特集 サラリーマンの 生き方 ―企業と個人の関係を探る― その1
「おいしい生活」と企業福祉
中央学院大学商学部講師 永野俊雄

永野俊雄[ながの としお]
1936年、東京生まれ。59年、慶應義塾大学文学部英文学科卒業。同年、(株)西武百貨店入社、86年 セゾングループ福祉プロモーションセンター(現パレット・ネットワーク)常務理事。
現在、中央学院大学商学部講師、実践女子短期大学生活福祉学科講師、人間総合科学大学人間科学部講師、第一福祉大学福祉産業学科講師、(社)企業福祉・共済総合研究所専任講師などを務める。
主な共著書に、『流通の再構築』(91・有斐閣)、『変化する企業福祉システム』(98・第一書林)<以上共著>、『自己責任時代の新・企業福祉論』(2002・企業福祉・共済総合研究所)、『新・生涯学習論』(02・日本エデュケイションセンター)<以上単著>などがある。

■「おいしい生活」
 「おいしい生活」という言葉は、1982年に西武百貨店の広告で使われたコピーである。コピーライターの糸井重里氏が提案した、日本の広告史に残る名コピーである。アメリカの俳優ウディ・アレンをキャラクターに使っている。「おいしい生活」とは、食品やレストランを宣伝するコピーではなく、衣食住のみならず、余暇生活などあらゆる生活場面で、物質的、精神的、文化的に豊かな生活を提案する広告コピーであった。
 ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、『福祉の経済学』の中で、「福祉」について次のように述べている。                            
 「私はひとの私益とその達成について考察する方法を大きく二つに分け、それぞれ『福祉』と『好機』と名づけることにしたい。『福祉』(well-being)はひとが実際に成就するもの―彼/彼女の『状態』(being)はいかに『よい』(well)ものであるか―に関わっている。一方、『好機』(advantage)は、特に他人と比較してあるひとがもつ現実の機会に関わっている。」
 人の欲望には際限がない。“well-being”を達成した人は、次に“better-being”をめざす。“better-being”を達成した人は、さらに“best-being”をめざして生活の向上を図る<注1>。
 1970年代から、生活の状態を測定する基準に「クォリティ・オブ・ライフ(生活の質)」という言葉が使われるようになった。「クォリティ・オブ・ライフ(生活の質)」の向上は、「よりよい暮らし」の実現を目指すことである。「おいしい生活」とはハイ・クォリティ・ライフのことであり、“well-being”から“best-being”をめざすライフスタイルに他ならない。


<注1>“well-being”は一般に通用する用語であるが、“better-being”、“best-being”は、“well”に対する比較級、最上級を使い、「おいしい生活」のレベルを表現するために作った、筆者による造語である。


■「おいしい生活」のための社会システム
 では「おいしい生活」はどのようにして達成していくのか。自分の生活(および人生)は、基本的に自分自身の責任において向上させるべきものである。しかし、複雑化し、重層化している現代社会においては、自分自身の努力(自助努力)によって獲得できる範囲は極めて限定されている。しかも、「おいしい生活」の満足レベルはかなり高いところまで来ている。
 今日、世の中にはさまざまな、生活をサポートする仕組みがある。しかし、実際にはそれらのサポート・システムが有効に活用されているようには思えない。個々のシステムは、それぞれが独立していて、相関性がほとんどない。個々のサブシステムをトータルなネットワークとして捉え、それぞれの役割を明確にした上で、相互補完するように設計されなければならない<図1>。

