特集 サラリーマンの 生き方 ―企業と個人の関係を探る―  その2
【局アナからフリーへ】
サラリーマン時代の福利厚生の恩恵は、趣味以上の好きなことで補う
キャスター 宮川俊二

宮川俊二[みやがわ・しゅんじ]
1947年、愛媛県宇和島市生まれ。早稲田大学第一文学部社会学専攻卒業後、70年に日本放送協会(NHK)に入局。福岡、名古屋、東京などの各局に勤務。93年に退職後フリーとなり、ベトナムで日本語講師として充電、94年以降さまざまなニュース番組などでキャスターを担当。主な出演番組に、毎日放送『世界バリバリ☆バリュー』、フジテレビ『ニュースJAPAN』『スーパーニュース』などがある。著書に、『アオザイの国へ』(同友館)がある。

■退職してわかった社宅のありがたさ
 思うところがあり、23年間勤めたNHKを1993年に退職して、フリーの道を選びました。いわゆる「局アナ」でしたが、NHKという組織のなかの一サラリーマンでもあったわけです。
 退職して何が困ったって、いちばん困ったのは住宅です。社宅でしたので、そこを出なくてはならない。ただ、子供には迷惑をかけたくなかったので同じ学区内で住宅を探そうとしました。川崎市内ですが、住んでいた社宅に匹敵する物件は16万円ぐらいする。それまで1万2500円で借りられていたわけですから、その差は大きく、たいへんでした。
 NHKは最初に赴任した土地では住宅手当はもらえません。次の土地からは自分の意思とはかかわりなく「異動」ということで、住宅が与えられます。私の場合、最初は山形で、4畳半一間の賄いつきで1万5000円、給料は4万5000円でした。それから岐阜、高松、福岡、名古屋、東京と、だいたい4年おきに転勤しました。
 その住宅の広さなんですが、これが非常に民主的で、子供をつくる能力で決まるといいますか(笑)、子供の人数によって広さが決まります。役職者でも子供がいなければ小さな住宅、平の社員でもたとえば5人子供がいれば大きな住宅というふうに。わが家は1人だったので、ずっと質素でした(笑)。
 名古屋の時もやはり社宅だったんですが、近所の子供たちが集団で家に入って来て、みんなパッとファミコンのある子供の部屋に迷うことなく直行する。間取りがみんな一緒だから間違えようがない(笑)。逆にそれがNHKの開かれていない部分といいますか、まさに一棟まるごと社宅の「NHK村」ですからね。いろいろな土地に転勤したら、その地域の問題を吸い上げなくちゃいけないのに、局の人間だけでかたまっちゃうんですね。これはメディアにいる人間としてはちょっと、と思いましたけど……。
 
