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「僕はいつもアウェイで闘ってきた」 セルジオ越後、日本代表から少年サッカーまで一気に語る サッカー解説者 セルジオ越後さん
  サッカーのテレビ解説でおなじみのセルジオ越後さん。監督や選手をなかなか誉めないのでも有名。その辛口批評と皮肉を効かせたユーモアは、ときにはゲームを観ているより面白いことも。ブラジルと日本、ふたつの故郷をもちながら、世界のスポーツを観てきた視点で、いまだ成熟の途上にある日本のスポーツ文化をばっさりと斬る。最近、プロ・アイスホッケークラブのシニアディレクターに就任。61歳の新たなチャレンジが始まる。
サッカー解説者 セルジオ越後さん
日本のサッカー界は30年前と変わっていないよ
  日本のサッカー界も盛んに選手の強化を行って世界に羽ばたこうとしているのはわかるけれど、サッカーの構造自体は、僕が日本にやってきた30年前とあんまり変わってないね。たしかにお客さんは増えたけど、サッカーというスポーツ文化がもっと変わらないと、世界ではなかなか強くなれない。
  サッカーの底辺を支えるのは、やはり子供たちでしょう。日本はまだ一つの学校に一つの部活動という、学校教育の一環としてのサッカーという考え方が強いから。サッカー部のレギュラーになれないと、なかなか試合に出られない。つまり、補欠の子はサッカーの楽しみや醍醐味を知らないまま、学校生活が終わっちゃうということもある。
  せっかく入部したのに補欠では成長がないでしょう。学校を卒業したのに就職先がなくてブラブラするのと同じ。サッカーをやりたい子どもの受け皿をもっとたくさん作ることが大事。学校の部活だけじゃなくて、地域にもっとサッカークラブがあって、それぞれが競争していけば、子供たちはもっとうまくなるし、強くなる。
  日本という国が戦後これだけ経済成長をしたのは、実は「補欠」が少なかったからですよ。教育が機会均等に普及していて、みんなに平等にそこそこ就職先があって、企業が同じ条件でそれぞれ競争してきた。だから経済は強くなった。でも、スポーツはね、一部のスポーツエリートと、全然スポーツをやらない子、最初から諦めちゃっている子に分かれてしまった。
  ブラジルでは、サッカーの世界では補欠という考え方がないからね。学校でサッカーなんて教えないんだから。そのかわり、街の中に子供から大人までたくさんのクラブがあって、みんなでサッカーを楽しんでいる。小さなときから大人と一緒にプレイするから、自然に上手くなる。
  ブラジルでは、下手な人ほど試合をたくさんやる。上手くなってプロになると今度は練習ばかりやるようになる。だいたい、ブラジルでは練習って、サッカーが上手になった人がするものだから。練習したからプロになれる、というのとはちょっとわけが違う。
名門「コリンチャンス」のチームメイトと
18歳でプロデビュー。名門「コリンチャンス」のチームメイトと。前列 向かって右から2人目がブラジル代表で活躍したリベリーノ。セルジオ さん(前列向かって左から2人目)が教えたテクニックは、リベリーノを経て、いまのロナウジーニョにまで伝わっている。
日本リーグの藤和不動産サッカー部
「仕事を覚えられて、サッカーができる上に、給料までもらえる」と、日本リーグの藤和不動産サッカー部に入団。正確なパス、多彩なフェイントはファンを唸らせた。3シーズンで6ゴール5アシスト。
アマがアマらしくない、プロがプロらしくない日本のスポーツ界
  もちろん、ブラジルでもサッカーのプロになれるのはほんの一握り。でもそれでいい。プロのレベルに達していない人がプロになっても、観ているほうがつまらないだけだから。プロを目指す人がプロになれないと、挫折してサッカー止めちゃうかといったら、そんなことありえない。大人になってもおじいさんになっても、ビーチでボールを蹴っているし、スタジアムに通って地元のチームを応援する。それでいい。
  どんなスポーツでも仕事でも、プロになりたい人となれなかった人で社会は構成されている。カゴに乗る人とそれを担ぐ人が必要。ピアノを上手に弾く人と、それを聴く人が必要。ピアニストは立派な仕事だけれど、コンサートの聴衆がいなければ成り立たない。聴衆だってきちんと音楽文化の中でその役割を果たしている。
