WEB.08 私の元素
  身勝手に突っ走ってきたから今がある!
 
宇崎竜童さん 人気ロックバンド「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」のボーカル&ギターとして活躍していた当時から、ミュージシャンの枠にとらわれることなく、作曲家として楽曲を提供したり、映画に出演したりと幅広い活動に取り組んでいた宇崎竜童さん。常に新しいものに挑戦するバイタリティは、還暦を迎えた今でも衰えることなく進化を続けている。自らを「身勝手」と称する宇崎さんに、音楽に対する熱い思いと、そのエネルギーを保ち続ける秘訣についてお聞きした。 宇崎竜童さん
宇崎竜童さん[作曲家・歌手・俳優]
 
人前で歌うのは得意じゃないんです
宇崎竜童さん  27歳のときに「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」でデビューして以来、バンドを結成して、レコードを作って、ライブツアーで全国を回って、また新しいバンドを結成して・・・という活動を繰り返してきました。次々と新しい活動に挑戦していったのは、常に進化を求めていたからだと思います。もちろん、結成したバンドでやれることはとことんやり尽くすつもりで全力投球しているんですけど、その考えに自分が縛られてしまうのが嫌で、どうしても一度リセットしたくなる。このバンドじゃなくても自分でもっとやれることがあるんじゃないか、とついつい考えてしまうんですね。
  そういうことを繰り返していると、今度は「俺はなぜバンドをやっているんだろう?」「なぜ歌っているんだろう?」という思いに行き当たる。それでバンドを始めた理由を考えてみると、これがすごく単純で、もともと僕は作曲家になりたかったんですよ。実際、デビュー前は音楽業界の裏方で仕事をしていて、学生時代に作った楽曲がレコードになったりもしていました。ところがあるとき、レコード会社の人から「この曲は自分で歌ったほうがいいんじゃない」と言われて、「じゃあ、やってみるか」と。気がつくと、あっという間に8年が経っていました。最初はドカッと売れたらすぐに解散するつもりだったんですけどね(笑)。
  そもそも人前で歌うのはそんなに得意じゃないんです。それは今も変わりません。自分よりも歌がうまい人はたくさんいますしね。山口百恵さんなんか本当にすごかったですよ。作曲家の立場で「こういう風に歌ってほしい」と注文すると、こちらのオーダーをはるかに上回るパワー、センス、テクニックで独自の世界を表現してくる。「なるほど!」と思わず膝を打つ瞬間があるんですよ。バンドのメンバーも同じ。ギター、ベース、ドラム、キーボード。みんな、こちらがオーダーした以上のものを提供してくれる。なのに、自分の歌だけはどうしても膝をたたけなかった。
  最終的に、「ああ、俺は作曲家になりたかったんだ」という原点に立ち戻りました。いい曲を書いて、120%の力量を持った人に歌ってもらう。それこそが、自分の本当にやりたかったことだと再認識したんです。今まで一緒に活動してきたスタッフやメンバーにしてみればものすごく身勝手なことだと思いますけど、そういう身勝手さがこれまでの自分を支えてきたのは事実。ある意味、元気の素といえるかもしれません。
 
 
30年以上やっても飽きないのが音楽
宇崎竜童さん  作曲の世界では、提供する相手が変われば曲も変わる。人から見れば「宇崎調」と言われたりもするんでしょうけど、僕の中では、提供する人が変わればそれはまったく違う曲です。例えば演歌歌手の鳥羽一郎さんに曲を書こうと思ったら、元漁師で、「兄弟船」からスタートして、今どんな曲を歌ってもらいたいか・・・といったことを考えながら作るわけですけど、これが十代、二十代の女の子に提供するとしたら背景がまったく違ってくるじゃないですか。だから、「俺は俺」っていう打ち出し方は絶対にしません。それが職業としての作曲家のあるべき姿だと思うし、おもしろみでもあると思います。
  今、東京・赤坂にある自分のお店で毎年4回だけライブに出演しているんですけど、内容や構成は毎回ガラッと変えています。同じことを繰り返すだけならレコードで十分。同じ曲でも、それをジャズでやるのか、アラブ音楽や中国楽器をバックに演奏するのかでは、意識も表現の仕方もまったく違う。常に新しいものを提供していくのは決して楽なことではありませんけど、そうやって自分に鞭を打つのは楽しいですよ。
宇崎竜童さん  だから、大人が軽い気持ちで食事をしながら楽しめるものであればジャンルは限定していません。ジャズを中心に、シャンソンだったり、ボサノバだったり、フラメンコだったり、もちろんロックもあるし、いろんな音楽を取り入れています。お客さんもそういう部分を期待して足を運んでくれていると思うし、これからも「へえ、あの曲がこんな風に変わるんだ」という、ある意味、ショックのようなものを感じてほしい。
  僕が音楽監修と作曲を、妻(阿木燿子)がプロデュースと作詞を担当している舞踊劇『曽根崎心中』もそう。人形浄瑠璃や歌舞伎の演目として有名な『曽根崎心中』を本場スペインのフラメンコで表現する『FLAMENCO曽根崎心中』なんて、ちょっと前までは考えられなかったことですよ。世界中には僕の知らない音楽がまだまだたくさんある。30年間やってきましたけど、まだまだ飽きることはありませんね。
 
