”を待っている  「恋はいつでも初舞台」という唄もあったけれど、木を植えることほど、そのたびに新しい感激、科学者としての新しい発見、人びととの触れあいをもたらしてくれるものはありません。 まさに、木を植えるたびに初恋をしているんです、私は。
 
宮脇昭 [みやわき あきら]
1928年、岡山県生まれ。広島文理科大学生物学科卒業。 ドイツ国立植生図研究所で、「潜在自然植生理論」のラインホルト・チュクセン教授に師事。 横浜国立大学教授、国際生態学会会長などを経て、現職。 その土地 に生えていた「ふるさとの木」を使い、混植・密植する独自の植樹法で国内外の森づくりを指導。 特に、ボルネオ、アマゾンでは熱帯林再生に成功。 『植物と人間』で70年度毎日出版文化賞受賞、『日本植生誌』で90年度 朝日賞受賞など。著書多数。
 
発行/(財)生命保険文化センター    Interview & Writing/広重隆樹    Photo/吉村隆
     Editor/宮澤省三(M-CRUISE)    Web Design/Ideal Design Inc.