特集-1 快適な老後生活をおくるための提案
探求ひとすじ、理想のスキーはまだまだ……
99歳のフリースキーヤー 三浦敬三
 世界七大陸それぞれの最高峰からのスキー滑降を達成したプロスキーヤーであり、冒険家の三浦雄一郎さんの父、三浦敬三さんは99歳にして現役のスキーヤー。日本スキー界の草分けの一人ですが、今年は雄一郎さんと、孫の雄大さんの三世代でモンブラン滑走を成功させ、ますますお元気。「なかなか理想のスキーができなくて」と今も探求ひとすじで、この冬も夢に向かってまた一歩、生涯現役のすてきなスキー人生を送っていらっしゃいます。

三浦敬三[みうら・けいぞう]

三浦敬三[みうら・けいぞう]
1904(明治37)年2月15日、青森県青森市に生まれる。北海道帝国大学農学部林学実科入学、在学中にスキーに親しみ、同大学卒業後、1926年青森営林局に入局。「青森林友スキー部」ジャンプ選手、マネージャー、監督、部長を歴任。特に八甲田の山スキー開拓者として知られ、その人生を一貫して雪に捧げてきた。また、(財)全日本スキー連盟の技術委員を務め、スキー教程の編纂にも携わるなど、わが国スキー界草分けの一人である。さらに、スキー製作についても深く関わり、製作技術および、それに伴う性能とチューンナップ技術の研究により、それら技術の発展に大きく寄与してきた。その探究心はいまだ衰えることがない。
99歳を過ぎてなお、現役のスキーヤーであり、スキー山岳写真家として、1年の約半分を国内外のスキー場で過ごしている。日本山岳写真協会名誉会員。
山岳写真では、東奥美術展特選、日本写真美術展入選、国際写真サロン入選、フジフォトコンテスト B部 銀賞・銅賞、世界山岳写真ビエンナーレ展 バダカップ賞及びビトリオ・セラ賞両賞を受賞、入賞などがある。
そして、イタリア・トリノのプロ・スポーツ功労賞(1972)、青森県褒章(2000)、青森市市民栄誉賞(2003)、内閣総理大臣表彰(2003)。
主な著書に、『雪質とクリスチャニア』(六芸社)、『ツアースキーへの招待』(ベースボール・マガジン社)、『遥かなる山を訪ねて(写真集)』(千早書房)、『98歳、元気の秘密』(祥伝社)『99歳、モンブラン大滑降に挑む』(草思社)、『百歳、山スキーと山岳写真に生きる』(草思社)など多数。