  その代わり、プロに求められる条件は厳しいよね。技術がなければ客が来ない。リピーターがつかない。お客さん相手にする商売は、サッカー選手でも寿司屋の職人さんでもみな同じ。技術でメシを食っている。ところが、日本のスポーツの世界ではときどき、技術がないのに人気や話題性ばかりが先行することがあるから不思議。プロ野球選手が打てなくてクビになる話より、結婚したり離婚したりしたときのほうがスポーツ新聞の一面になるんだもの。
  まあ、プロスポーツには興行という側面もあるから、ある程度は仕方がないけれど、会社の業績にはみんな厳しい評論をするくせに、ことスポーツとなるとちゃんとした評論が少ないね。
  日本では、子供たちに「全員いい大学に行け!」みたいな一直線の指導ばかりして、いざプロになると、選手をおだてるばかりできちんと批判しない。スポーツ団体の体質もそういうところがある。敗北した監督の責任も曖昧になることが多い。つまり、アマチュアがアマチュアらしくなくて、プロもプロらしくないの。そこがアンバランスだと思うね。
  地域の文化としてスポーツを育てる雰囲気が弱いのも、なかなか変わらないな。もっと、欧州や南米のような、隣同士の街がよきライバルになって、地域で競うようなダービーの雰囲気があると、スポーツはもっと面白くなるのにね。
「種目文化」から、もっと広くて楽しい「スポーツ文化」へ
  別にサッカーでなくたっていい。子供のときは野球でもバスケでもバレーでもいろんな種目を楽しめばいい。そのうち、自分が得意そうなスポーツが発見できれば、その方面を伸ばしてやればいい。大人にできるのは、子供たちが自分の得意なことを発見できる環境をつくってあげることでしょう。
  ブラジル人がサッカーを好きなのは、実はサッカーだけやっているからじゃないんですよ。いろんなスポーツやるし、僕もそういう文化で育ってきた。食べ物と同じ。毎日毎日3年間、豆腐の味噌汁だけだったら飽きるでしょう。たまにはナメコとかも入れないと。そうすれば飽きない。サッカーで煮詰まったら途中で止める。でも、そのうちまたボールを蹴りたくなる。そういう感じでやっているから、いつまでもサッカーが大好き。
 日本だと種目ごとに分かれちゃう。サッカーだったらサッカー一筋。そうすると世間が狭くなる。部活動だって、サッカー部と野球部の仲が悪いなんてことあるでしょう。サッカーファンと野球ファンは「世代」が違っちゃったりする。お互いが縄張り意識。僕はそれを「種目文化」だって言っている。けっして「スポーツ文化」じゃない。
  日本はずっと学校教育の中でスポーツを教えてきたから、ちょっとバランスが悪くなっちゃった。スポーツが本来楽しいものだという考え方がなかなか根づかなかった。幼稚園や小学校の低学年のときは、みんな砂場や校庭で遊ぶのが大好き。だって、そこに行けば友達がいるから。それが中学校ぐらいになって、校庭が授業の場だということになると、みんなつまらなくなる。スポーツから離れてしまうよね。
子供たちの目線、子供たちの言葉で教えた少年サッカー
  僕が現役選手を辞めて、子供たちにサッカーを教えるようになった78年ごろは、日本の小学生は今ほどはサッカーをしてなかった。連日、電車や車を乗り継いで、北海道から沖縄まで、ほんと、全国津々浦々までサッカーを教えに行った。僕もまだ日本語上手じゃなくて、小学生ぐらいのボキャブラリーしかなかったから、小学生の言葉で教えたら、だんだん人気になったんだよね。
「サッカーはファミコンと一緒。僕はテレビ、そこにサッカーを映す。技術はカセット。今日はリフティングのカセットで行こう。僕がそれを映すからみんなそれを真似して! リフティング3回失敗したらゲームオーバーだよ」
──そんな感じで教えた。そうすると夢中になってやりますよ、子どもは。
「次の集合は午後3時」って言っても子供たちはすぐ忘れる。それを「じゃ、午後2時59分59秒に集まろう」と言い換えると、子供たちは笑い転げて、しかも絶対に忘れない。案外、子供たちは細かい数字とか好きだから。そういうことを子供たちに教えてもらった。
  僕の教え子はもうかれこれ50万人ぐらいになります。中田英寿、小野伸二、大黒将志、他にもプロになった“教え子”はたくさんいる。小さいときから知っているから、だから厳しいことも言う。けっしてチヤホヤしたりしない。僕のサッカー批評は「辛口だ」ってよく言われるけれど、他人じゃないんだもの、身内なんだもの、当然ですよ。
  もう28年もやっていると「僕のお父さんがお世話になりました」とか、親子二代で教室に参加する人も出てきます。この前もあるホテルの寿司屋に入ったら、板前さんが「セルジオさんは覚えてないだろうけど、子供の頃にさわやかサッカー教室に参加したんですよ」という。その話で盛り上がって、なんか寿司ネタも良くなったみたい(笑)。
