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「こんなはずじゃなかった」
  まさか私が離婚することになるとは。
  これは離婚を経験した人誰もが思うことだが、私も同じ気持ちだった。まさか離婚なんて言葉が自分の人生に関わるなんて思ってもいなかった。
前夫の影響ではじめたバイク。母親となってからは乗っていません。
 そもそも私は田舎で保守的な教育を受けて育った。結婚は女の幸せであり、「かわいい奥さん」になることが目標だった。「女はクリスマス・ケーキと同じ」と呼ばれた80年代、24歳までが売りどきで、25歳を過ぎたら買う人がいなくなると言われていた。クリスマス・イブのケーキ同様、私も24歳で飾りたてられて売られたはずだ。結婚生活は穏やかでそれなりに幸せだったし、当時流行りの「三高」夫は、優しく真面目な大手企業の研究者だった。
  専業主婦としての生活はウワサに聞くほど退屈ではなかったし、さして忍耐を必要とするものでもなく、毎日くるくると家事を楽しんだのである。甘いものが好きな夫のために毎週土曜日はホールケーキを焼いて、夫の趣味に合わせて中型オートバイの免許を取り、夫のバイク仲間に交じってロング・ツーリングも楽しんだ。
デビュー作『リストラ離婚』(1996年2月 双葉社刊)。
人生を再構築する離婚があってもいいと思う。
  そう。結婚後の人生はすべて夫を中心に回るはずだったのである。
  それなのに、出産を経て、まさか自ら夫を棄てることになるとは、まったく予定していなかったことだ。まさか私自身が離婚を申し出るなんて、まわりの誰もが驚いたし、なにより当の本人が一番驚いていた。
  しかもその後、著作『リストラ離婚』で人生をリストラクチャーするための離婚もあるのよ、なぁんてデビューしたのである。「デビュー」 とは16歳くらいで行うものだろう、まさか30歳を超えてのデビューやテレビ出演なんて、そんな恥ずかしいことが起こるなどとは思いもしなかった。
一人娘の七五三。
  離婚した直後は、阪神大震災まっただ中の大阪にいた。
  まったく神様はどこまで試練を与えれば気がすむのかと、涙も出ず笑ってしまうほどに家の中はぐちゃぐちゃだ。倒れてきたタンスをヘディングして頭が少し割れ、縫わなければならなかったうえに仕事を失って、文字通り頭痛がする。
  それでもまぁ命があるから大丈夫だよ、震災を生き残ることができたのは運がいいんだよと、被災地から娘を連れて東京へ来て著作を続けるうち、いつの間にか離婚相談を行いはじめ、今までに9,000件近くの離婚に関わり、コンサルティングを業とする人になるとは、まったく思いもかけない人生である。
  かわいい一人娘は中学を卒業すると同時にイギリスのボーディング・スクールへ留学してしまい、再婚した夫と二人暮らしで早くも老後の気分でもある。が、まだ44歳。この10年間一日も休まず働いてきたが、ちょっと歩みを止めて考えてみよう。
  さて、これから何が起こるかな。
  「こんなはずじゃなかった」というところから始まる人生は、もうこれ以上の底はないと思うから、なんだかワクワクします。
 
Profile
池内ひろ美
[いけうち・ひろみ]
1961年 岡山県生まれ。 夫婦・家族問題評論家、夫婦・家族問題コンサルタント。 24歳で結婚、32歳の時、5歳の一人娘を連れて離婚。 38歳で再婚、娘と夫は養子縁組を行う。 1995年から著作活動をはじめる。 1996年より精神科医、弁護士、 心理カウンセラー他専門家が参加する「東京家族ラボ」を主宰。 主な著作に「リストラ離婚」「勝てる離婚調停」「池内ひろ美の離婚の学校」「妻の浮気」ほか多数。 現在、日本ペンクラブ会員、朝日カルチャーセンター横浜講師、東京電力サービス懇談会委員、日本テレビ「ザ!情報ツウ」レギュラーコメンテーター。テレビ朝日、NHK等出演多数。
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