「妙な充電」
日本経済新聞社 編集委員 足立則夫
足立則夫
[あだち・のりお]
1947年東京都青梅市生まれ。71年早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞社入社。 社会部、流通経済部、婦人家庭部記者、「日経ウーマン」編集長、生活家庭部長などを経て、現職。 著書に『やっと中年になったから、41人の「ミドルからの出発」』(日経ビジネス人文庫)、共著に『女のものさし男の定規』(日経ビジネス人文庫)がある。

 昨年の冬、北海道の番外地として知られる網走刑務所を訪ねた。吉村昭著『破獄』の舞台になった刑務所がその後どのように変わったかを取材するためだ。
 小説の主人公は戦前から戦後にかけて実在した人物で、どんな刑務所に収容されても脱獄してしまう。1944年の8月。それまでに青森、秋田の両刑務所を脱獄した要注意人物とあって、手には手錠をはめられていた。それなのに塀の外へ抜け出してしまったのだ。
 手錠のナットや、看守がのぞく独房の窓にはめられた鉄枠のねじに、食事のたびに味噌汁をたらして腐食させていたのである。恐らく独房の中で考えに考えて作戦を練ったのであろう。これだけの知恵を、もっとほかの事に用いれば、この主人公はひとかどの人物になっていたのではないか、とそのときは思ったものだった。

 海を越えた19世紀の米国には、3年余りの刑務所暮らしの間に文章修業をして小説家になってしまった人がいる。
 《肺炎にかかった若い女性は、窓から見えるツタの枯れ葉が全部散ったときには自分も死ぬと思い込む。夜、嵐になる。朝見ると、1枚の枯れ葉が残っている。勇気付けられた女性は元気を取り戻す。実は最後の枯れ葉は、事情を知った老画家が嵐の晩に壁に描いたものだった。けれども画家はびしょ濡れになり肺炎にかかって息を引き取ったのだった。》
 代表作の『最後の一葉』などで知られる短編の名人、オー・ヘンリーである。彼はテキサス州オースチンで、ファーストナショナル銀行の支店の出納係をしながら、週刊の新聞を発刊し始めたものの、1年で廃刊に追い込まれる。
 その際、銀行の金を流用してしまったらしい。運悪く連邦銀行調査官が銀行に査察に入り使途不明金を発見し、彼を告発する。友人たちが援助してくれて、銀行も不問に付してくれたため一旦は無罪放免となった。

 このときの調査官が粘着質の人だったらしく、しばらくしてから、再び告発に動く。逮捕された彼は逃亡する。妻の危篤の知らせを受け、その死を見届けた後に3年3ヶ月の刑を受け刑務所で暮らした。
 彼の偉いところは、塀の中で手にしたたっぷりした時間を文章の勉強に当てたことだ。40歳で出所後、ニューヨークで『最後の一葉』など落ちが巧妙な短編を272作も書きまくり、47歳で亡くなった。生き方も短編小説のようだった。

 オー・ヘンリーの時代より200年ほど遡った江戸時代の日本にも、11年にわたる島流しを充電期間にしてしまった画家がいた。その名を英一蝶(はなぶさ・いっちょう)。
 狩野派の絵師だった一蝶は、遊興の地、吉原で大名とよく遊んでいたことから、幕府から毒虫とにらまれていた。当時、五代将軍徳川綱吉が制定した「生類憐みの令」を揶揄(やゆ)するうわさ話が広まり、その犯人に仕立てられ、三宅島に流された。47歳。画家として円熟期を迎える時期だった。
 遠島といえば、終身刑。普通なら自暴自棄になるところだが、筆を折らずに、島民に頼まれた仏画などを描き続け修業を積んだ。58歳。綱吉の死で赦免となり江戸に戻るや、機知に富み筆運びのすぐれた風俗画を描きまくった。

 刑務所や遠島の暮らしに直面しても人生をあきらめたりせずに、かえって充電期間にしてしまう。そこが2人の魅力だ。


 
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