 
目標があるから元気にがんばれる!
宇崎竜童さん  今年、大学時代の先輩後輩と一緒に、当時組んでいたアマチュアバンドを再結成したんです。2週間に1度、赤坂のお店で練習しているんですけど、リタイアして年金で暮らしている人もいたりして、これが実に面白い。狎亮茲辰慎亙銑瓩犬磴覆い任垢韻鼻△澆鵑弊犬生きと楽しそうにやっています。
  卒業してからの約40年間、僕みたいに音楽の世界で生きてきた人間もいれば、自分で会社を興して社長としてやってきた人も、大企業の中で働いてきた人もいる。歩んできた道は違いますけど、みんな仕事があって、家族があって、いろんな経験を積み重ねながらここまで来たわけです。それが急に「これからは年金でのんびり暮らしましょう」と言われても無理。僕らでいえば、レコードのようにアナログの45回転で回っていたものを急にストップして、戸棚に入れるわけにはいきませんよ。たとえ回転が止まったとしても、本人の中では回転し続けようとしている。
  ただ、どこに向かって回転すればいいのかわからない。もしかしたら、もうあきらめておとなしくしようと思っていたのかもしれない。そんないわゆる団塊の世代に老後の生き甲斐を与えた、というと大げさかもしれませんけど、みんな本当に熱心。山中湖の別荘で合宿をやったりして。まるで学生時代に戻ったかのようです。
  そうなると、今度はステージに立ちたくなるのは当然の気持ち。練習だけではおもしろくないですからね。それで12月に2日間コンサートを開くことにしました。メンバーの家族や仲間を集めて演奏するんです。しかも、ちゃんとお金をいただいて(笑)。一体、どれだけのお客が来てくれるのか。来てくれたのはいいけど、水をかけられたり、テーブルをひっくり返されたりするんじゃないかって、戦々恐々としながらも必死で練習しています。やっぱり目標って大事。それが趣味でも、仕事でも、何かのためにがんばろうとするから人は元気でいられる。僕自身、やりたいことが尽きないうちは、いつまでも元気でいられると思います。
   
 
プロフィール
1946年、京都生まれ。作曲家。歌手。俳優。夫人は作詞家の阿木燿子。1973年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドを結成し、シングル「知らず知らずのうちに」でデビュー。1975年に発売した「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が大ヒットを記録し、曲中の台詞が流行語にもなった。バンド活動中から山口百恵らに楽曲を提供するなど作曲家としても活躍。また映画「曽根崎心中」(1978年)に主演するなど活動の幅を広げ、バンド解散後はドラマ出演や舞台の音楽監督などさらに多方面に進出する一方で、1984年に「竜童組」(1990年活動休止)を、1993年には「RU CONNECTION」(1999年活動休止)を結成するなど自身の音楽活動も継続してきた。2005年には、番組スタート以来変更されていなかったアニメ「ドラえもん」の主題歌を自身の作曲、夫人の作詞によってリニューアルし話題となった。
2006年1月には『ロック曽根崎心中』と蜷川幸雄監督の『天保十二年のシェイクスピア』の音楽で、「第13回読売演劇大賞 優秀スタッフ賞」を受賞。さらに、同『天保十二年のシェイクスピア』の音楽で、2005年・ミュージカル・ベストテン特別賞も受賞。

オフィシャルサイト「RYUDO UZAKI」
『FLAMENCO曽根崎心中』
2006年11月28日〜12月3日 ル テアトル銀座にて待望の再演!

宇崎竜童さん
宇崎竜童さん 作曲家/歌手/俳優
   
 
発行/(財)生命保険文化センター
Interview & Writing/福田智生
Photo/吉村隆
Editor/宮澤省三(M-CRUISE)
Web Design/Ideal Design Inc.
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