<図1>「おいしい生活」サポートネットワーク

(出典)御船美智子 2002 生活者の経済 30 (財)放送大学教育振興会 一部改編

 先ず、ネットワークの中心には、原点としての「個人」がある。個人が求める「おいしい生活」を実現するためには、先ず、その個人が自ら努力しなければならない。「個人」と最も近い所に「家族」がある。「個人」と「家族」によって「自助努力」が行われる。家族の少人数化や家事の外部化などによって、「個人」や「家族」の力が以前に比べて小さくなっている。次に、地域における「近隣の助け合い」である。都市においては、近隣の人間関係も、以前に比べて希薄化しており、多くを期待できない状態である。これらのアンペイド・ワーク(無償労働)は、「愛と善意によるサービス」に属する。ここには、共通の生活課題を協同で解決していく自発的な相互扶助組織の生活協同組合も含まれる。
 精一杯の自助努力によって得られたものを、さらに向上させるためには、国民が等しく享受できる「国」によるナショナル・ミニマムといわれる「社会保障」がある。憲法第25条には「すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とうたわれている。この最低限度のサポートがベースになる。次に自治体の条例などにもとづく福祉として、地方公共団体による「地域福祉(社会福祉)」がある。これらは「政府による福祉サービス」に属する。
 さらに、雇用労働者の場合、勤務する企業が従業員に提供する「企業福祉」がある。経営目的達成の一手段である企業福祉には、「従業員の長期定着性の維持・向上」「勤労モラールの維持・向上」「従業員の生活と生産性向上」「労使関係の円滑化」などの実施目的がある。同時に従業員(およびその家族)の生活を豊かにし、安定させる役割を果たしている。“employee benefits”(従業員福祉)と呼ばれる所以である。
 多くの場合、雇用労働者は従業員であると同時に、労働組合の組合員でもある。労働組合には、組合員同志による相互扶助のための「労働者福祉」がある。単位労働組合は上部団体の産別労働組合の共済制度や、労働者共済生活協同組合による労働者共済を活用して多彩な福祉メニューを用意している。「労働者福祉」は企業福祉とは一線を画すものであるが、企業内労働組合が運動のベースであるわが国では、これを一体化して広義の「企業福祉」(職場による福祉サービス)と考えてもよい。
 次に、民間営利企業・金融部門による「民間商品・サービス」の購入がある。介護における介護用品・介護サービス、育児のための託児サービス、余暇生活におけるレジャー商品(旅行など)、保障としての保険、金融など、さまざまな市場が「おいしい生活」の向上に寄与している。ただし、この場合、市価による購入費用の負担が伴い、自助努力による事前の備えが必要となる。
 最後に、政府や市場ではカバーしきれない分野を担当するのが、NPO(民間非営利組織)とボランティアである。「第3のセクター」と呼ばれる、人々の「愛と善意による非営利のサービス」は、究極の「おいしい生活」サポート・ネットワークであり、人々の生活(および人生)を“best being”(おいしい生活・人生)に導いてくれる。トータル・ネットワークの各サブシステムは、相互に補完関係を持って相乗効果を上げることが肝要である。
 
■企業福祉で「おいしい生活」を
 ここまで見てきたように、企業福祉は「おいしい生活」サポート・ネットワークの中で、重要な位置を占めていることが確認できたと思う。このネットワークにおいては、それぞれの役割分担と相互の関係性が重要になる。そこで、「おいしい生活」のベースになる社会保障と企業福祉の関係について考えてみたい。
 社会保障は所得、医療、介護、育児、住宅、社会福祉の6分野をカバーするのに対して、企業福祉は社会保障ではカバーされない分野の「代替」機能を担う。また、社会保障で最小限にカバーされる分野において、不足分を「上積み付加・補完」する機能を持つ。
 「生涯総合福祉」を標榜する企業福祉は、従業員のライフサイクル(人生の各段階)において、さまざまな生活場面で関わりを持っている。私たちの生活(人生)の中で、具体的にどのような機能を果たしているのかを検証してみたい。

(1)生涯にわたる財産形成の促進
 生涯にわたって財産形成に寄与する施策には、「各種財形制度」「住宅取得支援」「社宅・寮の提供」「社員持ち株会」「ストックオプション」などの施策がある。
(2)不測の事態への保障
 人の一生涯には、予期できぬ事態に遭遇し、リスクが発生することがある。その際、大きな出費を伴う。病気・けが、災害、死亡などの事由に対して給付金が支給される。
(3)本人および家族の健康管理のサポート
 「法定健康診断項目を上回る健康診断」「人間ドック受診補助」「メンタルヘルス対策」「健康管理(運動・栄養など)」「ホームヘルパー利用補助」など、本人および家族の健康管理をサポートする。
(4)定年後生活への準備のサポート
 退職金・企業年金は、公的年金では不足する定年退職後の生活費を補填する。また、ライフプランセミナーや退職準備セミナーは、定年後生活へのスムーズな移行を可能にする。
(5)仕事と家庭の両立のサポート
 仕事と家庭を両立させるために、育児・介護休業法を上回る制度や法にはない制度がある。「休業中の賃金の全部または一部補助」「社会保険料の助成」「育児・介護費用の一部補助」「事業所内託児施設」「育児・介護情報の提供」などである。
(6)余暇生活のサポート
 余暇関連施策には、時間的サポートしては「長期休暇制度」、経済的サポートとしては「会員制レジャー施設」「会員制スポーツ施設」などがある。
(7)自己啓発・ボランティア活動のサポート
 キャリア開発、資格取得に対するニーズが高まっている。「学習するための時間的援助」「必要な費用の全額または一部補助」や、大学・大学院で学ぶための、フレックス勤務や教育休暇などのサポート施策もある。従業員のボランティア活動を支援する施策もある。
 以上の7つの機能は、雇用労働者の一生涯にわたる各ライフステージで、あらゆる生活時間(職業生活時間、家事時間、余暇生活時間、社会的時間など)に関わりを持っている。さらに、これらの施策の活用を促進するために、企業は情報の提供や各種生活相談(法律、税務、健康、ファイナンシャルプラン、教育など)のサービスを行っている。
 以上述べてきた企業福祉も、企業による経費削減と、従業員ニーズの変化により、大幅な見直しを求められている。
 
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