SPECIAL 01 【教育】 大学はドラスティックに変化する
桜美林大学副学長・大学院教授 諸星 裕

諸星 裕
[もろほし・ゆたか]
1946年神奈川県生まれ。69年、国際基督教大学(ICU)教養学部卒業後、渡米。71年大学院修士課程修了後、カナダ・オンタリオ州矯正省に入省、女子刑務所、少年少女鑑別所に勤務。76年米国に戻り、博士課程修了。77年よりミネソタ州立セントクラウド大学にて教鞭を執る。86年教授に、87年ミネソタ州立大学学部長代行、89年ミネソタ州立大学秋田校の学長として帰国。オリンピック(夏冬合計7回)、ワールドカップ、世界選手権等、各種スポーツの国際大会の実施コーディネーター、放送コーディネーター、組織委員、開催招致ロビイストなどを務める。98年桜美林大学大学院教授、翌年副学長に就任。 非政府関係の、数少ない国際交渉のスペシャリスト。


 教育とひとくちにいっても、学校教育から生涯教育、そして家庭教育、さらには職場の教えなど、いろいろあります。たとえば生涯教育という面でいうと、日本でもここ十数年だいぶ根付いてきていると思いますが、その中心はカルチャーセンターです。でも、カルチャーセンターでは学ぶことは知れていますし、主催者の商業主義的なところも見え隠れしている。
 そうした背景をふまえて生涯教育が今後どのような方向にいくかというと、大学とか高校といった既にある教育機関にシフトしていきます。というのは、大学のクライアント(つまり学生)は朝8時半から夕方4時半までというのではなく、たとえば夜も、そして週末も別のクライアントが必要になるということです。なぜなら、少子化の影響で大学が維持できなくなるからなのです。
 2009年には全入時代となり、現在550以上ある全国の4年制私立大学のうち、もしかしたら100から150は淘汰されることになるかもしれません。短期大学にいたっては8割以上が募集停止になるでしょう。そうしたことを考えると、生き残れる大学というのは、基本的にキャリアチェンジをするとか、大学に再び、あるいは新たに入学する中高年をクライアントにすることが、その有力な方策となるわけです。そこには入学という概念もなくなり、授業料を払えば誰でも大学生になれるという時代がくるのではないでしょうか。

 私の大学(桜美林大学)では、高大連携といって、近隣の高校3年生が大学の授業を受けています。そして高校の卒業時には大学の単位もいくつかもっているというのも珍しくありません。すると大学に進んでも、4年間分の単位を3年でとれる学生も増えて、3年で卒業できてしまう。そうなることで大学側は回転をよくし、そこに社会人もどんどん入れるという構図ができてくるんですね。ただ、授業料の問題もでてきます。つまり3年で卒業されたら残りの1年分の授業料はとれません。そこで授業料を年単位とするのではなく、基礎授業料に加え、単位ごとの授業料に切り替える必要があります。1単位いくらというコスト計算を表出すれば、教師側の心構えも変わってきます。
 つまり高校卒業生だけがクライアントではなく、地域住民もクライアントになり、学ぶ側もカルチャーセンターでは物足りない、大学の教師から学びたいという本当に勉強したい大学生が増えてくると思うのです。
 こういうことから、大学教育と生涯教育はリンクするようになり、これから大学はすごく変わっていくと思いますね。

 一方で、家庭教育ということを考えてみましょう。
 日本では父親がいても、こと教育に関してはほとんど母子家庭です。今までよくそれでやってきたと逆に感心するくらいですよね。欧米では父親は早い時間に帰宅します。それで子どもたちと接する。僕の好きな言葉のひとつに「きょう1回でも、子どもを抱いてやりましたか」というのがあります。
 結局家庭教育は、そこに集約されるのではないでしょうか。お互いの努力といえばそれまでですが、やはり父親が努力していません。塾に通わせたり、ものを詰め込もうとする努力は確かにしていますが、でももっと大事なことを忘れています。自分との関係というか、子どもと関わるという気持ちが決定的に欠如していると思います。

 いま、僕が日本でいちばん変わらなければならないと思っているのは、「親権」の概念です。子どもは、いってみれば国の財産です。親が子の教育責任をまっとうできていないと判断された場合、速やかに国家権力がきちんと親から子ども離して、守ってあげるということ。日本はとても親権の強い国ですから、親がウンと言わなければ子どもの世界に足を踏み入れることもできません。そうした親権の概念が変わらないとダメです。
 旧英国連邦の国では、今でも子どもたちのことを「女王の子ども」と言います。お上の概念がまだまだ根強く、人権の権利意識が薄かった日本もようやく変わりつつあるわけですから、教育に対する概念も変わって当然でしょうね。(談)


 
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