さわやかサッカー教室
日本コカ・コーラグループがバックアップした「さわやかサッカー教室」のスタートは1978年。名前を変えて、現在も続く。のべ50万人を指導し、日本のサッカーの底辺を築いたという自負が、セルジオさんにはある。
少年サッカー 少年サッカー
アイスホッケーを盛り立てる。61歳のチャレンジ
  僕は両親は日本人で、僕の顔も日本人。日本人の血は流れているけれど、教育はブラジルで受けた。日本語を本格的に覚えたのは日本に来てから。国籍もブラジルのまま。でも、海外で永年生活してわかったのは、自分の「くに」というのは、生活の基盤ができたところのこと言うんだよね。僕は外国人だけれど、日本が僕の「くに」。
  日本に永年住みながら、日本社会の悪口ばかり言っているように聞こえるかもしれないけれど、それはこの国のスポーツをもっと楽しくするため。日本語も流暢じゃなかった僕に、サッカーで食べる機会を与えてくれた日本には感謝している。だから僕の辛口批評は、この国でお世話になったことの恩返しだと思っている。僕だってブラジルに帰れば、日本の良さをブラジル人に伝えますよ。ブラジルは日本に学ぶべきことがたくさんあるから。
 ただね、申し訳ないけれど、サッカーのことだけ言わせてもらえば、日本人はいつから「世界のサッカー」を大いばりで語れるようになったのでしょう(笑)。しかも、ブラジルでサッカーをやってきた僕の前で、「日本はブラジルに勝てますか」なんてね(笑)。日本のサッカーはまだまだです。ブラジルから学ぶべきことが山ほどあるんですよ。
  今年の7月から、アイスホッケーのプロクラブ「日光神戸アイスバックス」のシニアディレクターに就任しました。僕がアイスホッケーをやるというと、なんで? という顔をされた。畑違いじゃないかと。そうじゃない、スポーツという畑は同じ。作るものが違うだけ。
  アイスホッケー人口は減る一方らしい。でも、すごく面白いスポーツなんだ。なんたって、冬季五輪の華ですから。ガツンガツンと体をぶつける。サッカーとも違う。ふだん子供たちはケンカしちゃいけないと言われているけど、アイスホッケーではケンカするぐらいの、ファイティングスピリットがないとやれない。リンクが狭いから、一人でもさぼっていると、相手にやられる。そういう醍醐味がある。
  クラブ運営にはサッカーのノウハウを持ち込もうと思う。子供たちにアイスホッケーを好きになってもらいたい。でも、サッカー界の悪しきところは真似しない(笑)。アイスホッケー人口が盛り返したら、これまでサッカーでは補欠だった子も、順番待ちをせずに、アイスホッケーで活躍できるかもしれないよね。
  サッカーは大好きだけれど、そのぬるま湯だけに浸かっていてはダメになる。僕は、外国人選手だった。日本に帰化もしなかった。日本の協会にも、いつも文句をつけてきた。いつだってアウェイで闘ってきたつもり。だから受け身でいたら、だめ。チャレンジすることが僕の元気の素。アイスホッケーは僕にとっては61歳のチャレンジ。休んだら終わりだからね。
セルジオ越後さん
プロフィール
せるじお・えちご
  1945年ブラジルサンパウロ市生まれ、日系2世。18歳でブラジル、サンパウロの名門クラブ「コリンチャンス」とプロ契約。非凡な個人技と俊足を活かした右ウイングとして活躍し、ブラジル五輪代表候補にも選ばれる。1972年に来日し、藤和不動産(現:湘南ベルマーレ)でゲームメーカーとして貢献した。1978年から(財)日本サッカー協会公認「さわやかサッカー教室」(現アクエリアスサッカークリニック)の認定指導員として全国各地で、青少年のサッカー指導にあたる。以後、25年以上にわたり、延べ50万人以上にサッカーの魅力を伝えてきた。
  またサッカー解説者として、中継やコラムなどをメディアを通じて日本サッカーの向上に貢献。辛らつで辛口な内容とユニークな話しぶりにファンも多く、サッカー以外にも、子育てについての独自の意見や、ブラジルと日本の文化の違いからの視点など、様々な切り口で講演活動も行っている。2006年7月から、日本唯一のプロ・アイスホッケークラブ「日光神戸アイスバックス」シニアディレクターに就任。クラブ運営、チーム強化、プロモーションなどに携わる。
発行/(財)生命保険文化センター Interview & Writing/広重隆樹 Photo/吉村隆 Editor/宮澤省三(M-CRUISE) Web Design/Ideal Design Inc.