特集2 くらしと生きがい
生きがいらしきもの
作家 永倉有子

永倉有子[ながくら・ゆうこ]
東京都生まれ。立教大学英米文学科卒業。大学の演劇部で知り合った作家・永倉万治と結婚した後、出版社に勤務、就職情報誌の編集に携わる。退社後、専業主婦となるが、夫が脳溢血で倒れてからは、執筆活動を手伝うこととなった。
永倉万治の絶筆となった『ぼろぼろ三銃士』(実業之日本社)を共著で出版。来春、『万治くん』(仮題)をホーム社より出版予定。

 1年ほど前から、月に1度、茶花を習いに行っている。たまたま知り合いの陶芸家から誘われて、「お茶花?なんかシブくておもしろそう」と軽い気持ちで始めたのだが、これがなかなか奥が深くて難しい。
 先生は私と同年代の、一見、ごく普通の主婦である。ところがこの先生、趣味が高じて自宅の庭に本格的な茶室を建ててしまったというほどの人で、人生のすべてが茶道を中心にまわっている。
 花を活ける前に、必ず小1時間は茶道に関する講義があって、一行物といわれる掛け軸に書かれた禅語の解説や和歌にまで話が及ぶのだが、ある時、夏の季語のところでほととぎすが話題にのぼったことがあった。
 「“ほととぎす、鳴きつる方を眺むれば、ただ有り明けの月ぞ残れる”ですね」
 国文科出身の友人が百人一首で有名な和歌をいうと、先生はよくぞいってくれましたとばかり、嬉しそうにニコッと笑った。
 「この間、ほととぎすはいったい何時頃に鳴くのかしらと思って、寝ずの番をしていたの。朝の4時頃だったかしら、テッペンカケタカーって鳴き声がしたから慌てて外に出てみたら、夜明けの空にまだ月が残っていてね、とーっても素敵な風情なのよ」
 ほととぎすと聞いて、反射的に初鰹を想像してしまう私としては、ただただ感心するばかりだ。一つのことにこれほどまでに打ち込めるなんて、すごい。これぞ、生きがいというものであろう。
◎      ◎
 思えば、私は昔から何をやるにもほどほどで、とことん極めるということがなかった。
 好奇心は旺盛なほうで、小器用でもあるから、何でもそれなりのところまでいくのだが、飽きっぽいのと苦労は嫌いという性格が災いして、とにかく中途半端に終わってしまうのだ。
 そんな私が、ようやく、生きがいらしきものを見いだしたことがあった。
 平成元年、作家だった夫の永倉万治が脳溢血で倒れ、半身マヒと失語症という重い障害が残った。永倉は、私と正反対で何事にも一途に取り組む性格である。苛酷なリハビリに耐え抜き、8カ月後には何とか執筆再開にこぎつけた。とはいえ、失語症には変わりなく、文章がひどく乱れている。“てにをは”がおかしいのはまだしも、意味の通じない部分が多々あって、編集者にはとても見せられない。
 「私が文章を直してみようか?」
 「ああ、た、頼む」
 というわけで、復帰第1作目から彼の文章に手を入れることになったのである。
 以後、11年間、私たちの共同作業で生まれた作品は単行本にして28冊、それ以外も含めたら数え切れないほどだ。
 その間、すべてが順調だったといえばウソになる。自分の文章を素人の女房がいじくりまわすのだから、永倉にしてみれば面白いわけがない。私は私で、好きで直しているわけじゃないのに不愉快な顔をされたらたまらないという思いがあった。
 いつだったか、息子が祖母にいったそうだ。
 「作家の家は嫌だよ。締め切りが近づくと、お父さんもお母さんも怖い顔して、家の中の空気がピリピリするんだから」
 それでも、月日がたつうちに私たちは少しずつ変わっていく。永倉は体の障害を受け入れたと同じように、私の手を借りてでも良い作品を生みだしてやろうと開き直ったようだし、私のほうも縁の下の力持ちとして彼の仕事を手伝うことが、自分に与えられた使命なのだと思えるようになっていた。人生について深く考えることもなしに生きてきた私が、ようやく生きがいを見つけたのである。
 ところが、生きがいと思えたものはスルリと私の手からこぼれ落ちてしまった。
 平成12年の秋、突然、永倉が亡くなったのだ。後遺症もほとんど気にならないほどに回復していたのに、再び脳溢血で倒れ、今度は一度も意識が戻らぬまま逝ってしまった。
 19歳で出会って33年間、光り輝く青春も脳溢血と闘った日々も、ずっと一緒に分かち合っていた相棒を失い、私は茫然自失となった。そんな時に、絶筆となった彼の小説を書き継ぐという話が持ち上がったのである。
 私は無謀にも小説を書き始めた。
 小説のなかで宙に浮いてしまった主人公たちにそれぞれの人生を与えてやるのが私の使命だと思った。それに、書いている間は永倉が一緒にいてくれるような気がしたのである。
 彼の死から約1年後、小説『ぼろぼろ三銃士』は完成した。どこからが私の書いた部分かわからないと、誰もがいってくれる。多分、永倉が乗り移っていたのだろう。
 そしてまた1年後、永倉との出会いから別れまでの日々を描いた『万治くん』(仮題)を上梓した。書いている最中に何度も絶望的になりかけた。それでもやめなかったのは、書くことが生きがいになりつつあったからだ。夫が生前、「書くのは苦しいけど、嫌だと思ったことは一度もない」といった言葉の意味が、少しはわかるような気がした。
 書き終わってしまうと、私の生きがいはまたしても消えてしまった。でも、何かを一生懸命にやれば、それが生きがいになるのだと、いまではそう思っている。
 
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