モンブランを滑走

▲モンブランを滑走






スキーをかついでバレーブランシュを歩く

▲スキーをかついでバレーブランシュを歩く

■自分で工夫したトレーニング
 三浦さんは明治37年生まれ、西暦でいうと1904年。来たる2004年2月には100歳を迎えます。その年齢を感じさせない溌剌とした生き方は、今年出身地である青森市市民栄誉賞や内閣総理大臣表彰を受けられたことでもつとに知られています。今でも雪と遊び、格闘する、ずば抜けた「健康長寿」はどのような生活、そしてどんな人生観から生まれるのでしょうか。
 11月初旬。指定された午前10時に東京のご自宅に伺うと、「やあ、いらっしゃい」と玄関で迎えてくれました。さすが現役スキーヤー、今年白寿だなんて、信じられません。趣味の域を越した、三浦さんご自身が撮影した美しい雪山のパネル写真が何枚も飾られているリビングで早速お話を伺いました。
 朝は6時には起床するとお聞きしてますが……。
 「いや、6時だと遅いんです」
 その理由は、「朝食を8時にとることにしています。その前にいろいろやることがあって、それを考えると6時じゃ遅いんです。5時半には起きなくてはね」
 「いろいろやること」とは、朝のトレーニング。まず最初は首を曲げたり回したりという「首曲げ運動」で寝ている間にこわばった首の筋肉や筋をほぐし、頭への血行をよくします。次は、三浦さんのオリジナル、「口開け運動」。口を大きく開けて舌を思い切り出して右左と突き出す、という単純なものですが、これが実は顔の筋肉を鍛えることになり、皮膚の張りを保つのに役立っているといいます。そういえば、三浦さんがとても99歳という年齢に見えないのは、顔のシワがほとんどないことにもよるようです。
 そして聴力の衰えを防ぐ「呼吸法」があり、いよいよ「体操」。これもラジオ体操を参考にして、三浦さんが自身で工夫したもの。
 「毎日のことですが、ここまで来ると体を動かしたいというふうに自然になります。でも、ペースはゆっくりと、そして徐々に体を動かすのがコツといいますか、いつもしているからといって、うっかり最初から力を入れると体をひねってしまいます。年には勝てません(笑)」
 ここまででだいたい1時間。それからまだスクワットにスキー体操、そしてウォーキングと続くのですから、これは年齢とは関係なく、たいへんな運動量といえます。
 「ほとんどが我流なんですよ。専門的なことを勉強したわけではありません。80歳過ぎてからです、自分の体力も考えて。先だって孫の豪太が来て、何かの企画で対談したんですが、豪太のトレーニングは今までは筋肉が主だったんですね。私の場合は、脳、頭を働かせるトレーニングが中心で、そこが違うわけです。その点が参考になったといって、豪太はオリンピックの選手だったんですけど(リレハンメルと長野五輪にフリースタイルとモーグルスキーで出場)、多少、私のを真似してもう1回出ようと考えてるみたいですね」
 「医者は1週間のうち3日ぐらいやればいいと言ってますけど、私は毎日続けないとダメなんです。トレーニングは1日休むと、元にかえるまでに相当時間がかかる。毎日することを習慣にすることが非常に大事なんですね」
■ 60歳で氷河を滑る愉しさを知る
 三浦さんとスキーとの出合いは20歳のころ。北海道大学で熱心なスキー仲間に勧められたことが直接のきっかけですが、その最初のスキーツアーで見た樹氷の美しさに感動したのが、以後の長いスキー人生につながっていると語ります。
 「青森の八甲田から秋田の大湯という所まで行ったんですが、初めて樹氷を見ました。真っ青に晴れ渡った空と、真っ白な樹氷。冬の世界はこんなに美しいものかと思いました」
 そしてもうひとつ、同じ大学生のころに観た『スキーの驚異』という記録映画が、スキーそのものへの三浦青年の考え方を一変させ、スキー熱に拍車をかけました。
 「ハンネス・シュナイダーというオーストリアのスキーヤーが自由自在にスキーをあやつって滑る映画でしたが、こんなにもスキーが人間に自由を与え、しかも、その滑る姿が美しいんですね。これだと思いました」
 そうした出合い、感動が三浦さんをスキーヤーに、そして指導者へと導いたのです。
 「私がスキーと出合ったのは非常に幸運だったと思います。いま100歳を超えている人は何人もいますけれど、そういう人たちの書いてること、言ってることをみると、とにかく何かに熱中している人が長生きしている。ですからスキーに限らず、何かできるものがあればそれはとても幸運なことだと思いますね」
 そのスキー、三浦さんに言わせれば高齢者向きのスポーツだと言います。
 「若い時の感動が今の私につながっていると同時に、スキーは高齢者に向いているスポーツではないかと考えます。スキーとかスキー靴は確かに重いんですけど、重さを感じさせないスピードがある。その点でも年寄り向きじゃないかと思うんですね。今でも私がやれるのは、私の体がスキーに向いてるからで、スキーは瞬時のわずかな操作でできるものだからです。若い時は、テニスとかいろんな運動をやったんですけど、そういうのは腕力がなくちゃできないものが多く、体力がないとできないものです。その点でも、スキーは意外に老人に適した動作だと思うんですね。しかも技術が向上すればするほど楽になるというのがスキーなんです」
 八甲田の山スキーの開拓者として歩み、さらには競技スキーに進んだ三浦さんですが、やはり惹かれるのは山スキーだそうです。そして、さらにとりつかれたのが、日本ではできない氷河を滑ること。その思いを強くしたのは、還暦を迎えた60歳で初めて出掛けた海外でのスキー。
 「息子の雄一郎が日本人として初めてキロメーターランセというスキーの国際大会に出るというので、イタリアに応援に行きました。その時にフランスのシャモニーで滑り、ヨーロッパ・アルプスの雄大な自然に初めてふれたのですが、氷河を滑る愉しさはそれまでにないことでした」
