海外ライフと墓守
ノンフィクション作家 沖藤典子
沖藤典子[おきふじ・のりこ]

沖藤典子[おきふじ・のりこ]
ノンフィクション作家
1938年、北海道に生まれる。61年、北海道大学文学部卒業後、上京し、日本リサーチセンターに入社。調査部第二企画調査室長などに就くが、父親の介護などのため15年で退社。79年、その時の事情をまとめた『女が職場を去る日』を出版。以後、女性や家族の問題、介護問題などに深い関心を寄せ、綿密な取材で、精力的に執筆活動を行う。
全国高齢者ケア協会副会長、シニア社会学会理事、介護労働安定センター評議員、『共同参画』市民スタディ21代表、高齢社会をよくする女性の会理事などを務める。
主な著書に、『転勤族の妻たち』『老いてなお我が家で暮らす』『みんなが主役・新介護時代』『あなたに似た家族』『あすは我が事の介護保険』『シニアいきいき納得ライフ』、そして『ビッグベビー』は、老人介護の問題を真正面からとらえた小説として話題を呼んだ。

 老後の夢の持ち方もいろいろだが、その一つに海外ライフというのもある。ひところ「年金を3倍に使う法」なんて喧伝されていて、無責任だなあと警戒していたのだが、最近経験者から話を聞く機会があった。なるほどと納得するものもあって、情報をきちんと持つことは、生き方の選択肢を広げると思ったことだった。
 「海外ライフを考える時、移住と永住とは違うということに注意してください」
 こう語るHさんは、東南アジアに住んで5年になる。
 「必ず帰る家を残しておくことです。国によっては、今は歓迎だけど、帰ってくださいといわれる事態が、起こるやもしれません」
 病気の問題もある。軽い病気なら、日本語のできる人を雇っている病院に行けばいい。しかし、重篤な病の時どうするか。新型肺炎が流行した2003年の冬には、感染の危険を感じて帰国した人もいるという。
 Hさんの論法に従えば、『元気な間、数年、帰るべき家を残して』『危険を感じたらすぐ帰る』。介護が必要になった時、人件費の安い海外でと、考えるのには賛成しない。
 「ぼくは日本に帰ってきて、介護保険を使います」
 海外生活の危険というのは、やっぱり無視できないとのこと。住む家のセキュリティはもちろんのこと、街中でも日本にいる時のようなわけにはいかない。日本人は無用心なので、狙われやすい。
 「行ったあと、何をするかということも、よく計画しておいた方がいいですよ」
 地元のボランティア団体の活動に参加するとかスポーツをするとか、歴史研究とか“するべきこと”を持たない人にとっては、海外ライフも苦痛の種だ。日本人だけとしか付き合わない人も、ひんしゅくを買うという。
 彼の話を聞いていて、最大に納得したのは、“日本料理問題”だった。
 「ぼくも妻も、食事はすべて現地の屋台ですませます。地元の人とのコミュニケーションもできるし、何よりもその方が安くておいしくて、安全なんですよ」
 現地の食材を使って日本料理を作るとなると、これはものすごく大変な仕事だ。醤油とか味噌とか手には入るけれど、飛行機代などがかかっているから割高。しかも素材の微妙な味の違い。地域や温度にもよるけれど、刺身なんかには食中毒の危険も伴う。彼の妻も、
「夫が日本食ノスタルジアから解放されていないと、妻は海外に行ったメリットなんかありませんね。もしどうしても日本食というのなら、自分で料理を習うことですよ」と。
 彼女は、家事を一切しないそうだ。その分熱中しているのが、スポーツとボランティア活動。夫婦意見一致での海外ライフ。この意見一致というのが、なかなかに羨ましく思えるのである。
 わたし自身は海外生活にそれほどの願望はないのだが、人生の一時期違った文化の中で暮らしてみるのも、おもしろいだろうという気はする。
 姑が海外暮らしを始めた途端、嫁さんも機嫌よくなって、
「わたしも一週間滞在させてくださいよ」
なんてゴマをすってくるかもしれない。
 夫婦意見一致にならない人は、行きたい方が行けばいい。人生が長くなった分だけ夫婦の期間も長くなり、ちょっと別居してみるというのも、人生のスパイスだと思う。
 老後どう生きるのか、この大きなテーマを取材していてこの海外ライフ経験者に巡りあったのだが、他にもさまざまな決断をした人がいる。老後は人生の夢の実現期であると、勇気をもって行動に踏み切った人たち。
 この春、女性たちの集まりで、老後のエピソードとしてこの話をしてみた。テーマとしては、「夢の持ち方」「こんな生き方をしている人々がおりますよ」と。
 そうしたら、たちまち反論を食らってしまった。その矛先は主に海外ライフだった。
 「お墓のお掃除とか、お守りはどうします。近所手前もあることですから、簡単なことではありません」
 世の中にはいろいろな考えの人がいると、改めて思わせられるのはこんな時だ。なんでいきなり、墓の掃除とか墓守りなんて話が出てくるんだろう。
 人は誰でも、自分が「何をするか」「しないか」の優先順位が、無意識のうちに決まっている。何かをするにしろ、しないにしろ、理由を発見する才にたけているものだ。しかしこの場合、理由があまりにも旧弊なので驚いてしまった。そんなに墓の掃除や守りが大事なのかしらん。
 地方に行けば、他人の行動への監視の目が、まだ強く根を張っているということだろうか。
 「先祖の墓もほったらかしにして、何が生きがいさ、何が海外ライフさ」
 老後自分の夢を追って生きるというのは、勇気のいること、その前に立ちはだかっている世間という壁、あるいは先入観の溝は、まだまだ飛び越えられないものかと、改めて知ったのである。

 しかし今、60年安保世代が高齢期にさしかかってきて、女性にも男性にもその勇気のある人が増えてきている。人生100年時代の冒険を求める人々。ある男性はいった。
 「先に起こるかもしれない事態を怖れて、現在の生き方を犠牲にはしたくないね」
 「そしてね、女房と役割を交換してみるのも発見があって、おもしろいですな」
 最近発見した元気な高齢者の姿はこうだった。
 常識に縛られていない。勇気と行動力がある。金を自分のために使っている。そして何よりも、情報を持っている。
 
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