特集-2 高齢社会にネットで情報提供
―http://genkigaderu.net<元気が出るページ>を始めて5年―
村上芳信
いまやネット全盛。自宅のパソコンはもちろん、ケータイでもインターネットにアクセスできる時代。コンピュータは苦手という方も気軽につきあえるようになりました。インターネットの情報量は無限ですが、ここに紹介するのは、<中高年の「元気が出るページ」>と題した、文字通り中高年のためのコンテンツ、いわばウェブによる月刊誌。その立ち上げから運営、管理を一人で行っている村上芳信さんにお話を伺いました。

■始まりは自分の定年後
 村上さんは現在66歳。いまも現役の会社役員として第一線で働いている、いわばサラリーマン。しかし帰宅後や週末はもうひとつの顔を持つ。それはウェブマガジン<月刊 中高年の「元気が出るページ」>の管理人であり、編集長であり、そして記者という顔。
 その創刊は6年前にさかのぼるが、いきなりウェブを立ち上げたわけではない。
 平成元年、村上さんは『男の10万時間 創刊準備号』という「定年前後の方への情報誌」とサブタイトルをつけた80ページの冊子を発刊した。
 「私自身47、8歳のころでしたが、定年になってどう過ごすのか、ふと頭をよぎったんですね。まだ定年には間があったんですが、60歳で定年を迎えたまわりの方を見ると元気があり、まだまだ働ける人が多いわけです。これからは単なる高齢社会ではなく、老い難く、長生きする難長生社会になるだろうと思いました。そして定年になった時点でその後のことを考えたのでは遅い。ごく普通の人が定年になって、慌てず、騒がず、たじろがないために50歳から読んで頂けたら、と発行しました」
 ひとりひとつの考え方、過ごし方を何人も集めて発信すれば、大きな輪になり、みんなが読んで参考になるのではないか、とも村上さんはその発刊の動機を語る。
 誌名の『10万時間』とは、60歳定年後、男の平均寿命である80歳までの20年間、1日を就寝・食事時間を除き約15時間として計算すると10万9500時間になることから名付けたという。
 マスコミにも取り上げられ、多くの反響があって月に100冊近く売れたこともあったが、出版の流通経路に乗らなかったために「準備号」で姿を消し、創刊号を発刊するまでにはいたらなかった。
 が、村上さん自身の年齢ともあわせ、同世代へのエールの気持ちは消えることはなかった。


■執筆者探しやネタ探しはこうして
 時代は急速にIT時代に突入する。
 広告制作会社に勤務していた村上さんは、仕事柄インターネットに接触したのも早かった。
 「これだと思いましたね。相手(読み手)の顔は見えませんが、アクセス数もわかるし、メールで反響があれば返事も送れます。ネットのほうが活字媒体よりむしろ直接的に読者と交流ができ、かつ、執筆者も募れるのではないかと思いました」
 こうして立ち上げたのが<中高年の「元気が出るページ」>。平成9年のことだった。
 「内容的には、遊ぶ・学ぶ・健康・働く・奉仕という5本の実用情報を中心に、エッセイやコラムがあり、ニュース的な要素と連載記事、レポートといった形で紹介しています」
 執筆者は村上さんが自ら歩いて探す。たとえば、「自費出版図書館」に通い、ウェブに有効な出版物を探したり、「日本自費出版文化賞」を主管運営している自費出版ネットワークの文化賞選定の予備審査にも加わった。
 「文化賞は今年で7回目ですが、毎年全国から約1000点前後の自費出版物が集まります。本審査に残す作品を粗選びする作業をさせていただき、その時に私の目に留まった作品をチェックしたり……」
 そうした作品探しのほかに、自分でも記者として記事を書いた。
 「住まいの近くに野川という小さな川があるんですが、その水源である国分寺一帯の湧き水から多摩川の河口までを毎週末に探索し、ルポしました。郷土史発掘のような作業でしたが、これを1年間連載で掲載しました」
 通勤途中の車内の中吊り広告や新聞にも丹念に目を通し、ネタ探しを行う。
 「新聞記事も後追いということでそのまま掲載するのではなく、1〜2カ月して本当に有効なネタなら深く掘り起こして取材して掲載します」
 こうして、アクセス数は月に平均3600にも達する。活字の雑誌ではこれほど購入者はいないだろうと、村上さんは言う。

■ネットから見える、それぞれの定年後
 一方で、ウェブを通しての交流も増えている。
 現在連載中の『北京の風通信』(『アモイの風通信』改題)という中国日記は、元教諭でいまは現地の学校で日本語を教えている50代の教諭ご夫婦が投稿しているものだが、夫が文章を書き、妻が挿絵を描いている。バックナンバーでは、「SARS余聞」といったタイムリーな話題もあり、現地の模様がニュースよりも身近に詳しくわかったということもあった。もともとその夫妻のホームページを村上さんが見つけ、メールでやりとりして、執筆を依頼したという。
 また『シネマトーク』を書いているのは、新聞社を定年退職した元記者が映画についてのあれこれを執筆している。現役時代にはできなかったことを、いまネットという場で自由に発表している。また掲示板に書き込みをしてきた方とメールでやりとりをしているうちに、筆者が村上さんと同じ大学の先輩だということがわかった。
 「おもしろいですね、そこから交流が始まって。直接お会いしていないのに、相手の顔が見えるというか、きのうきょうに知り合ったとは思えないほどのおつきあいができています」 
 こんなこともあった。
 「これはまだ40代の銀行員だった人ですが、だった、というのは、ある日勤務していた銀行に行ったら、倒産していた。びっくりどころではないですよね、天地もひっくり返るような驚き。のちに、その銀行の斡旋で幸い再就職できましたが、その驚きを仮名で語ってもらいました。こういう時代らしい話ということで、反響も大きかったですよ。これも媒体がないと書けない話ですからね、フットワークの軽いネットだからできたことだと思います」
 こうして村上さん自身も模索してきた「定年後」、人はいかに生きるべきか、が見えてきたのだろうか。
 「本当にたくさんの方にお会いしたり、メールのやりとりをして感じたのは、やはり定年になったらこうしようと、早い段階から心がけておくことですね。こういう時代では特に。もちろん財産があるかないかで違いはあると思いますが、それぞれに応じたプランはたてられるはずです。これからも、著名な人の理想論ではなく、ごく普通の人のための、普通の人による知恵袋になれればいいと思っています」
 そう語る村上さん自身が、これからも続けられる生きがいをもって、いきいきと充実した毎日を送っている。
 
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