 ここでも三浦さんは、ひとつの感動からワンステップ上の人生の愉しさを見つける。
 富士山頂からパラシュートを背負って直滑降で滑った雄一郎さんに負けじと、古希の70歳ではエベレストのシャングリ氷河(5650メートル)を、喜寿の77歳では5895メートルあるアフリカのキリマンジャロに登頂、頂上噴火口内での滑降を実現した三浦さん。その後も傘寿の翌年にはシャモニーからツェルマットまでの90キロを、米寿の年にはフランスとスイスにまたがる氷河地帯の完全踏破、そして今年の白寿記念は、フランス・アルプス山系の氷河、バレーブランシュへ。
 「標高3900メートルくらいから1900メートルまでを6時間ほどかけて滑りました。それまでここは5回滑っていたんですが、氷河ですからね、雪が悪くて難しいコースでしたが、今年は雪がサラサラのいい状態で、これまでで最高の滑りができました」
 何か年齢を追うごとに、ステップアップしている感じです。
 「体力も必要ですが、その前に気持ちがないと何事もできないと思います。それと目標を立てること。私の場合、いつの間にか節目の年に大きな目標を立てるようになり、それが大きな支えになっています。その目標のためにトレーニングもするし、健康でありたいと思っています」
 来年は、それこそ大きな節目の100歳。
 雄一郎さん、雄太さんに加えてひ孫の里緒ちゃんともども、親子四代で標高3600メートルのアメリカのスノーバードスキー場で滑る計画があるといいます。
■ もうひとつ、熱中しているのはカメラ
 朝の5時半起床に始まり、朝食をしっかりとり、昼は軽めに、そして夕食は5時半、夜は9時から10時ごろに就寝というのが基本的な1日のスケジュールですが、食事はすべて自炊。というのも、1993年、三浦さんが89歳の時に妻のむつさんに先立たれて以来、ひとり暮らしをしているからです。
 「雄一郎が心配してくれて、一時札幌の息子の家で一緒に過ごしたこともあるんですが、何でもやってくれて、私はトレーニング以外ほとんど自分ですることがなくて退屈で、退屈で。過保護はいけません(笑)。かえってボケてしまうのではないかと感じて、ひとり暮らしに戻りました」
 炊事に洗濯、食料の買い出しもすべてひとり。そして、三浦さんの元気の秘訣ともいえるのが自分で考え、つくる食事のメニューです。
 「電気圧力釜で玄米を炊いていたんですが、最近は発芽玄米に切り替えましてね、よりおいしくいただいています。おかずは六皿から七皿です。数は多いんですが、食べるのはひと口かふた口ですね。たとえば納豆は朝晩食べますが、朝はひとくち、夜はふた口ぐらいです」
 お得意の料理は圧力釜を使った魚のアラ煮。サケなら圧力釜で30分ぐらい煮込み、味付けは醤油と少々の砂糖だけ。骨まで食べられるくらい、軟らかいとか。魚に加え、肉、野菜、豆類と、バランスを考えた食事は食の専門家からも高く評価されています。
 こうした日々の暮らしも、生活に張りをもたせ、「健康長寿」のもとになっていることはいうまでもありません。
 さて、いよいよ待ちに待ったスキーシーズン。
 三浦さんのシーズン・インは、ここ数年カナダのウィスラーで迎えます。
 「今年も11月25日に出発して、20日間前後滞在して足慣らしをします。ただ、悩みもありまして、カナダにいる時は室内のトレーニングはできるんですが、外を歩くことができません。これは非常にこたえるんですね。滑るというのと、平地を歩くというのは使う筋肉が違いますから、毎日滑ってもトレーニングにはなりません」
 というわけで、これも恒例になっているのが、帰国後に少し休んで、年末には札幌市郊外のテイネスキー場に出掛け、じっくり腰を据えてゲレンデスキーを愉しみます。
 来年は2月に前述の100歳記念のアメリカ行きを控えていますので、例年どおりというわけにはいきませんが、いつもは、テイネのあとに岩手県安比高原のスキー場、田沢湖のスキー場、八甲田山、さらには5月の富山県立山でのシーズンの滑り納めなど、移動の期間も含めて年間150日前後はスキーに費やしています。
 といってご自身は特別なことをしているとは思っていません。
 「スキーに出合い、それができる体力が維持できたこと。そして何よりもスキーが好きですから、今も滑っているだけのことです」
 スキーのほかに、もうひとつ三浦さんが夢中になっているのがカメラです。スキーを滑る時も必ず愛用の一眼レフカメラを首に掛けているほど。そしてその腕前も立派なもの。大学時代からカメラに興味をもち(大正末期!)、自宅の押入に暗室をつくり、山の写真が雑誌に掲載されたのがきっかけで、今も山岳写真を撮っています。
 「結局残ったものはスキーとカメラです」
 青森営林局に約30年勤め、定年より少し早く51歳で退職し、第二の人生を選んだ三浦さんですが、その「第二の人生」を「余生」と思わずに、「もうひとつの人生」と考えたところに、今日の充実した日々があるのではないでしょうか。
 「海外へ行くようになって、スキーライフの幅が広がり、豊富になった」という海外でのスキーを知ったのも、また国内でも立山の素晴らしさを知ったのも「もうひとつの人生」から。まさに「余生」ではない第二の人生です。
 お好きな言葉は「探求ひとすじ」。
 「理想のスキーは美しい滑りです。ずっとそう考え、目標にしているのですが、努力してもなかなか実現できません。だから、やめられないのです」
 約1時間のインタビューに笑顔で応えていただき、夢を語るその眼はまるで少年のように輝いていました。
 三浦さんの探求の道はまだまだ続きます。
バレーブランシュを滑った三浦敬三さんと、息子の雄一郎さん(右端)ひ孫の里緒ちゃんを抱く孫の雄太さん(2003年2月)

▲バレーブランシュを滑った三浦敬三さんと、息子の雄一郎さん(右端)ひ孫の里緒ちゃんを抱く孫の雄太さん(2003年2月)

 
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