■定期検診だってばかにならない
 定年前になぜやめたかというと、転勤があまりにも多いということ。東京に来るのに結局20年かかりましたからね。そして東京での3年ぐらいの間にメインの番組につかないと、管理職としてまたどこか地方に行きます。それも単身赴任になり、二重生活は大変だと思いました。また、ずっと大きな組織にいたものですから、そろそろペースをあげないと自分の人生だめだなと思って辞めました。
 その時に条件を調べましたら、45歳以上、勤務20年以上で早期退職した場合はプラス18ヶ月分もらえるという制度があり、その制度がなくなるという3月ぎりぎりに退職しました。18ヶ月分というと結構な額がプラスでもらえます。それだったら辞めてもいいかなと思ったわけですが、それが間違いだった……。家賃が無駄だという思い、それから新しい仕事が始まらない焦燥感なんかもあって。
 ですからね、最近、早期退職を勧められたという友人から相談された時は、とにかくダメ、最後まで会社にしがみつけと言いました。いくらか余計にもらったって、福利厚生などを考えると、瞬く間になくなってしまいますから。サラリーマンは一般的にすごく天引きされているという意識があると思うんです。でも、実際に辞めてみたら、いかにその恩恵に預かっていたのか、よくわかります(それだけ、NHKの福利厚生が充実していたということでもあるんですが)。
 たとえば定期検診もありました。退局後の今もNHK時代に行っていた健康センターで半日検診を受けています。長年の私のデータがありますからね。よくNHKの職員が並んでいるんですが、あの人たちはタダかなあと思ったり。私は辞めてからは6万5000円払ってるし。毎年やるところを16ヶ月に1度とか、少しずつずらして(笑)、だんだんけちになってます。
 保養所は、現在どうなっていますかね。ああいう大きな組織ですから、いい時代にいい場所をとってあって、全国にありました。山形なら蔵王、岐阜は下呂温泉とか、大半が温泉つきですし、しかも非常に安い。別府なんかもすごかったですね、家族で行きましたけど、料理も豪華で、私は数百円ですよ1泊。家族でも千円ちょっとで。でも、いまはだいぶ整理されたんじゃないでしょうか。
 運動会も昔は盛んでした。地方局でもあったし、取引銀行と一緒にやったり、名古屋では大運動会があった。NHKが体育系の福利厚生がいいというのは、アンテナの関係で敷地内にグラウンドやテニスコート、野球場もできたからです。私の草野球デビューは名古屋のNHKグラウンドでした(笑)。野球の時は子供を連れてってピクニック気分でした。
 そういうもろもろを考えますと、みなさん給料の明細をよくご覧になって会社に感謝しなくてはいけませんね。

■男の自立は料理から
 もう辞めて9年になりますが、その間フジテレビと専属契約で仕事をさせていただき、この4月から、本当の意味でのフリーになりました。 
 最近上司だった方が定年退職され、お別れの会によく呼ばれたりするんですけど、定年後の生活は大きな組織にずっといた人にとってバランスが難しいようです。組織のなかの与えられている場でどれだけ自己蓄積ができたかどうか、あんなに現場で活躍された方なのに、やはりサラリーマンなんですよね、退職されてそれがぷっつり切れちゃう、もったいないと思います。そういう才能をもっと利用できないかと思いますね。
 私は在職中、NHK以外の仕事も好きでしたので、組織よりはフリーのほうが自分が出せるかなと考えました。ただ、どれだけ自分がいろいろなものを貯めてきたか、どうかですけれど。フリーになるには、ファイナンスの部分とタレントの部分と両方もってないといけないと思います。
 一昨年は週末だけのニュースでしたので、以前取材でベトナムへ行っていたものですからベトナムの本をまとめてみようかなと思いました。改めて行ったらすごく変化していて驚きました。当時は古ミシンをベトナムに送ろうという取材で、その貧しいままだと苦しい本になっちゃうんですけど、今は活気に満ちていて、しかも観光ブームですからね。この10年間を書いてみようと思い、写真もいいのが撮れました。そういえば昔写真を撮っていたなあと思い出して、マニュアルの一眼レフをオートのカメラに代えてまたベトナムに行って撮り、出版しました。これはフリーにならなければできなかったことですね。
 それからワインの勉強もしました。もともと飲んでいたんですが、ワインのスクールにも行き、日本ソムリエ協会認定のワインエキスパートという資格をとった。男の自立じゃないですけど、妻が宅建の資格を取り、働きにも出てましたので、妻の帰りを待ち、それから彼女のつくる夕食を食べるというのも、いかんなと思い、料理の勉強も始めました。それも惣菜ではなく、イタリア料理をやりたいと思い、レストランを開業できるような講座に通いました。そうすると、ワインとの組み合わせを考えたり、楽しみが増えました。
 フリーになったら何が問題かというと、いちばんは集団欲が出てくることです。在職中は集団にいることのストレスがありますが、ひとりになると集団が欲しくなる、それが自律神経失調症の原因になる。趣味もない、グループもないと、自分の居場所がないわけですね。男の自立は料理、妻から自立するには料理だと、実体験から断言できます。(談)
 
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