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「こんなはずじゃなかった」
  六十代を迎えた両親が、そろって体調を崩してしまいました。娘として心配なのは当たり前ですが、と同時に「こんなはずじゃなかった」という思いがしきりと湧いてくるのです。
  父は、国体に出場したこともあるスポーツ選手で長く教員をしていましたが、年齢とともに糖尿病に苦しむようになり、最近は自宅で一日3回の人工透析を続けています。一方母は、栄養士の資格を持ち、数年前まで元気に働いていました。それがリウマチを患い、ときに痛々しい姿を見せるようになりました。おかげさまで二人とも日常生活に不自由はなく、毎日朗らかに過ごしているようですが、健康に不安を感じていることは明らかです。
●岡山の実家の向かいに両親が作ったミュージアム
  両親の病気を知ったとき、私もかなり精神的に落ち込みました。マラソンを楽しむ方のなかには、六十歳を過ぎて走り始めたという方もいらっしゃいます。だから、六十代というのはまだまだ元気で、老け込む年齢じゃないという認識が私にはありました。
  わが家は健康家族だと自負していただけに、二人そろって病気と付き合うことになるなんて……。「親はいつまでも元気なもの」と心のどこかで思っていたのでしょう。病気に苦しむ姿に戸惑いを感じることが多くなったような気がします。
  両親は、岡山の実家で二人暮らしです。病気がちの両親をそのままにしておいていいのだろうか、両親に何かあったら自分はどうなるのだろう、など、ずっと先の話だと思い込んでいたことが一気に押し寄せてきた感じがして、すごく動揺しました。また、こんなに焦っている自分自身にもびっくりしているのです。
●バルセロナオリンピック【銀メダル】
ミュージアム内に展示してあります。
●アトランタオリンピック【銅メダル】
ミュージアム内に展示してあります。
●バルセロナオリンピックのときに使用したシューズ。
ミュージアム内に展示してあります。
  両親の病気を機に、家族の会話が増えたことは確かです。わが家は、クールというか、お互いに干渉せず適度な距離感を保って付き合ってきました。それが最近は、私から意識して連絡を取るようになりました。仕事で近くまで行ったときには顔を見に寄ったり、泊まりがけの場合は必ず実家に泊まるようにしています。
  また、いつでも声が聞けるようにと携帯電話を持たせているのですが、まず電話に出たためしがないのです(笑)。 私と兄の連絡先などを登録した簡単操作の機種なのですが、持って出かけないし、着信音が鳴っていても自分のだと思わないのか電話に出てくれないのです。でも、固定電話にかけるとちゃんと出るのですから、やきもきするやらほっとするやら(笑)。
●アトランタオリンピックのときに
着用したユニホ ーム。
これもミュージアム展示品です。
  二年前に、私の資料やオリンピックのメダルなどを展示したアニモ・ミュージアムを実家の向かいに作りました。父の発案で、設計図まで自分で作る入れ込みよう。いまは館長として毎朝楽しそうに出勤しています。父は「ラポルト」という家族新聞をずっと手書きで作っていて、編集長兼記者としても活躍(?)しています。
  もう少し両親の健康が回復したら、兄の家族と一緒にアメリカの私の家に呼びたいですね。私は現在、一年の三分の一から四分の一はアメリカで暮らしていますから、夫のファミリーも紹介したいし、案内したいところがたくさんあります。夢や目標を持つことが病気を乗り越える励みになるのであれば、それを提供するのが私の役目だと思っています。「元気でいてほしい」……それを痛切に願っています。 親の「老い」と「病気」に対してどう向き合っていけばいいのか、まだ気持ちが定まらないというのが、正直なところかもしれません。「こんなはずじゃなかった」を乗り越えて、私がしっかりしなければならない時期にきているのだと考え始めているこのごろです。(談)
 
Profile
有森裕子[ありもり・ゆうこ]
リクルートAC所属
1966年岡山県生まれ。就実高校、日本体育大学を卒業して(株)リクルート入社。バルセロナオリンピック女子マラソンで銀メダル、アトランタオリンピックでは銅メダルを獲得。NPO「ハート・オブ・ゴールド」設立、代表就任。国連人口基金親善大使就任。日本陸連女性委員会特別委員。国際陸連女性委員会委員。 2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会-長野「500万人トーチラン」発起人。おかやま国体特別応援団「キラリ☆トライアングル」など役職多数。現在、米国コロラド州ボルダー在住。著書に「アニモ」(メディアファクトリー)、「わたし革命」(岩波書店)、「有森裕子と読む人口問題ガイドブック」(国際開発ジャーナル社)などがある。
HEARTS OF GOLD
発行/(財)生命保険文化センター